16歳の息子がひとりで静かに強く決断をしていた。
息子が5歳のとき、オリンピックをテレビで見て、どうしてもあるスポーツがやりたいと言い出し、そしてこれまで続けてきた。
わたしはそれまで競技スポーツに縁がなかったからいろいろ手探りと試行錯誤だった。
ある年は仕方なくコーチの資格まで取った。
その後は、経験豊富なコーチにお願いできるように奔走した。
息子は強くなるために、チームのために、いろんなほかのことをあきらめた。
文字通りエネルギーと時間を費やした。
オリンピックなどの大きな大会があるたびに、それを見てがんばる気持ちを強くしてきた。
州の大会で優勝した。
金メダルを胸にかけている写真が新聞にも載った。
今後が嘱望された。
そしてそのタイミングで新型コロナのロックダウンに入ってすべてがキャンセルになった。
今季は競技を続行しようとするあらゆる方面の努力があったが、まず全国大会と世界大会が中止になり、地方大会開催を目指して小規模で続けようとしたが感染者が相次ぎ、さらなるロックダウン続行に伴い競技の場もほぼなくなった。
このスポーツは、競技中だけではなく、その運営や慣習のあり方から、感染リスクが比較的高い。
わたしは早い段階で将来有望な若きアスリートたちの選手生命を守るために、中途半端なことはせず、すべての競技は一年断念して、今季は個人のスキルと身体能力を上げる年にすべきなんじゃないかと思っていた。
しかし、チームスポーツであれば、さまざまな考えの人がいて、個人個人の安全意識は異なる。
U16やU18などの年齢制限もあるからのんびりしていられない事情もある。
親の中には「新型コロナなんか100年前のスペイン風邪に比べたらなんということはない」という人もいた。
アンチマスク、アンチワクチンを声高に言う人もいた。
「この若いチームは今最強で、何をやっても勝てるのに、安全のために大事を取るなんてとんでもない」という人も。
誰も練習していない今こそ練習して来季はぶっちぎりで勝つ!
さまざまな親やコーチの思惑、スポンサーの関係、プライド、メンツ、名誉欲。
予選から大きな大会への道筋が通っているときは、誰しもが大なり小なり無理をしてでも頑張ってやってきたものだけど、無理して頑張った先に何もないのに、新型コロナの感染リスクを冒してまで集まってミーティングや練習試合をしたりしようとするのはなぜだろう?
・・・わたしと息子はそういう共通認識だったけれど、わたしたち以外は違うようで「なぜほかのみんなと同じようにコミットしないのだ」と責めるようなメッセージが届いた。
息子がチームで一番強い選手だったので、抜けると補欠を入れても試合で勝てないらしい。
チームの立場からのいらだちはわかる。
でも。
そこでなんだかブツっと何かが切れた気がする。
これはもうやめるしかないのだとわかった。
でも、そこはわたしが言うことではない。
なぜなら一度やめると即ほかのだれかが入って、やめた人は戻れないチーム構成だから。
息子の最終決断を待った。
スポーツ以外でも、新型コロナのロックダウンで生活が一変して、今まで無理してでもやってきたことに大きな疑問がいっぱいつくようになった。
パンデミックが終息した後、新型コロナ以前の生活に戻るとは思えない。
わたしたちはこの期間にいろんなことに気づいてしまったから。
長時間かけて出勤したり出張したりしなくてもいい仕事があるとかいうこともその一例。
若い人たちの競技スポーツについてまわる大人たちのしがらみや裏での駆け引き。
足の引っ張り合いや悪口と憶測のオンパレード。
政治力がなく、嘘がつけなくておべんちゃらのために人に近づくことができないわたしにとって、修羅の渦巻く世界はきつかった。
でも、競技生活をサポートしていくうえで仕方なかった。
頑張る子どもたちをみんなで応援しよう、なんてシンプルな世界じゃ全然なかった。
しかし・・・
こうやって離れてみると、これから戻りたいと思える場所ではない。
ウイルスの脅威がなくて、なんの心配もなくただ強くなって勝つことだけを目指せばいいのなら、まだきつくても仕方ないと思えるかもしれない。
強くなって勝って結果を出し続ける。
競技の場で輝く息子を見るたびに、わたしが多少苦労してもサポートしていかなければ、と思えていたけれど。
今は健康が大事だと思う。
16歳の人生はまだまだこれからが長い。
もしこれから新型コロナが奇跡的に高速で収束に向かい、来季は正常に大会も運営され、息子が元いたチームが勝ち進んで世界大会に出るとかいうこともあり得ないではない。
それを見るときの息子の気持ちはわたしには推測すらできない。
人生のある時点で下した決断が正しかったのかどうか、その答えが出るのはだいぶ先のことが多い。
本来ならば続けていたかったスポーツを、自分のこれからの人生を守るためにあきらめ、これからは学業の方へ集中しようと決めた16歳の決断。
チームとコーチに伝えたそうだ。
返事はない。
あの時、考えて選んだ道は間違っていなかったと思えるような未来が訪れますように。
わたしにはそう祈ることしかできない。
あの強くてかっこよかった息子の競技を見ることはもうないのかと思うと寂しい気もちはあるけれど、ロックダウンに入る直前に大きな大会で優勝できたことは幸運だったし、あの姿、あのがんばりを忘れることはない。
これからまた前を向いて胸を張って歩いていけるように応援しようと思う。
スパっと決断した息子とは違って、まだちっとも落ち着かない自分の気持ちを確認するように書きました