2019年4~5月の記録
固く閉ざされた壁の向こうに佇む天主堂
いよいよグルジャイーニンを旅立つ日が来た。飛行機でカシュガルに向かう。グルジャイーニンからカシュガルへ直行するフライトは週1便しかない。これを逃すと、一旦ウルムチに戻り、トランジットでカシュガルへ飛ぶことになり、時間もカネも浪費してしまう。
第1回で書いたようにグルジャイーニン空港から市街地には公安のクルマで向かった。その時、偶然にもキリスト教の天主堂(教会)を発見した。訪問した土地では、宗派と関係なくキリスト教の教会があれば、可能な限り訪問している。百度(中国の検索サイト)でリサーチすると、中国にも僕と同じ教会巡りをする同好のブログがあって、住所を知ることができたので、帰りに空港に向かう途中で寄ってみることにしたのである。
結果的には、敷地の周囲には高い壁が設けられ、敷地内に入ることもできないどころか隙間から覗くこともできない。イスラームの宗教施設が、封鎖されていることは想像に難くなかったが、キリスト教の施設まで・・・・。上海では、ふつうに入ることもできたし、ミサに参加することもできるのに。
中国共産党政権が、自由な信仰、宗教を許さないのは、当然といえば当然だ。欧米先進国のように選挙で政権が選ばれていれば、政権は曲がりなりにも国民の信任を得ている。だから宗教指導者と意見の対立があったとしても政権は揺らがない。しかし、中国の政権指導者は、広く国民の信任を得ているとは言い難いので、絶対的な存在となり得る宗教を許すわけにはいかないのである。世界の独裁政権は、宗教を禁ずるか、特定の宗教を取り込むかの二者択一になるのだと思う。
僕は、今の中国の(嫌いな表現だけど)民度を考慮すれば、中国共産党の一党独裁を否定する気持ちにはならない。もし、今の中国が、国民1人1人に1票を与える選挙をしたらどうなるか?多くのとんでもない独裁者は、選挙によって生まれているという歴史的な事実を考えれば、火を見るより明らかなことだ。民主主義は、文字も満足に読めず、お金をくれる人に投票してしまう人も、国際政治や経済の知見もある倫理観の高い人も同じ1票なのである。
もちろん、早く中国が自由な信仰が許される国になることを望んでいる。すっかり、政治的な堅い話になったけど、外国を旅することは、そういった現実を知り、考えることでもあると僕は思っている。
敷地の周囲を隈なく廻ったもののまったく忍び込む隙間がなかった。隣接する住宅に入り込んでという選択もない訳ではないが、公安のクルマで空港を往復するようなことは避けたい。
グルジャイーニン市街地
グルジャイーニン郊外
白一色の天山
旅は続く