Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/新潟、新発田

2023-11-12 17:28:18 | 旅行

2023年の記録

あまりの快晴に誘われて、日帰りで新潟市内と新発田を散策した時の記録。

 

 

散策の目玉のカトリック新潟教会。雪景色の教会を見に行こうと思っていたが、快晴の天気予報を知ると居ても立っても居られなくなった。

 

 

上越新幹線や高速道路は、やや西に迂回するものの新潟市、新発田市は、ワラビスタンのほぼ真北、新幹線で片道約2時間。

 

 

JR新潟駅からバスで、お目あてのカトリック新潟教会を真っ先に目指し、その後は、適当に徒歩とバスを使って、一旦JR新潟駅に戻り、バスでカトリック新発田教会へ向かった。

 

 

カトリック新潟教会に向かう途中、目に留まったのが、静香庵 別邸涵養荘。旧新潟県副知事公舎をリノベーションしたフレンチ×鉄板焼の高級レストラン。(ランチ5,400円~、ディナー12,000円~) 旧新潟県副知事公舎は、1921年(大正10年)竣工。

 

 

カトリック新潟教会聖堂は、チューリッヒ出身の建築家マックス・ヒンデルによって設計され、ロマネスク様式を取り入れた和洋折衷の木造建築として1927年(昭和2年)に献堂された。

 

 

カトリック新潟教会聖堂の後方にある司教館も聖堂と同じく建築家マックス・ヒンデルの設計により1927年(昭和2年)に竣工している。

 

 

旧金井写真館本館は、1897年(明治30年)に竣工された木造2階建洋風個人住宅である。

現在は金井文化財館となっているが、非公開。鮮やかなピンク色の外壁も何年か前に塗り替えられたとのことながら、それが建築当初のものを再現したのかなど等、詳細は不明。

周囲は、コインパーキングとなっているので、満車になるとクルマに遮られてしまうので、早朝の訪問は正解だった。

 

 

𠮷野活版所は、古町通りにある木造モルタル3階建、1916年(大正5年)竣工。現在も2階は活版所事務所として使われているようだ。1階は、『OFFSET COFFEE』という無人珈琲販売店となっている。

向かって左側にある各種甘納豆製造 佐藤菓子店も、昭和にタイムスリップしたような味がある店構えである。

 

 

𠮷野活版所から南西方向に来た道を戻り、旧新津石油迎賓館を目指すか、逆の北東にある新潟市歴史博物館みなとぴあを目指すか? 後者を選び北東に進む。

新潟税関庁舎は、海外五ヶ国(米、蘭、英、露、仏)との修好条約に基づく新潟港開港の翌年の1869年(明治2年)に上棟、開所している。開港五港(新潟、横浜、函館、長崎、神戸)の中で唯一現存する運上所(税関)の遺構として、国の文化財に指定されている。

また、建築様式は、地元の大工が西洋建築を見様見真似で造った「擬洋風建築」に分類される。

 

 

新潟市歴史博物館は、1911年(明治44年)に竣工した2代目新潟市庁舎の外観をもとにデザインされている。オリジナルは、木造2階建て、博物館は鉄骨鉄筋造3階建てなので、復元ではなく、イミテーションであるが、風格を感じる素晴らしい出来である。

 

 

新潟市歴史博物館敷地内にある旧第四銀行住吉町支店は、鉄筋コンクリート造2階一部3階建て、1927年(昭和2年)竣工である。外壁には花崗岩を積み、正面入口には4本のイオニア式の列柱が並ぶ昭和初期の銀行建築に多く見られる様式を採用している。なお、2003年に住吉町から新潟市歴史博物館敷地内移築、国の重要文化財に指定された。

また、2021年(令和3年)3月、1階部分のレストラン閉店となり、現在空き店舗となっているため、長短期の利用者を募集している。

 

 

旧新潟税関庁舎前から新潟市役所前まで、一気にバスで移動。バス停から坂を登り、旧新津石油迎賓館へ。

 

 

