小生が高校3年間の青春を捧げた、6月10日の応援指導部のOB会での出来事は、すでにエントリー記事でお話したと思います。
そのOB会の時に、小生の13年先輩で、明治大学応援團の團長を歴任された、ハンドルネーム「T先輩と言われし男」先輩から、大変貴重な「明治大学応援團の『テクの動作の意味』」に関するお話を拝聴しました。
小生がブログを開設していることを「T先輩と言われし男」先輩にお話ししたところ、先輩から内容について記事にすることをご了承頂きました。
先輩からご了承を得たことを受けて、記事をエントリーすることを先月に予告もしています。
これを受けて、小生のブログの読者のくりはらさんからは…
「楽しみにしております」
というコメントを頂戴しておきながら、小生自身にその後、時間的、体力的、現業との絡みもあって、長らくお待たせしてしまいました…。
大変申し訳ない気持ちで一杯です。
この記事を楽しみになさっていた、実際にお話いただいた「T先輩と言われし男」先輩はもちろん、「T先輩と言われし男」先輩と同級生で、時々小生のこのブログにコメントを頂戴するWB先輩、そして、KOFさんをはじめとする『六旗の下に』を観覧なさった、東京六大学応援団に興味がおありの読者の皆さん…大変お待たせしました。
ブログネタ帳の「走り書きメモ」を解読しながら、ようやく記事が完成しましたので、早速お話しましょう。
なお、最初にお願いしておきますが、内容に万が一聞き違いや、聞き損じ、あるいは理解違いがある点がございましたら、「T先輩と言われし男」先輩…遠慮なく、ご指摘・ご指導いただければ、大変幸甚に存じます。
(間違ったことをお話しては、明治大学応援團の現役の皆さんや、OBの諸先輩方に対しても、大変失礼に当たります。その際は、可及的速やかに加筆・訂正します。)
先ずは、「T先輩と言われし男」先輩も團長に就任されたお立場から、そのテクを極めていらっしゃる、『明治大学校歌』についてです。
「T先輩と言われし男」先輩が、明治大学応援團の現役の團長だった当時、先輩の後輩の方々(小生から見た場合、およそ7年や6年ほどの先輩方が該当されます)が、明治大学応援團主催のステージ演技披露会の『紫紺の集い』などに出かけられ、先輩の振る『校歌』のテクを、ライブで観覧なさっています。
その皆さんのほとんどが「先輩の頭が微塵も動かず、優雅な手の振りに憧れた」と感想を残しています。
それほど「T先輩と言われし男」先輩のテクは、洗練されていたことが、小僧の小生でも容易に理解できます。
さて、先輩のお話では、基本的に…
「明治には、肩から下の位置に腕を下げるテクは存在しない」
そうです。
肩の筋力はもちろんのこと、精神力や、『応援』に賭けるスピリッツがなければ、絶対に振ることができない、「非常に崇高で、力強く、しかも可憐な」テクに仕上がっている証拠ですね…。
実際、その観点で『第53回 六旗の下に』のDVDを再確認しながら観てみると…校歌に関しては、本当にその通りです。
また、テクの最中に、「腕を顔の前で交差する」テクが『校歌』には随所に登場しますが、その時の基本形は、以下の写真の通りなのだそうです。
つまり、右手と左手の掌の形が違っているのです。
これには今まで気付きませんでした…。不勉強ですね…。
そこで、同様に『第53回 六旗の下に』のDVDをこの観点でも確認しました。
このときの明治の團長は平原 真伍 君ですが、よ~く目を凝らして観ると、確かにその通り、基本を忠実に守っていることが、確認できました。
DVDの画像を引用して掲載しましたが、ご覧のように、小生自身が先輩からご教示頂いて、家内に手伝ってもらって撮影した1枚目の写真と、確かに同じ形になっていますよね。
ただ、このように、左右の掌の形が何故違うのか…という点は、意味が必ずあるはずと思いますが、聞き損じました…。
(先輩のお話に聞き惚れてしまい、疑問が湧く暇がなかったというのが実情です。)
申し訳ありません。
