Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/諏訪

2021-12-18 20:53:20 | 旅行

2021年の記録

 

コロナが下火の11月末、息子夫婦が住んでいる諏訪を散策したときの記録。

 

 

8月にこっそり見に行った息子夫婦の土地に住宅の建設が始まり、来年3月に竣工する。新居は、諏訪から離れた伊那谷なので、諏訪に息子夫婦が住んでいる間に諏訪を散策することにした。諏訪までは、レンタルの軽キャンパーを使ってみた。

 

 

下野市から諏訪に行くルートは、上信越道~メルヘン街道を経由するルート(前回走行)と圏央道~中央道を経由するルートがある。凍結もあり得る時季と軽キャンパー利用ということもあって、距離は長いが、安全な後者で往復した。

 

 

下諏訪町は、諏訪湖北岸に位置して、南側が諏訪市、西側が岡谷市である。諏訪大社下社の周辺は、しっとりとした静かな街で、朝の冷涼な空気感が似合う。大通りを繋ぐ無数の露地があり、建物はまったく違うが、カシュガル(中国・新彊ウイグル自治区)の旧市街を散策していた時のことを思い出した。

 

 

諏訪湖東岸に建つ片倉館は、片倉財閥(製糸業から発展、戦後の財閥解体で解散となった)が建設した千人風呂を核とした温泉施設(現役)で、国重要文化財に指定されている。映画テルマエ・ロマエ2の撮影場所の1つに採用されている。

 

 

夕食には、岡谷市の名店「水門」で、鰻の蒲焼を食べた。息子の薦めで鰻重(極上)蒲焼七切を頼むも、さすがに食べきれず、息子に一切れ食べてもらった。(結果、息子は、八切完食) 

鰻は好物中の好物、「もう食べられない」まで食べた訳で、鰻好き冥利に尽きる。後にも先にも鰻を残すことはないだろうから良い思い出になった。

関西風の鰻の蒲焼は、初めてだったが、皮がパリッとしていて、関東風と違う美味しさがある。

 

 

諏訪高島城は、1592年(文禄元年)から1598年(慶長3年)にかけて、諏訪湖東岸に築城された。1875年(明治8年)に天守閣以下大部分の建造物は破却もしくは移築され、一時は石垣と堀のみとなったが、1970年(昭和45年)には本丸に天守・櫓・門・塀が復元された。

日本の城は、白黒基調が多いなか、諏訪高島城天守閣は、肌色が目立つ珍しい色合いである。

 

 

件の息子が生まれた頃は、自作のキャンピングカーに乗っていた。ワンボックスバンを改造したものだが、2000cc超の排気量があった。今回は、軽バンベースである。危惧していた通りに高速走行は辛い。坂の多い中央道では、アクセルをベタ踏みにしないと時速80キロが限界、一車線の圏央道では、後続車の“圧”を感じる。結果的には、軽キャンパーを買うことにならずに良かったということになった。

 

 

次の信州は、息子夫婦の住宅完成の時だろう。僕も息子も20代中頃に家を持った、35年ローンだと息子は言っていたが、「まぁ、頑張ってくれ!」というだけだ。息子も海外赴任の可能性もあるが、その時は、その時と、割り切るしかない。

 

 

旅は続く