Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第13回

2022-02-20 23:02:06 | 旅行

2022年の記録

 

 

東京復活大聖堂は、カトリックの聖堂と趣きの異なる正教会らしい聖堂である。

 

 

1月、まん延防止措置の最中でも、休日に抜けるような青空が続くと、大人しくしていられない。後ろめたさと細心の注意をして散策。まぁ、休日の空いた電車で、オフィスのある東京駅より1駅手前の神田駅で下車する。その後は、人通りの少ない都心をテクテク歩き、昼前に下車した神田駅のさらに1駅手前の秋葉原駅にゴール。昼食は帰宅して食べたので、マスクをずらしたのは、途中の水分補給時だけ、ステイホームよりリスクはあるが、ローリスクと思っている。

 

 

近衛師団司令部庁舎は、1910年(明治43年)に煉瓦造二階建、スレート葺、中央八角塔屋付として竣工した。全体を簡素なゴシック風にまとめられた明治時代の煉瓦造官庁建築の一典型である。1966年(昭和41年)の北の丸地区整備にあたり、取り壊しの運命にあったところを「明治洋風煉瓦建築の一典型」と惜しむ声が上がったため、国指定重要文化財として残された。

その後、東京国立近代美術館工芸館が石川県に移転する2020年(令和2年)まで、分館として利用されていたが、今は、閉ざされた敷地の外から眺めるのみ、美しい煉瓦建築だけに残念である。

 

 

近衛師団司令部庁舎から武道館の脇を抜けて、しばらく歩いたところに東京ルーテルセンター教会がある。装飾が排除されシンプルな外観であるが、1937年(昭和12年)竣工の歴史的建造物である。現在、東京ルーテルセンター教会として使われているモダンな白亜の聖堂であるが、元々は、日本神学校の校舎兼聖堂として建てられたものである。

 

 

駐日フィリピン大使館公邸は、1935年(昭和10年)にスペイン風の造りにルネッサンス風、ゴシック風、和風建築が組み合わせた安田家邸宅として竣工された。1944年(昭和19年)にフィリピンへ売却され、以来、同国の大使公邸として使用されている。、2013年(平成25年)にはフィリピン国外における国家的歴史建造物の第1号に指定されたが、依然として現役であるため、敷地外から眺める。

 

 

カトリック神田教会は、弊ブログで紹介済のため、詳細説明は割愛する。1928年(昭和3年)竣工、2002年(平成14年)、国の登録有形文化財に登録された。

黒ずんだ外壁が古さを感じさせるとともに造形の美しさにうっとりする。

 

 

日本ハリストス正教会東京復活大聖堂も何度も紹介済のスポットである。東京でロシアの風を感じられるところだ。同じ敷地にある信徒会館(旧ニコライ学院)の前には、クラシカルなメルセデスが駐車していた。

 

 

御茶ノ水から総武線に沿って、定期区間の秋葉原へと歩く。総武線の高架そのものが、煉瓦造の歴史的建築物である。

 

 

【メモ】

北京オリンピックを複雑な気分で見ている。日本選手の爽やかな笑顔で、競技を楽しんでいる。僕の現役時代の頃までは、それがなかった。国家を背負い、悲壮なまでの決意で競技に望む。競技を楽しみたいなどと言ったら、不謹慎だと叱責される。それじゃぁ、勝てるものも勝てないだろうな、今思うと。

その一方で、失格や事故的なミステイクの続出が多すぎる。開催地が中国であることに結びつける根拠はないが、どうにも胡散臭い。そもそも、聖火の最終ランナーにウイグル族選手を起用する感覚が、ウイグル人権問題を非難する西側諸国の感性を理解していない証拠だ。

 

 

旅は続く