(ですが、28日に、先輩からコメント欄を通じて本件に関してもご教示いただいています。是非コメント欄をご一読下さい。)
次に、明治大学伝統極めつけの、『嵐の拍手』についてです。
この拍手…小生の中でも「東京六大学…いや、日本にある大学一の拍手演技」と位置づけています。
極めれば極めるほど、格好良く、そして、迫力が出る名拍手演技です。
高校3年間、応援団を続けて、初めて拝見したときも、OBとなった現在になって改めて観ても、その位置付けは全く変わらないですね。
精神力、体力、身体能力…全てが「強靭」でなければ、決して振ることができない拍手演技であることは、パッと見て理解できます。
ですので、歴代リーダー長のみが振ることを許される…というのも、納得できます。
6月9日に、『六旗の下に』を観覧された読者の皆さんは、どうお感じになられたでしょうか。
この写真は、昨年度リーダー長の林 明良 君が『第53回 六旗の下に』で披露した、『嵐の拍手』の前半、二拍子に入る前の「構え」です。
今年の『第54回 六旗の下に』では、北出 怜 君が披露しましたね。
ちなみに、先輩がこのブログのコメント欄で、先日おっしゃっていましたが、明治の場合、「二呼一拍」が基本形となっているようです。
これも不勉強でした…。
この『嵐の拍手』の動作にも、当然、動作の一つ一つに意味があるとのことです。
例えば、この二拍子に入る構え…「歌舞伎の『見栄』」に倣った型なのだそうです。
ところが、三・三・七拍子の動作の意味のお話を先輩がなさっている時に、「トイレ休憩」で中座をしてしまったので、肝心な部分を、当日はお伺いすることができませんでした。
(ブログネタ帳には、お話をお伺いした6月10日の時点では、三・三・七拍子が実は一番難しく、身体で表現するのが難しいテク…と走り書きはされていますが…。)
本件、昨日の28日に、先輩が丁重にコメント欄にコメントを残されていますので、誤解・聞き漏らしがあった分を、ここで加筆・訂正させていただきます。
『嵐の拍手』のテクの締めの動作の、四股の部分に導入されているのが、「不知火」という型…すなわち、先日終わった、今年の大相撲名古屋場所から横綱に昇進した白鵬 翔 関の土俵入りの型である、「不知火型」と同じようです。
背景は、先輩のご指摘のように、三・三・七拍子を考案された初代團長が、相撲部だったことに由来するようです。
大相撲の横綱の土俵入りにも、七五三縄(しめなわ)に型によって縛り方に違いがあますが、当然、その動作の一つ一つにも意味があるはずです。
そう考えると、とても崇高ですよね。
ところで、二拍子は、写真の林君のこの構えから、足腰の構えは崩さずに、両腕の掌で、地を掴んでは天に翳し、天を掴んでは地に下ろす…これを繰り返しています。
(『六旗の下に』を観覧なさった読者の皆さん…思い出してみてください。)
すなわち、「天」と「地」は、「この世」を繋ぐ大切な存在で、これをメインリーダーの腕一本によって、交差させながら繋ぎ合わせる…。
そして、その時に、その「この世」には必ず『嵐』が起きては、やがてその『嵐』は去る…その繰り返しが、テクとして表現されている…。
このお話の内容も、先の「構え」の意味同様、崇高ですよね。
以上のお話を先輩から拝聴した時は、決してお金で買えない、凄く貴重なことをご教示いただいた気がしました。
スピリチュアルな話にはなりますが、『嵐の拍手』のテクは、実は、人間がこの世に生を受け、死を迎えて天に召される「輪廻」にも似たものを表現するのだと、小生は先輩のお話から理解しました。
そう考えると、素晴らしい伝統かつ格式の高い、「名拍手演技」ですよね。
小生の目に狂いはなかったこと…先ずは安堵しました。
このお話をお伺いした後では、『嵐の拍手』を観覧する姿勢も、これまで以上に変わりますね。
まさに、「神がかり的」な拍手演技なのですから…当然ですよね。
来年も、『六旗の下に』を観覧希望なさっている読者の皆さん…是非、このことを頭の片隅において、『嵐の拍手』をご覧になってみて下さい。
