2022年の記録
平均すると週1回の頻度で、群馬県に出張している。そんな日常の中にある旅の記録。
早朝出発し、出張先に入る前に前橋カトリック教会へ。B.C.(Before.Covid.)に1度訪問している。
前橋カトリック教会は、司祭・内野作蔵が、「前橋一高い建物」として、1932年(昭和7年)に現在の聖堂を建設した。第二次世界大戦の前橋空襲で被害は受けたものの、奇跡的に焼け残った前橋の歴史を伝える貴重な建物で、国登録有形文化財指定されている。
朝の強い斜光のため隣接するビルディングの影が映り込んでしまい、ちょっと残念。
一方、バランス良く整った聖堂内は、とても美しい。
1895年(明治28年)に上野鉄道(こうずけてつどう)として設立され、1897年(明治30年)に開業し、同年中に高崎 - 下仁田間が全通した。現存する日本の私鉄路線のなかで、法人として存続する東日本最古の私鉄でもある。
下仁田から余地峠を越えて佐久鉄道(現:JR東日本小海線)羽黒下駅まで延伸する計画を立て、1921年(大正10年)上信電気鉄道へ社名変更したが、世界恐慌により頓挫。鉄道の延伸は実現していない。
現在は、私鉄、国鉄の中古車両をワンマン運行し、交通系ICカードは一切使用できない。無人の途中駅も多いが、有人駅の改札は、駅員が立つ。
写真は、有人駅の吉井駅。
手前にあるデキ1形は、1924年にシーメンス・シュッケルト (車体はM.A.N社製)より輸入された電気機関車である。観光庁の既存観光拠点の再生・高付加価値化推進事業(交通連携型)約2700万円の交付を受けて動態保存に向けて整備されることになった。
奥側は、1955年(昭和30年)に廃車となった日本国有鉄道(国鉄)ED31形6号機(元 伊那電気鉄道デキ1形電気機関車6号機)を譲受して、自社工場で車体・機器の改造を行った後、導入した。
いずれの車両も、現在は、高崎駅構内で留置されている。
250型は、1981年(昭和56年)に新潟鐵工所製新車で登場した通勤形電車である。
夜間、赤羽カトリック教会の聖堂内には、入堂できないため訪問することがなかったが、仕事帰りに外観を見に寄ってみた。
【メモ】
通勤で行く東京駅では、キャリーバックを曳いた訪日外国人観光客が目立つようになってきた。(日本人旅行者も激増している) インバウンド消費で、観光業が元気になることは悪いことではないが、その先に疲弊が待っている気がして手放しで喜べない。
飲食・宿泊・小売業などの観光業は、サービス業、まさに人件費の塊だ。しかも、飲食業の低賃金が、問題視されていることはみなさんもご存知だろう。生活費が労働力の燃料と表現するのは乱暴かもしれないが、円安影響で生活費が増加しているにも関わらず賃金が増えないのは、飲食業も例外ではない。円安が続けば、繁忙も続くが、生活費の増加も続き、まさに「働けどはたらけどなお、わがくらし楽にならざり」である。
僕自身も例外ではないが、日本人、日本社会は、平等意識が強い。客が金持ちか貧乏人か、日本人か外国人かで、サービスの対価に差をつけることに違和感を覚えるかもしれない。「外国人料金を設けるとインバウンドに水を差す」と心配する人もいるが、ほんとうに日本が魅力的であれば、そんな心配はないはずだ。低賃金由来のサービスの大安売りを続ければ、観光業は、疲弊する。家電などの製造業が、歩んだ道と同じ道を進むことを危惧している。
旅は続く