Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

東トルキスタンの夢と新疆の現実 第14回(カシュガル)

2020-12-06 00:32:15 | 旅行

2019年の記録

写真1: 妹の面倒を見る姉 (2017年夏)

ヤルカンドを一緒に往復したカップルも同じホテル(ヌアランホテル)に宿泊していたので、一緒にホテルまで帰り、再び夕食を共にした。

 

昨晩、Tさんと来たウイグル食堂で、今晩も夕食。カップルの女性がビールを飲みたいと言ったので、付き合いで飲んだ。(男性は下戸なので飲まない) 久しぶりのビールだ。シシ・カワプ(羊肉の串焼き)には、なぜかビールがとても合う。羊肉丸子(ウイグル名不明、羊肉つくねの串焼き)をはじめて食べたが、中々の絶品だった。

 

夕食のあと、カップルと別れ旧市街を散歩。実は、今回、どうしても会いたい人がいた。一昨年の夏にスナップを撮らせてもらった姉妹だ。今までに何度か、スナップを撮った周辺に行ったが、家々の扉は施錠され、誰も歩いていなかったので、再会を半ば諦めていた。最後の悪あがきのつもりで向かった。偶然、中学生の男の子が歩いてきたので、藁をもすがる思いで彼に声を掛け、姉妹の写真を見せて、「彼女たち知っている?」と訊ねると、「知っている」と言って、親切に家まで案内してくれた。彼が扉をノックして声を掛けると、彼女たちの祖父が現れ、事の顛末を説明してくれた。(見知らぬ漢族だか、外国人の男が声を掛けても、おじいさんは扉を開けなかったかもしれない。彼の親切には、ほんとうに感謝しなくてはならない) あいにく姉妹は、両親と出かけていて再会することは叶わなかったが、姉妹のスナップ写真を渡すことはできた。僕は、写真を渡すことができただけでも十分に幸せだった。

 

僕は、このようにスナップ撮影、写真を渡すために再訪を繰り返し、旅先のオヤジや子供と交流してきた。地方で被写体の自宅近くで撮影したスナップ写真は、ある程度の確率で渡すことができるが、都会の貧民窟では、まず再会することができない。理由は、被写体の多くが出稼ぎ労働者やその子供なので、僕が再訪する1年後、2年後には、その土地をすでに去っているからだ。残念だけど、一期一会なのだ。

ギリギリでキューピットになってくれた少年、いつか彼とも再会したい。

 

姉妹のスナップを預かってくれた祖父

とにかく人懐こく、愛嬌があって可愛い姉妹だった。(2017年夏)

 

旅は続く