きっと今年以上の「感動」や「感じ方の違い」が実感できると思います。
(今年の北出君と、来年演じる予定の現在3年生リーダー部員との「技量」の優劣はとりあえず抜きにして、『嵐の拍手』を観覧すると良いかもしれませんね。)
ところで、『校歌』や『嵐の拍手』をはじめ、明治大学の各応援歌などのテクを上級生から下級生に教えるタイミングもあるそうです。
この部分も、29日に、先輩からコメント欄を通じて、訂正の要請がありました。
間違いを正すことは、先にお話した理由から、本エントリーに関しては非常に重要ですので、ここで本件も、先輩がコメント欄にご教示くださったように、エントリー時の内容から、訂正させていただきます。
『嵐の拍手』は、リ-ダ-長から3年生に教えるのは、夏合宿の最終日に行われる、リ-ダ-部,吹奏楽部,チアリ-ディング部の『3部合同練習』の前日だそうです。
このとき1年生は、副團長から第2応援歌『血潮は燃えて』のテクを、2年生は團長から『校歌』のテクを、そして3年生は先述の通り、リ-ダ-長から『嵐の拍手』のテクを教わり、この練習はほぼ半日をかけて行わるそうです。
(『学年別練習』と呼ばれるようですね。また勉強になりました。)
そして、この成果を最終日の合同練習の最後の『明治大学校歌』の前に、幹部の前で披露するようです。
なんと、その日は朝9時に練習が始まり、夕方日が暮れるまで「ぶっ通し」で行われるそうです。
夏ですから、当然炎天下。「倒れる」下級生も多いそうです。
(今は「熱中症」で、ちょっとのことで倒れたりしたら、大きな問題となりますが、先輩はもちろんのこと、小生が現役当時は、「熱中症」といった単語さえない時代でした。過酷を極めたことは、想像に難くないですね。)
そして、幹部の前で、この練習の成果を披露するのは…
①1年生が第二応援歌『血潮は燃えて』のリ-ダ-を初めてつとめ…
②2年が第一応援歌『紫紺の歌』のリ-ダ-をつとめ…
③最後に3年が『嵐の拍手』のリ-ダ-をつとめる…
といった順番なのだそうです。
この頃になると、「難しい」、『嵐の拍手』のテクを間違えたり、「見栄」の型がへっぴり腰だったりしても、4年リーダー幹部には笑顔や笑い声が出てくるようで、実に、微笑ましい光景ですよね。
厳しさの中に、下級生に対する「愛情」が感じられますから。
下級生の練習成果の披露の後に、リ-ダ-長が『紫紺の歌』のリ-ダ-をつとめた後、伝統極めつけの『嵐の拍手』のテクを振ります。
この時、鼓手をつとめるのは、最も太鼓の上手な3年生だそうです。
大正13年創始の三・三・七拍子,昭和24年創始歴代リ-ダ-長が伝えてきた秘伝のテク『嵐の拍手』だけに、團長以下3部員一同「最大の敬意」を払うそうです。
そして、最後の最後は、團長の『明治大学校歌』で締めるそうです。
改めて、想像するだけで、凄い迫力ですね…。
その後の、3パート(東京六大学の応援団は、基本的に『リーダー部』『吹奏楽部』『チアリーディング部』の3パートを全てあわせて『応援団』という組織となります)が肩を組んで、学生歌『都に匂う花の雲』の大合唱で「三部一体」となる光景…。
もう、言葉は要りませんね。
これぞ、『応援団』のスピリッツです。
先輩は、その他にも「応援」の心構えとして、先ほども少し触れましたが…
「『応援』とは、魂を伝えることであり、決して「守り」や「勝ち負け」などない」
「したがって、『応援』とは、『神』の世界を表現するもの」
などを、小生に熱くお話下さいました。
こんな小僧の小生に、「山口からご苦労さん」とお声をかけ、こんな貴重なお話をお聞かせ下さり、ブログの記事としてエントリーしても良いとのご了承も頂けるとは…本当に深謝です。
また、先輩が『応援』について語るときは、本当に熱い情熱を感じることができました。
自称『応援団バカ』ですが、小生の「熱さ」なんて、先輩のそれに比べたら、足元にも及びません。
そして、先輩は最後に、以下のようにおっしゃいました。
「確かに、明治で團長になったけれど、俺の『応援』のルーツは、やっぱりここ、春日部高校の応援指導部なんだよ。だから、ここに来るのさ。」