新津石油迎賓館は、現在の昭和シェル石油の前身の一つにあたる新津石油創業者の新津恒吉が、私財を投じ、新潟市に外国要人を迎えるために1938年(昭和13年)竣工した。(地上3階、地下1階、塔屋付鉄筋コンクリート造) しかし、新津恒吉は竣工翌年の1939年(昭和14年)に他界、また間もなく日本が太平洋戦争の戦時下に置かれるなどしたため、迎賓館として使われることはなかった。

第二次世界大戦終結後、迎賓館はGHQに接収され、最初は将校の、後には下士官の住居として使用されたが、この間に荒廃した。その後10年間に及ぶ接収が解除され、新津家へ返還。新津家は戦後、新潟県内で石油販売を中心とした業務を展開する「丸新石油(現在の丸新の前身)」を創業し、迎賓館を再び住居の一部として使用したが、改修はままならなかった。

丸新グループでは、新津恒吉の生誕120年に際し、1991年(平成3年)に「財団法人新津記念館」を設立して迎賓館の大規模改修・復原に着手し、1992年(平成4年)8月に新津記念館として、新津家が所蔵する美術品とともに有料の一般公開を開始。1998年(平成10年)付で、新潟県内初の国登録有形文化財に登録された。

 

 

旧新津石油迎賓館から坂を下り、新潟市役所前に戻り、旧新潟県議会議事堂(新潟県政記念館)へ。

 

 

旧新潟県議会議事堂は、1882年(明治16年)竣工、設計および施工は地元出身の棟梁星野総四郎である。木造二階建で、アーチおよびトラスを用いて大きな梁間を支えた在来の大工による洋風建築である。

すでに大規模修繕が決まり、現在、新潟県政記念館は、休館している。工事完了は2028年(令和10年)3月の予定である。

 

 

バスでJR新潟駅前に戻り、新発田行きのバスまでの待ち時間に昼食を摂るため飲食店を探すも、駅前は再開発大規模工事中。飲食店は、限られ、これといったところは、行列待ち。結局、全国チェーン店のすき家で、まぐろたたき丼を掻きこみ空腹を満たすだけの昼食となった。新発田市までのバス移動は、予定通り約1時間郊外風景の道路を走り無事到着。

 

 

カトリック新発田教会聖堂は1966年(昭和41年)に竣工。建築家アントニン・レーモンドによる設計。いかにもレーモンドらしい丸太材とレンガで作られた優れたデザイン。窓には切り抜いた和紙が貼られ、ステンドグラス風の独特の外観を持つ。2004年には日本建築家協会の「第5回 JIA 25年賞」で大賞を受賞した。

 

 

JR新発田駅まで速足で歩き、予定の列車に乗車。(乗れないと1時間以上待つことになる) 新潟周辺のビジネスホテルは、1万円以上。連休初日+昨今の宿泊費高騰からすると妥当なのかもしれないが、片道交通費約1万円を考えて、さっさと帰路へ。幸い復路の新幹線は、自由席も空きがあり、ぐっすり眠って帰宅。

 

 

【メモ】

戸田市民病院発砲&蕨郵便局立てこもり事件発生。(2023年10月31日) 蕨郵便局は、我がライオン宮殿から徒歩10分にも満たない至近にある。我が家は、幸い非常線の外にあり無事帰宅。実害はなかったものの深夜まで、上空を報道へり3基が滞空し、騒音が続き、街は騒然としていた。夜10時20分、局内に捜査員が突入、犯人逮捕で、事件の幕は閉じた。

 

元暴力団員、86歳の老人が、キレて暴走(放火、発砲、立てこもり)と総括すれば、それだけの事件なのだが、何とも、物騒な事件だ。動機と犯行の重さのバランスが、常軌を逸している。確かに最近の犯罪は、闇バイト強盗にしても、動機や報酬と犯行の重さのアンバランを感じる。それは、犯罪から身を守る側にとって、犯行を想定できず、対策もままならない。

 

生活苦、借金苦から窃盗、強盗といった古典的な犯罪がある一方、「人を殺してみたかった」みたいな理解も、想像もできない犯罪が発生する昨今。犯罪そのもの撲滅、犯罪被害の回避、どう対処すべきなのだろうか?

 

 

旅は続く