「1%の可能性」はゼロではないが限りなくゼロに近い数値です。これが手術の成功率なら、その手術を受ける人はどのくらいいるでしょう。合格率が「1%の可能性」だと言われれば確実に志望校は変えることでしょう。
ただ、この「可能性」という言葉を確率の「数値」ととらえるか、「質」ととらえるかで見方が変わってくるのです。「可能性」は100か0ではなくて、1か0だからです。可能性があれば1、無ければ0です。確率はこの1と0との間を100分割して%として表したものです。
従って「1%の可能性」はゼロではない以上、実現可能と考えることもできる訳です。何事も自らが諦めてしまえば可能性は0になってしまいます。例えば、手術をしなければ確実に死ぬと分かっている状況なら1%の可能性にでもかけてみようと思うはずです。手術を受けなければ生きられる可能性は0なのですから。
ただ、この「可能性」という言葉を確率の「数値」ととらえるか、「質」ととらえるかで見方が変わってくるのです。「可能性」は100か0ではなくて、1か0だからです。可能性があれば1、無ければ0です。確率はこの1と0との間を100分割して%として表したものです。
従って「1%の可能性」はゼロではない以上、実現可能と考えることもできる訳です。何事も自らが諦めてしまえば可能性は0になってしまいます。例えば、手術をしなければ確実に死ぬと分かっている状況なら1%の可能性にでもかけてみようと思うはずです。手術を受けなければ生きられる可能性は0なのですから。
スポーツで「1%の可能性」という時、その人あるいはチームに「諦めない気持ち」があるかないかです。パリ五輪のスケートボードで大逆転の金メダルを獲得した堀米雄斗選手が試合後のインタビューで「本当に少しの可能性、1%ぐらいの可能性だと思うんですけど、その1%を最後まで信じて、このオリンピックでもやってこれて、それが本当に最後に実ってうれしいです」と話していたのが印象的でした。
東京五輪からオリンピック種目となったスケートボードで金メダリストとなった堀米選手ですが、今回のパリ五輪は出場すら危ぶまれていたのです。2024年6月のオリンピック予選シリーズ・ブダペスト大会。パリ2024オリンピックがおよそ1ヶ月後に迫る中で開催されたこの大会の決勝でも大苦戦を強いられていたのです。
2022年6月に始まったオリンピック予選で、最終戦を除く全7大会のうち、堀米が表彰台に立ったのは3位となった東京開催の世界選手権のみ。決勝進出もわずか3度にとどまり、最終戦前にはオリンピックランキングで日本勢5番手に沈み、日本代表3枠の圏外に立っていたのですから。
最終戦の前日に行われた準決勝ベストトリック2本目で、堀米は激しく転倒し、足を強打。滞在していた市内のホテルに戻って治療を受けたものの、翌日・決勝前の公式練習を迎えてもその痛みが消えることはなかったようです。
堀米が「ラスト1回」と意を決して臨んだオリンピック最終予選。堀米選手は優勝したとしても他の選手の成績次第ではオリンピック出場は決まらないという状況の中、その舞台に立っていたのです。「普段そんなにできないことではあるけど、ここに来たらもう1位しかないし、1位取っても行けるか分からないっていう状況だったから、できない技でも、本当に悔いのないように滑りきりたいと思って」臨んだ決勝の舞台で、苦戦した2年間に区切りをつけるかのような圧巻の滑りで会場を沸かせ、表彰台の頂点に立ち、パリオリンピック出場枠を獲得していたのでした。
ぎりぎりで得た出場権、本番決勝のラストで完璧な演技を見せてわずか1ポイント差でトップに躍り出ると、プレッシャーか成績上位選手もそのポイントを上回ることができませんでした。「神に愛された」とか「諦めない心に天使は舞い降りる」とか、そんな形容が相応しいと思わせてくれた瞬間でした。
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