またまた、言葉は要りませんね。
小生も、ブログウォッチングなどをしながら、確かに「自分探しの旅」はしますが、最終的に戻る「故郷」は『応援団バカ』であり、そのルーツは、この応援指導部にあります。
先輩のお話から、それを改めて、小生自身も知ることができました。
「T先輩と言われし男」先輩…本当に、貴重なお時間を割いてお話下さり、ありがとうございました。
そして…特に『六旗の下に』を観覧なさった、応援団ファンの読者の皆さん…いかがだったでしょうか。
本エントリーに関し感想などを、遠慮なくコメント欄に残していただけましたら、管理人としてこの上ない喜びに存じます。
もちろん、「応援団」の世界とは全く無縁の読者の皆様からの感想も、ウェルカムです。
来年も『六旗の下に』は開催されます。
今度こそ、読者の皆さんと近い場所で、同じ雰囲気を味わい、終演後は、時間の許す限り、皆さんと感想を語り合いたいと、改めて思う次第です。
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追記
実は、WB先輩から以前…
「早慶戦で、7回のエール交換の際、早稲田のメインリーダーが、指揮棒を持つのは何故でしょうか」
とのご質問を受けました。
6月10日のOB会では、早稲田大学応援部でリーダー長に就任した12年後輩のKHも出席していたので、本件をKHに取材してみました。
KHも、詳細までは理解していないそうですが、「早稲田にとっても、早慶戦は特別な位置付けで、メインリーダーがメインに立つ場合は、学生を“指揮する”立場にあるので、崇高な早慶戦に限っては、学生を“指揮する”という意味から、7回のエール交換では、メインリーダーが指揮棒を持つことになっている。ただし、他大学の時には行わない行為…」との回答を頂きました。
各大学に、それぞれ「格式の高いしきたり」は、あるのですね…。
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そのOB会の時に、小生の13年先輩で、明治大学応援團の團長を歴任された、ハンドルネーム「T先輩と言われし男」先輩から、大変貴重な「明治大学応援團の『テクの動作の意味』」に関するお話を拝聴しました。
小生がブログを開設していることを「T先輩と言われし男」先輩にお話ししたところ、先輩から内容について記事にすることをご了承頂きました。
先輩からご了承を得たことを受けて、記事をエントリーすることを先月に予告もしています。
これを受けて、小生のブログの読者のくりはらさんからは…
「楽しみにしております」
というコメントを頂戴しておきながら、小生自身にその後、時間的、体力的、現業との絡みもあって、長らくお待たせしてしまいました…。
大変申し訳ない気持ちで一杯です。
この記事を楽しみになさっていた、実際にお話いただいた「T先輩と言われし男」先輩はもちろん、「T先輩と言われし男」先輩と同級生で、時々小生のこのブログにコメントを頂戴するWB先輩、そして、KOFさんをはじめとする『六旗の下に』を観覧なさった、東京六大学応援団に興味がおありの読者の皆さん…大変お待たせしました。
ブログネタ帳の「走り書きメモ」を解読しながら、ようやく記事が完成しましたので、早速お話しましょう。
なお、最初にお願いしておきますが、内容に万が一聞き違いや、聞き損じ、あるいは理解違いがある点がございましたら、「T先輩と言われし男」先輩…遠慮なく、ご指摘・ご指導いただければ、大変幸甚に存じます。
(間違ったことをお話しては、明治大学応援團の現役の皆さんや、OBの諸先輩方に対しても、大変失礼に当たります。その際は、可及的速やかに加筆・訂正します。)
先ずは、「T先輩と言われし男」先輩も團長に就任されたお立場から、そのテクを極めていらっしゃる、『明治大学校歌』についてです。
