Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/防災行軍 第2区間

2021-12-05 13:41:26 | 旅行

2021年の記録

 

11月初旬の「てくてく帰宅プロジェクト」の第1区間に続く、第2区間(ワラビスタン~東鷲宮)を11月下旬に歩いたときの記録。

 

 

東京から栃木県まで、ひたすら歩くだけの酔狂なことをやっている訳は、前回既述した通り防災訓練だ。今さらながら、冷静に考えると、職場から居宅のワラビスタンまでの歩行トライアルは、それなりに意味がある。職場で被災し、鉄道がストップした時に職場に残るか、帰宅するかの判断基準になるからだ。しかし、居宅に戻ってしまえば、「歩いてまで自宅に戻る意味あるのか?」 そりゃ、自宅が倒壊して家人が死にそうだとかといった特別の事態になれば別だが、東日本大震災クラスであれば、鉄道が復旧するまで待てば良いだけのことだ。

 

半ば目的を失い、僕自身の肉体的好奇心(競歩50キロより長い距離を歩く経験) だけが残った。いやいや、そんな好奇心は、そんなに強くない。「じゃぁ、やめれば」と周囲は、言ってくれるが、自分自身、治まりがつかなくなってしまったのだ。まぁ、思い起こすと、僕の人生、こんなことばかりだった。

 

大きく脱線するが、僕は高校を卒業したら地方公務員になって競技を続け、競技を引退したら有休を使って、出世とか考えずに気ままな人生を送るつもりだった。ところが、中学の恩師のことが頭から離れず、教員になって後進の育成などと考えてしまったものだから大学に行かざるを得なくなった。ところが、ところが、教員になることを決めると、教員の両親兄弟のイヤらしい表と裏が目につくようになり、教員志望をキッパリ辞めた。元の地方公務員志望に戻れば良いものを受験戦争に参戦していたばかりに、今さら敵前逃亡できなくなり大学に行くことになってしまった。

 

閑話休題、前夜、久しぶりに復活した取引先の接待で、軽く飲んで午前様になっていたため、快晴ながら9時半スタート。

 

 

国道17号線をひたすら北上したのち新幹線高架脇を歩き、埼玉県道3号線にぶつかった後は、さらに北上を続け、国道125号線を経由し国道4号線に入れば、淡々と北進するだけの極めてシンプルな全行程約76キロルートである。(第1区間同様、グーグルマップを使わず、メイン道路を歩く。)

 

 

ワラビスタンの居宅近くの三学院門前、真っ青な空の下、快調に歩く。

 

ワラビスタン~下野、約75キロを一気に歩き、50キロ超の未知の領域を体感するのが、スタート時点の目標だったが、既述の通り、誘われると断れない意志薄弱と自身の意志と体力への過信からスタート早々に怪しくなる。

 

 

全国の市の中で最も面積が狭く、人口密度は全国の市町村で最も高い蕨市は、ちょっと歩くとさいたま市。さいたま市は、合併で誕生した巨大な市であるため、歩けども歩けども終わらない。

 

 

さいたま市の行政の中心は、埼玉県庁もあった旧浦和市域。(商業の中心は旧大宮市域)

市民ギャラリーとなっているが、巨大公衆トイレに見えなくもない。(奥にトイレがあり、早々に利用させて頂きました。・・・笑)

 

 

さいたま市中心部へ近づく。この頃、左足付け根が痛くなり、どうなることかと不安になったが、僅かのトイレ休憩で、嘘のように痛みは消える。写真の建物は、宗教施設を模した結婚式場。

 

 

高崎線を跨ぐ大成跨線橋を渡ると、さいたま市中心部からベッドタウン的な街になるも、依然として、さいたま市、長~い。

 

 

東京から歩き続けた国道17号線を離れ、新幹線高架脇に進む。

 

 

新幹線高架下の宮原公園で軽食。ギターの練習をしている初老の男性がいたり、子供を遊ばせる家族連れがいたりと穏やかな時が流れる。次に来たときは、震災の惨状なんてことにならないことを祈る。

 

 

埼玉県道3号線が単調なことは、想定済だったものの、やはり辛い。さいたま市をやっとこ抜けても、上尾市、伊奈町、蓮田市・・・・と郊外の単調な風景が続く。

 

 

蓮田市を抜け、白岡市に入り星川を渡る頃には、西の空が紅く染まる。日中は、汗をかくほどだったが、気温が低下してくる。そろそろ、第2区間ゴール、つまり下野市直行断念の落としどころ考えなくてはならなくなってきた。「何とか工程半分の栗橋までは歩きたい」、「栗橋まで歩けば、埼玉県境は目と鼻の先、茨城県の古河まで頑張れる」、「古河まで歩けば、50キロ突破も目前・・・・・」といった思いが錯綜する。

 

 

体力、気力とも、余裕があるものの、日が暮れると、想像以上に歩行環境が悪化する。つまり、歩道のない区間がある、街灯もなく足元が見えない、そもそも、歩行者の存在など、クルマやバイクは想定していないので、認知されているのかの不安が高まる。

「これで、事故にあったら洒落にならない。僕の酔狂に同情もされないことだろう。」 

ルートから距離の少ないJR東鷲宮駅を目指す勇気ある決断をした。(歩行距離:約34キロ)

 

今、考えると、「日が暮れたら、チョー怖いよ。日照時間の長い6月まで、待った方が良い。」の息子の助言は正解だった。(息子は夜間、自転車で東京から帰宅している。) まぁ、老いたつもりはないけど、「老いては子に従え」だな、とは言っても、残り42キロは、年内に完歩したい。明るくなる6時ごろに東鷲宮駅をスタートすれば、日没前はムリでも、土地勘のある栃木県内に到達できるはずだ、乗りかかった舟からは降りられない。

 

 

【メモ】

中国の女子テニス選手・彭帥事件、正直なところ、オミクロン株の登場(11月下旬)まで、どうして、あそこまでメディアが騒ぎ立てたのかを理解できない。

中国は西側諸国と違って、前副首相のスキャンダルをSNSに告発すれば、とんでもないことになることぐらい彭帥さんが理解していない訳がない。なぜ、件の告発をしたかと言えば、現政権側(張高麗前副首相は、現政権の対抗勢力)の誰かの指示か、強い圧力があったからだろう。それに従って、告発したのだからそれなりの安全は守られる。しかし、彭帥さんに何もかも(現政権の指示、圧力)喋られたら、それは、困るので、それができないように拘束しているのだ。

現政権側の火付け役は、あくまでも対抗勢力潰す国内問題のつもりで仕組んだはずの謀略が、想定外の国際人権問題、北京オリンピックボイコット問題へと発展したため、大慌てになっているのだろう。

中国の人権問題を好しとするつもりはないが、何だか、ちょっとずれている気がする。

 

 

旅は続く