2019年の記録
市場の肉屋といえば、このスタイル。
山東省から取引先を廻りつつ高鉄を乗り継ぎ、上海へ南下する。
泰山站の周辺をぶらぶらした後にホテルへ戻るために待てども暮らせどもタクシーが来ない。以前だったら駅前のタクシープールには、客待ちのタクシーが溢れていたのに。タクシーは高鉄の泰安站に移ったのだろう。三輪タクシーで、5ツ星に乗りつける訳にもいかず、2元のバスを待ち、勝農貿市場前で下車、市場を抜けてホテルに帰った。
夜は、総経理に出世したS君と10年ぶりに泰安に再赴任したH君と旧交を温めた。話題は、泰安にも“本物の日本料理屋”ができた話に始まり、泰安10年の変貌の話に尽きた。とても楽しい時間だった、でも、このような話が楽しくなるって、年とったってことか?
注意‼6枚目の写真、グロテスクです。弱い人は、スルーしてください。
翌朝、出勤前に勝農貿市場に散歩に行くものの、ちょっと遅かったためかガランとしていた。売り場と通路の間にガラスの仕切りが付いて、整備されていた。肉屋は、相変わらずのスタイルだが、鶏肉屋は、大きく様変わりしていた。以前は、生きた鶏が、籠に入れられていて、客が気に入ったのを指さすと、絞めて羽根を抜き大雑把に解体して渡してくれる。写真のように羽根を抜いた状態で陳列されている。
目の前で絞めるのは残酷で文明国家にあるまじき行為というのかもしれないが、目の前だろうが、知らないところでだろうが、鶏肉を食べるためには“絞める”という工程は避けて通れない。多くの動植物の命を頂くことで、人は生きていくことができるという現実から目を背けるべきではないと思う。だから食材は、美味しく調理し、食べ残しを回避すべきと思う。中国の地方では、依然として客が食べきれない量の料理を振る舞い、食べ残すことが、客の礼儀になっていることは、僕の中国の嫌いなところだ。(沿海都市部では、“もったいない文化”の浸透が始まっているし、宴会の残った料理をテイクアウトすることは、日本と違って、一般化している。) 話は飛躍するが、日本のテレビは、大食い選手権とか激辛選手権といった類の番組を放映しているが、僕は生理的に受け入れられないのチャンネルを即座に変えてしまう。とは言っても、ビジネスツールだとか、何とか言って、浴びるほど酒を飲むこともあるので、「けしからん、禁止だ!」と言える立場ではないことを承知している。
懐かしい泰安の工場に行くと、悪ガキっぽかった溶接工のW君は、立派な班長になっていたり、通訳として入社したM君に現場で会って、「少しも変わってないね」と言ったものの、ヘルメットを外すと、すっかり頭が涼しくなっていたりと。中国の会社は、人の出入りが激しいというが、それは沿海都市部の話で、地方には就職先も限定されるので、僕の会社は、そんなに高給好待遇ではないものの人は定着している。
昼前には、クルマで済寧の取引先へ、夜の宴会をして一泊。翌日早朝無錫へと南下し、取引先を訪問。さらに常州へ移動し、また宴会、宿泊。そんなことを繰り返し上海に戻り一泊。上海の事務所で午前中に打合せ、慌ただしく日本へ。
年末年始は、日本国内をウロチョロして、春節明けには、大連での仕事もあれば、元部下の結婚式が上海である。年明けには、早めにパスポートの更新もした。ところが、ところが、春節の頃から「中国に行くのは・・・・・・」などといった話が出始め、まさかの日本幽閉生活が始まることなど、あたりまえだが、夢にも思っていなかった。まっさらのパスポートは、1年以上使われることなく、引き出しに眠っている。
旅は続く