「T先輩と言われし男」先輩が、明治大学応援團の現役の團長だった当時、先輩の後輩の方々(小生から見た場合、およそ7年や6年ほどの先輩方が該当されます)が、明治大学応援團主催のステージ演技披露会の『紫紺の集い』などに出かけられ、先輩の振る『校歌』のテクを、ライブで観覧なさっています。
その皆さんのほとんどが「先輩の頭が微塵も動かず、優雅な手の振りに憧れた」と感想を残しています。
それほど「T先輩と言われし男」先輩のテクは、洗練されていたことが、小僧の小生でも容易に理解できます。
さて、先輩のお話では、基本的に…
「明治には、肩から下の位置に腕を下げるテクは存在しない」
そうです。
肩の筋力はもちろんのこと、精神力や、『応援』に賭けるスピリッツがなければ、絶対に振ることができない、「非常に崇高で、力強く、しかも可憐な」テクに仕上がっている証拠ですね…。
実際、その観点で『第53回 六旗の下に』のDVDを再確認しながら観てみると…校歌に関しては、本当にその通りです。
また、テクの最中に、「腕を顔の前で交差する」テクが『校歌』には随所に登場しますが、その時の基本形は、以下の写真の通りなのだそうです。
つまり、右手と左手の掌の形が違っているのです。
これには今まで気付きませんでした…。不勉強ですね…。
そこで、同様に『第53回 六旗の下に』のDVDをこの観点でも確認しました。
このときの明治の團長は平原 真伍 君ですが、よ~く目を凝らして観ると、確かにその通り、基本を忠実に守っていることが、確認できました。
DVDの画像を引用して掲載しましたが、ご覧のように、小生自身が先輩からご教示頂いて、家内に手伝ってもらって撮影した1枚目の写真と、確かに同じ形になっていますよね。
ただ、このように、左右の掌の形が何故違うのか…という点は、意味が必ずあるはずと思いますが、聞き損じました…。
(先輩のお話に聞き惚れてしまい、疑問が湧く暇がなかったというのが実情です。)
申し訳ありません。
(ですが、28日に、先輩からコメント欄を通じて本件に関してもご教示いただいています。是非コメント欄をご一読下さい。)
次に、明治大学伝統極めつけの、『嵐の拍手』についてです。
この拍手…小生の中でも「東京六大学…いや、日本にある大学一の拍手演技」と位置づけています。
極めれば極めるほど、格好良く、そして、迫力が出る名拍手演技です。
高校3年間、応援団を続けて、初めて拝見したときも、OBとなった現在になって改めて観ても、その位置付けは全く変わらないですね。
精神力、体力、身体能力…全てが「強靭」でなければ、決して振ることができない拍手演技であることは、パッと見て理解できます。
ですので、歴代リーダー長のみが振ることを許される…というのも、納得できます。
6月9日に、『六旗の下に』を観覧された読者の皆さんは、どうお感じになられたでしょうか。
この写真は、昨年度リーダー長の林 明良 君が『第53回 六旗の下に』で披露した、『嵐の拍手』の前半、二拍子に入る前の「構え」です。
今年の『第54回 六旗の下に』では、北出 怜 君が披露しましたね。
ちなみに、先輩がこのブログのコメント欄で、先日おっしゃっていましたが、明治の場合、「二呼一拍」が基本形となっているようです。
これも不勉強でした…。
この『嵐の拍手』の動作にも、当然、動作の一つ一つに意味があるとのことです。
例えば、この二拍子に入る構え…「歌舞伎の『見栄』」に倣った型なのだそうです。
ところが、三・三・七拍子の動作の意味のお話を先輩がなさっている時に、「トイレ休憩」で中座をしてしまったので、肝心な部分を、当日はお伺いすることができませんでした。
(ブログネタ帳には、お話をお伺いした6月10日の時点では、三・三・七拍子が実は一番難しく、身体で表現するのが難しいテク…と走り書きはされていますが…。)
本件、昨日の28日に、先輩が丁重にコメント欄にコメントを残されていますので、誤解・聞き漏らしがあった分を、ここで加筆・訂正させていただきます。
