新入部員歓迎コンパや、5月のゴールデンウィークが終わると、小生の母校の埼玉県立春日部高等学校は、恒例で6月第2週目に行われる文化祭に向け、3学年各クラス、各文化部、そして…小生が属している応援指導部も、文化祭の催し物の準備に動き出します
。
「1年6組」に席があった小生は、文化祭のクラスの催し物に関して、ちょっとしたアイデアがあったものですから、それを披露したところ、それが「面白そう」ということで、クラスの仲間に受け入れられました
。
(ちなみに、当時流行っていた『プロポーズ大作戦』の、「フィーリングカップル5vs5」のような催し物ではありません、はい
。)
ところが、この催し物に決定した後すぐに、小生自身が応援指導部に入部したことで、クラスの文化祭での催し物に関わることは、殆どできなかった記憶があります。
いわゆる「言いだしっぺ」なのに、全く関わるどころか、その結末さえ良く憶えていません…
。
ちょっと申し訳ないことをしたかな…
と思っています。
では、何故、「1年6組」の催し物に関われなかったのか…。
そうです。
春日部高校では、応援指導部主催のステージ演技披露会『臙脂の集い』が、文化祭の「メイン・イベント
」だからです。
ゴールデン・ウィークが終わると、校門をくぐってすぐに、文化祭実行委員の方が…
『春高祭まで、あと…○○日』
という立て看板を立て、カウントダウンも始まります
。
そうなると、小生の属する応援指導部の練習も、まさに『臙脂の集い』に向け、加熱してゆきます。
ですが、この年に25回目を迎える『臙脂の集い』の当日までは、まだ1ヶ月強ありますので、まず応援指導部としてやらなくてはならないことは、『臙脂の集い』を、たくさんのお客様にご覧頂くための「PR活動」です。
それには、主に以下が挙げられます。
母校の沿線(東武鉄道伊勢崎線や野田線)の各駅や、近隣高校の構内などに掲示していただくポスターの作成
ご来場いただくためのチケットのデザインの考案と作成依頼先への発注(入場料は無料ですが、ちゃんとチケットは作ります
)
当日ご来場いただいたお客様へお配りするパンフレットの企画・編集・発注・ガラ刷りの校正
これらのうち、チケットやパンフレットは、団長・副団長・リーダー長以外の全ての役職を兼務なさっていらっしゃったKT先輩が、「企画長」として全責任をもって編集などに携わっておられました。
また、KT先輩が、PR活動に必要な仕事を先ずは2年生部員に割り振り、2年生の先輩方が小生達1年生へ仕事を与える格好で、準備が進められます。
なお、チケットとパンフレットの題字は、書道の先生が日頃いらっしゃるお部屋にお伺いして、筆を取っていただき、いくつか「作品」を頂戴する形を取っています。
先生から頂戴した作品から、チケット用とパンフレット用に3年生幹部が選出し、御用達の印刷店へ「次期・企画長」の予定
だったK先輩(記憶が正しければ…)と共に、部数や価格などの交渉に出かけて行きます。
残った小生達1年生部員と2年生の先輩数名で、1枚1枚丁寧に、必要と思われる枚数を作成します。
(掲示していただく駅の数と、訪問近隣高校の数を見積もって、必要枚数を決めます。確か、正しければ…50枚程度だったと記憶しています。)
デザインは、毎年2年生と1年生で考えて選ぶので毎年変わりますが、基本的に作成手順は、前年の方法を踏襲する形でした。
(二十数年前は、今のように安く、簡単に業者で作っていただくことはできない時代背景でした)。
2年生の先輩が、数枚作成の見本を示していただいてからは、小生達1年生部員だけで、必要枚数手作りで作成して行きます。
(歯ブラシの毛先で塗料を霧状に吹き付ける、「スパッタリング」という技術を駆使したことを良く憶えています。)
これにも当然ながら期限があるので、練習が厳しくなっていく中で、こうした作業も粛々と進めなければならないので、帰宅時間が20時とか21時頃にずれ込むことが余儀なくされますが、当時の高校生としては「遅かった
」のではないかと思います。
ある日には、2年生の先輩方が、『臙脂の集い』ステージに掲げる看板の作成に、終電ギリギリまで残って作業されていた形跡が残されていたことさえありました。
(小生も含めた部員のご両親は、さぞかし心配されたことでしょうね
。)
でも、現代のように、低コストで数多く作成してくれる業者がある時代と比較すると、こうして遅い時間まで1枚1枚手作りで作成したことが、今になって省みると、全て「良い思い出」ですね
。
ちなみに、できあがったポスターを、小生は、実家のある越谷市内の各高校に配って掲示していただくお役目を拝命しました。
ですので、各高校には、数ヶ月前まで同じ中学校で勉強した仲間がたくさんいました。
中学3年生の時のクラスメイトの53番(話題にしたら、株が上がり
ましたね
…)と南さんは、同じ高校で、小生の実家からも最も近所のところでしたし、それ以外の各高校で小生を見つけた仲間が、「Dancho…お前、応援団入ったんだね…」と、声をかけてくれたりもしました。
(中には、「Danchoが
…信じられない
…」という顔をされた方もいましたね。)
ところで、練習が『臙脂の集い』までの期間で全く「お休み」となったのは、自身の体調が崩れない限りは、この日と、「もう1日」の、実質この2日間だけでした。
(その「もう1日」は、数話後にお話します
。)
こんな毎日が、6月第2週目の日曜日まで続くことになります
。
そして、PR活動に向けた準備もひと段落して落ち着くと…練習が、放課後だけでなく、朝の始業前の1時間と、2回目の昼休みにまで練習が組まれます
。
(春日部高校は昼休みが2回あり、1回目は殆どの生徒が昼食を摂るために充て、その後に4時限目の授業があり、授業終了後に2回目の昼休みがあるという、変則的なスタイルを取っています。)
次回は、次第に厳しさが増すそんな練習に耐え切れずに、起こり始めた「事件」について…
その次の回は、前回も予告はしましたが、指向をちょっと変えて、現在でも小生を大変気遣ってくださるKT先輩にまつわることを…
そして、さらにその次では、「学校の監督責任」も問われるような大きな「事件」が、練習中に起こってしまいますが、そのことについて…
そういったことを、順次お話していきましょう
。
この『応援団に捧げた青春』シリーズを楽しみになさっている読者の皆さん…益々練習が「地獄」と化していく展開に…どうぞご期待ください
。
さて、そうこうしているうちに、夏の甲子園に向けた各都道府県の大会が、次々と開幕しています
。
ちなみに、小生の母校も、予定通りですと、明日初戦を迎えます
。
対戦相手は、バレーボールでは全国制覇も成し遂げている、深谷高校です
。
(台風の影響で
、天候が心配ですが…
。)
将棋のタイトル戦や、ちょっと特別なことが起こらない限りは、暫くは、『高校・大学野球』と『応援団』カテゴリの記事が多くなりますが、ご了承ください
。

