Danchoのお気楽Diary

高校3年間応援団だった「応援団バカ」の日記。スポーツ観戦や将棋等の趣味の他、日常感じる事を、「ゆるゆる」綴ります。

応援団に捧げた青春(13)/練習の厳しさの陰で…

2007-07-22 11:14:12 | 応援団シリーズ化記事
6月第2週目の文化祭(『春高祭』といわれます)での、「メインイベント」と言っても過言でない『臙脂の集い』まで、1ヶ月を切ると、練習は益々厳しくなっていきました

この時期になると、やはり「テク」の練習が主になり、これを長時間行うことでステージ演技に必要な体力を身に付けていく格好になります。
したがって、体力強化を目的に行う「ハード」の練習は、『臙脂の集い』の本番当日に近づくにつれ、全くなくなっていきます。
当然ながら、「レク」でソフトボールをすることもなくなります

1ヶ月を切る頃になると、練習する時間帯も「放課後」だけでなく、1時限目の授業が始まる1時間前から始業まで「朝練」も始まり、2回目の昼休みの25分間にも「昼練」が行われるようになります。

小生、元々朝は比較的強いので、「朝練」では、部室到着1番乗りで大抵部室の施錠を解く役目でした。6時45分頃には登校していたと思います
よって、実家(=自宅)を出発するのは、当然6時ちょっと前になります。
起床は5時でした。
そのために、朝早く起床して、食事の準備や昼食の弁当作りを一生懸命してくれた母には、感謝ですね

「昼練」も遅刻するわけにはいかないので、4時限目の授業が終わると「ダッシュ」して部室に向かった記憶があります。
2年生は、この25分間に「春高ブローク」の練習を、ひたすら課されていたと思います
3年生幹部が最低一人見守り、厳しく指導なさいます。
決して、妥協は許されない状況となります
来年は、小生達があの立場になるかと思うと…震えましたね

小生達1年生は、2年生の後ろで構えて、応援歌をひたすら歌い、手を叩く「サーブ」や、「春高音頭」の際に行う「音頭サーブ」(普通のサーブと、ちょっと異なるのです)や、拍手演技の時の「拍手」を、とにかくステージに立っても恥ずかしくない程度になるまで、「身体で覚える」まで練習した記憶が、覚束ないですがあります。

とにかく、学校にその日登校すれば、『臙脂の集い』まで、授業は「そっちのけ」でした…
むしろ、授業時間が「休憩時間」で…本分と逆のことをしているので叱られそうですが…「睡眠学習」でしたね

また、厳しいのは、『臙脂の集い』で披露する「余興」(『六旗の下に』をご覧になった読者の皆さんに分かりやすく申し上げると、「演芸」と呼ばれるものと一緒です)のネタを、毎日1人10個程度は考えないといけなかったことです
他人を笑わす「エンターテイナー性」が皆無に等しい小生には、これが辛かった…
3年生幹部が、笑ってくれなければ、当然ネタは「没」となります
これを毎日考えるのも、必死でしたね

この「余興」に対して厳しかったのがKT先輩で、「新入生歓迎コンパ」の時とは一転していました…。
面白くない「余興」に対しては、それでも断罪するのではなく…
「この余興は、こういうクオリティーのものだから、こうした方がお客さんが喜ぶぞ」とか、
「「劇」をやっているんじゃないから、そっちに走るな」とか、
「今の「余興」のオチが分からないから、分かるように工夫しろ
といったアドバイスを、厳しい面持ちながら、丁寧にご指摘くださいましたね…。

さて、こういった形で練習に厳しさが一層増す状況の陰では、これにさすがに音を上げる1年生同期の部員が現れ始め、数名が「リタイア」していきました…
小生と同じ1年6組から入部した仲間も…『臙脂の集い』の2週間ほど前に、「リタイア」していきました…
早くも、1年生が「12名」の体制から、崩れていったのです…

では、小生はどうか…。

当然ながら、一度乗った船ですし、53番との「約束」もあります。
これは、「男と男の約束」ですから、破るわけにはいきません

少し前から、南さんとも電話で話をするようになり、53番の様子などを聞いたりしていましたが、彼も頑張っているとの報告を受けるたびに、負けられない気持ちがありました。

それと…近くの女子校に通う、初恋の相手であるTSさんの「存在」もありました。
TSさんに、再び「振り向いて」もらえるまでは、絶対に辞めたくない…。
そう思っていました

完全に「男の意地」ですね…

ちょっと脱線しますが、実は、同じ出身中学校で、ピアノが上手な女子生徒は数えるくらいしかいなかったのですが、TSさんと南さんは、小生の目から見ても、明らかに群を抜いていましたね
そんな二人ですから、いい意味での「ライバル」で仲が良く、中学2年生の時は、同じクラスにもなっていますから、TSさんと再び仲良くなるための「相談」みたいなことを、南さんに持ちかけていました…。
今にして思うと、大変「失礼」なことを南さんに対しては、してしまいましたが…
(ずっと後にお話しますが…小生がもっと「鋭かった」ら、南さんの「気持ち」に気付くことはできたのですが…「盲目」でした…。)

話を元に戻しますが、とにかく、12名でこのまま進みたいと思っていた矢先でしたから、「リタイア」が出たことは、残念な出来事でしたね
でも、逆にいえば、この練習の厳しさを乗り越えなければ、この先も立派な「応援指導部員」として、全校生徒の前で、「リーダーシップ」を発揮するような大役は務まらないのですよね…

こうして残念ながらも「リタイア者」が出てくる中でも、練習の厳しさに一層拍車がかかるのは変わりはありません
『臙脂の集い』の本番が1日1日近づくにつれ、1日の持つ「意味」も次第に「濃厚」になっていきます…

それでも歯を食いしばって、なんとか「食らい付く」毎日だったのです…。


次回は、そんな練習の厳しさが増し、残り僅かの日数となった3年生幹部の先輩方と練習をご一緒させていただく中で、2学年も「下」の小生達1年生に対し、さりげない「心優しさ」を示してくださった、OBとなった今でも親しくさせていただいている、KT先輩のことについて触れたいと思います。
(先日、KT先輩とお邪魔した『散歩道』の皆さん…ついにこのときが来ました。どうぞお楽しみに。)

その次は、本当に「地獄」と化した「事件」と、それに関わる先輩方や顧問のM先生の「偉大さ」についてお話したいと思います。

さらにその次以降は、いよいよ『臙脂の集い』前日までの、「過酷な練習」についてお話し、『第25回 臙脂の集い』当日の「感動」をリアル感たっぷりにお話できたら…と思います

どうぞ、お楽しみに

(次回に続く)
Comments (7)
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