『嵐の拍手』のテクの締めの動作の、四股の部分に導入されているのが、「不知火」という型…すなわち、先日終わった、今年の大相撲名古屋場所から横綱に昇進した白鵬 翔 関の土俵入りの型である、「不知火型」と同じようです。
背景は、先輩のご指摘のように、三・三・七拍子を考案された初代團長が、相撲部だったことに由来するようです。
大相撲の横綱の土俵入りにも、七五三縄(しめなわ)に型によって縛り方に違いがあますが、当然、その動作の一つ一つにも意味があるはずです。
そう考えると、とても崇高ですよね。
ところで、二拍子は、写真の林君のこの構えから、足腰の構えは崩さずに、両腕の掌で、地を掴んでは天に翳し、天を掴んでは地に下ろす…これを繰り返しています。
(『六旗の下に』を観覧なさった読者の皆さん…思い出してみてください。)
すなわち、「天」と「地」は、「この世」を繋ぐ大切な存在で、これをメインリーダーの腕一本によって、交差させながら繋ぎ合わせる…。
そして、その時に、その「この世」には必ず『嵐』が起きては、やがてその『嵐』は去る…その繰り返しが、テクとして表現されている…。
このお話の内容も、先の「構え」の意味同様、崇高ですよね。
以上のお話を先輩から拝聴した時は、決してお金で買えない、凄く貴重なことをご教示いただいた気がしました。
スピリチュアルな話にはなりますが、『嵐の拍手』のテクは、実は、人間がこの世に生を受け、死を迎えて天に召される「輪廻」にも似たものを表現するのだと、小生は先輩のお話から理解しました。
そう考えると、素晴らしい伝統かつ格式の高い、「名拍手演技」ですよね。
小生の目に狂いはなかったこと…先ずは安堵しました。
このお話をお伺いした後では、『嵐の拍手』を観覧する姿勢も、これまで以上に変わりますね。
まさに、「神がかり的」な拍手演技なのですから…当然ですよね。
来年も、『六旗の下に』を観覧希望なさっている読者の皆さん…是非、このことを頭の片隅において、『嵐の拍手』をご覧になってみて下さい。
きっと今年以上の「感動」や「感じ方の違い」が実感できると思います。
(今年の北出君と、来年演じる予定の現在3年生リーダー部員との「技量」の優劣はとりあえず抜きにして、『嵐の拍手』を観覧すると良いかもしれませんね。)
ところで、『校歌』や『嵐の拍手』をはじめ、明治大学の各応援歌などのテクを上級生から下級生に教えるタイミングもあるそうです。
この部分も、29日に、先輩からコメント欄を通じて、訂正の要請がありました。
間違いを正すことは、先にお話した理由から、本エントリーに関しては非常に重要ですので、ここで本件も、先輩がコメント欄にご教示くださったように、エントリー時の内容から、訂正させていただきます。
『嵐の拍手』は、リ-ダ-長から3年生に教えるのは、夏合宿の最終日に行われる、リ-ダ-部,吹奏楽部,チアリ-ディング部の『3部合同練習』の前日だそうです。
このとき1年生は、副團長から第2応援歌『血潮は燃えて』のテクを、2年生は團長から『校歌』のテクを、そして3年生は先述の通り、リ-ダ-長から『嵐の拍手』のテクを教わり、この練習はほぼ半日をかけて行わるそうです。
(『学年別練習』と呼ばれるようですね。また勉強になりました。)
そして、この成果を最終日の合同練習の最後の『明治大学校歌』の前に、幹部の前で披露するようです。
なんと、その日は朝9時に練習が始まり、夕方日が暮れるまで「ぶっ通し」で行われるそうです。
夏ですから、当然炎天下。「倒れる」下級生も多いそうです。
(今は「熱中症」で、ちょっとのことで倒れたりしたら、大きな問題となりますが、先輩はもちろんのこと、小生が現役当時は、「熱中症」といった単語さえない時代でした。過酷を極めたことは、想像に難くないですね。)
そして、幹部の前で、この練習の成果を披露するのは…
①1年生が第二応援歌『血潮は燃えて』のリ-ダ-を初めてつとめ…
②2年が第一応援歌『紫紺の歌』のリ-ダ-をつとめ…
③最後に3年が『嵐の拍手』のリ-ダ-をつとめる…
といった順番なのだそうです。