「1年6組」に席があった小生は、文化祭のクラスの催し物に関して、ちょっとしたアイデアがあったものですから、それを披露したところ、それが「面白そう」ということで、クラスの仲間に受け入れられました

(ちなみに、当時流行っていた『プロポーズ大作戦』の、「フィーリングカップル5vs5」のような催し物ではありません、はい

ところが、この催し物に決定した後すぐに、小生自身が応援指導部に入部したことで、クラスの文化祭での催し物に関わることは、殆どできなかった記憶があります。
いわゆる「言いだしっぺ」なのに、全く関わるどころか、その結末さえ良く憶えていません…

ちょっと申し訳ないことをしたかな…

では、何故、「1年6組」の催し物に関われなかったのか…。
そうです。
春日部高校では、応援指導部主催のステージ演技披露会『臙脂の集い』が、文化祭の「メイン・イベント

ゴールデン・ウィークが終わると、校門をくぐってすぐに、文化祭実行委員の方が…
『春高祭まで、あと…○○日』
という立て看板を立て、カウントダウンも始まります


そうなると、小生の属する応援指導部の練習も、まさに『臙脂の集い』に向け、加熱してゆきます。
ですが、この年に25回目を迎える『臙脂の集い』の当日までは、まだ1ヶ月強ありますので、まず応援指導部としてやらなくてはならないことは、『臙脂の集い』を、たくさんのお客様にご覧頂くための「PR活動」です。
それには、主に以下が挙げられます。




