2023年の記録
7月と8月、2つの自宅から1.5時間圏内のプチ散策の記録。
8月の盆休み前までは、雲一つない晴天が続いていた。僕の好みでは、白い入道雲のアクセントが欲しいところだ。
撮影旅行シーズンである7月、8月であるが、私事の弔事(義父葬儀と相続問題、昨年に続き30年来の友人葬儀)が続き、さすがの僕もカメラ片手に放浪できなかった。記録的極暑が続いたものの8月の中旬以降は、真っ青な空と映える白雲のある僕好みの天気が続き、夕焼けも西の空が美しい紫色に染まる日が続いたので、残念に尽きるが、これも運命。行けないところには、行けない、行けるところで、楽しめばよいのだ。
八方湖は、矢板から塩原に抜ける栃木県県道56号線脇の「山の駅たかはら」から奥に入ったところにある人造湖。かつては、紅葉の名所として紹介されていたが、数年前に立入禁止となった。(現在は、入り口の一角だけが開放されている。) 湖や周辺山林は、私有地であるため、致し方ない。立入禁止となった原因は、「安全上の理由」とされているが、心無い人たちの不法投棄なども立入禁止の原因なのかもしれない。
「山の駅たかはら」から塩原方向に進み、県道脇のパーキングスペースから10分ほど下ったところにおしらじの滝がある。エメラルドグリーンの美しい滝つぼがあるが、訪問時は、あいにくの渇水で、滝は流れていなかった。
茨城県笠間市友部にある“謎の教会建築”を訪問した。シャペル ヴィエルジュ(結婚式場)跡地である。映画やドラマのロケ地になったところであるが、基本的に公開されていないため、柵の外から覗くしかない。現在は、グーグルアースからも消去されているので、まさに“秘密のチャペル”である。
シャペル ヴィエルジュ訪問のあと、カトリック水戸教会を訪問した。聖堂は、意外に古く1952年(昭和27年)献堂である。訪問当日は、水戸市の夏祭り(黄門まつり)で、交通規制が厳しくゆっくりできなかったことが、心残りである。
買い物で途中下車したJR川口駅から見た夕景。旅先で見る夕景に感動するが、身も蓋もないことを言うと、どこの夕景も感動的なのだ。ただ、忙殺された日常には、夕景を眺める時間と心の余裕がないだけ、見る側の問題なのだと思う。
広島、長崎の原爆投下の記念日、終戦記念日、そして盆が終わると、土用波が建ち、海水浴が禁止される。花火を見ていると意味もなく涙が流れるのは、一瞬の輝きのあとに消えてゆく閃光のためだろうか。宿題や日記を「明日やる」を繰り返して、夏休みの終わりが近づく。結局は「もうムリ!」、徹夜するより先生に思いっきり殴られる方が楽と開き直る。震災記念日、つまり9月1日の新学期は、廊下の正座で始まる。
【JUST NOW】
福島の原発処理水(汚染水)海洋放流問題。そもそも、“処理水”と表現するか、“汚染水”と表現するかで、その人の認識が推し測られる。海洋放流そのものの是非については、あえてスルーする。それ以前の“そもそも”に対する僕の素朴な疑問を記録することにした。
放流水(中立的な意味で、以後“放流水”と表記する)、そのものの詳細は、ほとんど取りあげられていない。「ALPS(除去装置)で、取り除けないトリチウムだけが含有しているのか?」というと、違っていて、他の放射性物質も100%除去できる訳ではない。除去できない放射性物質が、どれくらいあって、その影響の多寡は、議論されていない。
トリチウムを含んだ放流水は、日常的に中国の原子力発電所から放流されている。トリチウム濃度は、福島のそれより高い。しかし、ほんとうの論点は、件のトリチウム以外の放射性物質(かもしれない)で、福島の放流水とは別ものだといった話を聞いた。
トリチウムの濃度を議論する人がいるが、廃棄物の濃度は、どうにでもできるマジックがある。かつて、産業廃棄物処理プラントの製造に従事していた経験から言うと、世の中の廃棄物処理の大半は、有害物質そのものを無害化している訳ではなく、単に薄めているだけだ。アルコール度数が低いビールだからとメガジョッキで何杯も飲めば、アルコール度数の高い白酒をグビっとやる以上のアルコール摂取量になるのと同じ理屈だ。
日本政府は、福島の漁業関係者への説明、説得を続けていたが、僕にはピントがずれている気がする。ハッキリ言って、漁師自身が放流を嫌悪しているのではない。消費者が、放流後の福島産水産物を忌避することを危惧しているのだ。要するに一般消費者への丁寧な説明がなければ、漁師自身が安全を確信しても、福島の水産物は売れず、商売にならなくなる。
日本以上に情報統制されている中国で、しかも日本以上に“政府”への信頼の低い中国の人たちが、放流を忌避するのは自然だと思う。曲がりなりにも、民主的な選挙を通じて信任された“我々の政府”が、トンデモナイ判断や隠蔽などしないだろうと無意識に考える日本人と1割のエリートである共産党員以外は、まったく関与も接点もない形でトップが決まる中国とでは、思考の根っこが違うのではなかろうか。
旅は続く