この頃になると、「難しい」、『嵐の拍手』のテクを間違えたり、「見栄」の型がへっぴり腰だったりしても、4年リーダー幹部には笑顔や笑い声が出てくるようで、実に、微笑ましい光景ですよね。
厳しさの中に、下級生に対する「愛情」が感じられますから。
下級生の練習成果の披露の後に、リ-ダ-長が『紫紺の歌』のリ-ダ-をつとめた後、伝統極めつけの『嵐の拍手』のテクを振ります。
この時、鼓手をつとめるのは、最も太鼓の上手な3年生だそうです。
大正13年創始の三・三・七拍子,昭和24年創始歴代リ-ダ-長が伝えてきた秘伝のテク『嵐の拍手』だけに、團長以下3部員一同「最大の敬意」を払うそうです。
そして、最後の最後は、團長の『明治大学校歌』で締めるそうです。
改めて、想像するだけで、凄い迫力ですね…。
その後の、3パート(東京六大学の応援団は、基本的に『リーダー部』『吹奏楽部』『チアリーディング部』の3パートを全てあわせて『応援団』という組織となります)が肩を組んで、学生歌『都に匂う花の雲』の大合唱で「三部一体」となる光景…。
もう、言葉は要りませんね。
これぞ、『応援団』のスピリッツです。
先輩は、その他にも「応援」の心構えとして、先ほども少し触れましたが…
「『応援』とは、魂を伝えることであり、決して「守り」や「勝ち負け」などない」
「したがって、『応援』とは、『神』の世界を表現するもの」
などを、小生に熱くお話下さいました。
こんな小僧の小生に、「山口からご苦労さん」とお声をかけ、こんな貴重なお話をお聞かせ下さり、ブログの記事としてエントリーしても良いとのご了承も頂けるとは…本当に深謝です。
また、先輩が『応援』について語るときは、本当に熱い情熱を感じることができました。
自称『応援団バカ』ですが、小生の「熱さ」なんて、先輩のそれに比べたら、足元にも及びません。
そして、先輩は最後に、以下のようにおっしゃいました。
「確かに、明治で團長になったけれど、俺の『応援』のルーツは、やっぱりここ、春日部高校の応援指導部なんだよ。だから、ここに来るのさ。」
またまた、言葉は要りませんね。
小生も、ブログウォッチングなどをしながら、確かに「自分探しの旅」はしますが、最終的に戻る「故郷」は『応援団バカ』であり、そのルーツは、この応援指導部にあります。
先輩のお話から、それを改めて、小生自身も知ることができました。
「T先輩と言われし男」先輩…本当に、貴重なお時間を割いてお話下さり、ありがとうございました。
そして…特に『六旗の下に』を観覧なさった、応援団ファンの読者の皆さん…いかがだったでしょうか。
本エントリーに関し感想などを、遠慮なくコメント欄に残していただけましたら、管理人としてこの上ない喜びに存じます。
もちろん、「応援団」の世界とは全く無縁の読者の皆様からの感想も、ウェルカムです。
来年も『六旗の下に』は開催されます。
今度こそ、読者の皆さんと近い場所で、同じ雰囲気を味わい、終演後は、時間の許す限り、皆さんと感想を語り合いたいと、改めて思う次第です。
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追記
実は、WB先輩から以前…
「早慶戦で、7回のエール交換の際、早稲田のメインリーダーが、指揮棒を持つのは何故でしょうか」
とのご質問を受けました。
6月10日のOB会では、早稲田大学応援部でリーダー長に就任した12年後輩のKHも出席していたので、本件をKHに取材してみました。
KHも、詳細までは理解していないそうですが、「早稲田にとっても、早慶戦は特別な位置付けで、メインリーダーがメインに立つ場合は、学生を“指揮する”立場にあるので、崇高な早慶戦に限っては、学生を“指揮する”という意味から、7回のエール交換では、メインリーダーが指揮棒を持つことになっている。ただし、他大学の時には行わない行為…」との回答を頂きました。
各大学に、それぞれ「格式の高いしきたり」は、あるのですね…。
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