これらのうち、チケットやパンフレットは、団長・副団長・リーダー長以外の全ての役職を兼務なさっていらっしゃったKT先輩が、「企画長」として全責任をもって編集などに携わっておられました。
また、KT先輩が、PR活動に必要な仕事を先ずは2年生部員に割り振り、2年生の先輩方が小生達1年生へ仕事を与える格好で、準備が進められます。
なお、チケットとパンフレットの題字は、書道の先生が日頃いらっしゃるお部屋にお伺いして、筆を取っていただき、いくつか「作品」を頂戴する形を取っています。
先生から頂戴した作品から、チケット用とパンフレット用に3年生幹部が選出し、御用達の印刷店へ「次期・企画長」の予定

残った小生達1年生部員と2年生の先輩数名で、1枚1枚丁寧に、必要と思われる枚数を作成します。
(掲示していただく駅の数と、訪問近隣高校の数を見積もって、必要枚数を決めます。確か、正しければ…50枚程度だったと記憶しています。)
デザインは、毎年2年生と1年生で考えて選ぶので毎年変わりますが、基本的に作成手順は、前年の方法を踏襲する形でした。
(二十数年前は、今のように安く、簡単に業者で作っていただくことはできない時代背景でした)。
2年生の先輩が、数枚作成の見本を示していただいてからは、小生達1年生部員だけで、必要枚数手作りで作成して行きます。
(歯ブラシの毛先で塗料を霧状に吹き付ける、「スパッタリング」という技術を駆使したことを良く憶えています。)
これにも当然ながら期限があるので、練習が厳しくなっていく中で、こうした作業も粛々と進めなければならないので、帰宅時間が20時とか21時頃にずれ込むことが余儀なくされますが、当時の高校生としては「遅かった

ある日には、2年生の先輩方が、『臙脂の集い』ステージに掲げる看板の作成に、終電ギリギリまで残って作業されていた形跡が残されていたことさえありました。
(小生も含めた部員のご両親は、さぞかし心配されたことでしょうね

でも、現代のように、低コストで数多く作成してくれる業者がある時代と比較すると、こうして遅い時間まで1枚1枚手作りで作成したことが、今になって省みると、全て「良い思い出」ですね

ちなみに、できあがったポスターを、小生は、実家のある越谷市内の各高校に配って掲示していただくお役目を拝命しました。
ですので、各高校には、数ヶ月前まで同じ中学校で勉強した仲間がたくさんいました。
中学3年生の時のクラスメイトの53番(話題にしたら、株が上がり


(中には、「Danchoが


ところで、練習が『臙脂の集い』までの期間で全く「お休み」となったのは、自身の体調が崩れない限りは、この日と、「もう1日」の、実質この2日間だけでした。
(その「もう1日」は、数話後にお話します

こんな毎日が、6月第2週目の日曜日まで続くことになります

そして、PR活動に向けた準備もひと段落して落ち着くと…練習が、放課後だけでなく、朝の始業前の1時間と、2回目の昼休みにまで練習が組まれます


(春日部高校は昼休みが2回あり、1回目は殆どの生徒が昼食を摂るために充て、その後に4時限目の授業があり、授業終了後に2回目の昼休みがあるという、変則的なスタイルを取っています。)
次回は、次第に厳しさが増すそんな練習に耐え切れずに、起こり始めた「事件」について…
その次の回は、前回も予告はしましたが、指向をちょっと変えて、現在でも小生を大変気遣ってくださるKT先輩にまつわることを…
そして、さらにその次では、「学校の監督責任」も問われるような大きな「事件」が、練習中に起こってしまいますが、そのことについて…
そういったことを、順次お話していきましょう

この『応援団に捧げた青春』シリーズを楽しみになさっている読者の皆さん…益々練習が「地獄」と化していく展開に…どうぞご期待ください

さて、そうこうしているうちに、夏の甲子園に向けた各都道府県の大会が、次々と開幕しています

ちなみに、小生の母校も、予定通りですと、明日初戦を迎えます

対戦相手は、バレーボールでは全国制覇も成し遂げている、深谷高校です

(台風の影響で


将棋のタイトル戦や、ちょっと特別なことが起こらない限りは、暫くは、『高校・大学野球』と『応援団』カテゴリの記事が多くなりますが、ご了承ください
