2005年の記録
瀋陽から上海に戻り、溜まっていた仕事を熟すために1週間ほど滞在した時の記録。
中国人は、日本以上に子供好き、何しろ日本語の“赤ちゃん”の中国語は、“宝宝”だからね。祖父母にとって孫は、字の如く“宝”である。
2005年当時の地鉄蓮花路站(地下鉄とはいっても、郊外は高架を走っている) の前には、南方商城というショッピングモールがあり、それに隣接して、南方商城大酒店という人民解放軍経営のちょっと妖しい女性が出入りするホテルがあった。
夕方になると、南方商城の周辺には、果物や野菜を売る露天商が集まって来る。中国は、驚くほど果物が豊富で安い。南方商城の中にも青果売り場があり、日本と同様にパッケージして売っている。露天商の青果が新鮮かというと、必ずしも新鮮ではないが、安いことは間違いない。無造作に山積みされた中から自らの目で良品をピックアップする。ある意味で、かつての“低信用社会”の象徴のようなものだ。
足踏みミシン1台の縫製屋(主に修理)、路上床屋、自転車・バイク・自動車修理屋など個人経営の店が多かった。いずれも、激安で便利に使っていた。中国人は、一国一城の主志向が強く、手に職を付けると、資本投下の小さい露店で商売をスタートさせる。
中国の人は、賭け事が好きだ。街角に人だかりができていれば、啖呵売(いわゆるフーテンの寅さん商法)か、麻雀、花札、トランプの類だ。
ちょっと前まで、中国の女性の定年退職年齢は45歳。まだまだ現役バリバリの元気だが、失職する。一方、中国は共働きが原則、今と違って、20代前半には結婚して出産しているので、45歳というと、ちょうど孫ができる年齢でもある。そんな訳で、中国で子供の面倒を見るのは、祖母の仕事みたいなところがある。(近年は、女性の定年退職年齢も、出産年齢もあがり、核家族も増えているが、「子供の面倒は祖母」が、依然として根づいている。
「おばあちゃんがなくなった時は、号泣したけど、母親のときはね・・・・・・。」といった話、あるあるなのだ。
何かの露天商か、運送屋。仕事を終えて寛ぎの一服。
【メモ】
2022年は、日中国交正常化50周年であるが、祝賀ムードとは、ほど遠い1年、というのが、正直な感想、いや現実である。
そんな中でも、「これまでの50年、これからの50年」といったテーマのシンポジウム(Web)が開催され、参加した。元総領事、大学教授、シンクタンク研究員、ジャーナリスト・・・・・と錚々たる面々。現在の中国に対する認識は様々だが、良好な日中関係を期待する発言が続いた。そんな時に「製造業の現場視点から・・・・」と司会者が僕に振ってくれた。僕は言葉を選び、しかし、一気に言ってしまった。「ポジィティブな議論に水を差すようで恐縮ですが、日中関係の将来をネガティブに捉えています。」 以下、僕の稚拙なコメントの主旨。
かつて、日中関係が良好だったのは、経済力で日本が中国を凌駕していたからだ。ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われて浮かれていた日本人は、中国をはじめアジアを見下していた。その頃の中国人は、黄河文明から連なる偉大なる中華思想を封印して、日本に学び、日本をリスペクトした。今、GDPで、日本を追い越した中国は、少なくとも日本と対等のところまで成長したと考えている。それにも関わらず、日本には、中国へのリスペクトの欠片もない。今後、日本が没落しても、日本人は、中国をはじめアジアを見下し続けるだろう。ゆえに日中関係が、良好になることはないと思う。
実際、日本の製造現場には、「中国に学ぶ」といった発想がない。日本で年間1万台作っている機械を中国は年間10万台、20万台作っている。十倍製造すれば、十倍の不具合が発生する。製造現場では、不具合は学びと改善のチャンスだ。中国は、十倍のスピードで学び、先を走っているのかもしれないのに、そこから貪欲に学ぶ姿勢が日本にはない。なぜなら、端から見下したままだからだ。
中国人の友人が、「日本人って不思議だ。原爆を2度も投下したアメリカと仲良しになれるなんて。」 と言っていた。 (何だかんだ言っても、中国人は、アメリカ人が嫌いだ。)
僕自身、国や国民の好き嫌いはないつもりでいるが、欧米人に潜在的な劣等感を持っている。それは、アジアに対する蔑視の裏返しなのかもしれない。
中国が生理的に嫌いだという日本人も少なくない。何も中国と何が何でも仲良しにならなくても良い。しかし、それならば、その他のアジア諸国とは、仲良くやっていかなければならないが、日本人のアジアに対する蔑視も根深い。後進に対してリスペクトできる素直さが必要だと思う。
旅は続く
ホントその通りだと思いますし、私自身もそういうところ 間違いなくあります。
中国では、日本の素晴らしさ やり方が良い と言い、
また逆に 日本に行けば 中国標準の話をします。変な感じ??(笑)
ただ、その時に 日本では、『ここは、日本だ!!中国のやり方は、関係ない!!』と言われます。
なるほど・・・と思いますが、
今度は、日本出張者が 中国に来た時は、『日本のやり方に従ってもらう』と言います。なんじゃそりゃ(笑)
日本が一番 って考え アジア圏では、押し通そうとしますよね。
欧米に行けば、ヘイコラしてしまいますが・・・
どこでも良い部分 悪い部分 両方持ち合わせているのに・・・
お褒めの言葉、ありがとうございます。
シンポジウムのお偉いさんの発言の多くは、中国の戦狼外交は良くないとか、一帯一路の価値が正しく伝わっていないとか、まぁ、個々に考えればあたっているのですが、中国に求めるばかりなんですね。まったく日本自身のことが解っていない。と、かなり生意気なことを思った訳です。日中関係が、うまくならない1つは、日本が日本のことを客観的に見られないことなのかと思います。
では、また、今後とも宜しくお願い致します。
お邪魔します。
2005年の上海、いい笑顔が多いですね。
素朴で素直、そんな印象を受けます。
2022年の今はどうなんでしょう?
人心を反映する笑いは変わってしまっているんでしょうか?
人民解放軍経営のホテルに出入りする妖しい女性、
気になるところです(笑)。
さて“その頃の中国人は、黄河文明から連なる偉大なる中華思想を封印して、日本に学び、日本をリスペクトした。”
明治維新の日本も同じだった気がします。
列強に伍すため、列強に学び、江戸の文化文明思想を捨て、
それまでの日本の何もかもを捨てて西欧化しました。
時代も国も違いますが“歴史は韻を踏む”といったところでしょうか。
個人的には中国・アジア各国を見下す気はなく、
劣等感を抱かず、崇めるつもりもありません。
他の地域~欧米・ロシア・オセアニア・アフリカも同様。
それぞれの長い歴史が培ってきた文化・文明は、
互いに認め合える「個性」ではないか。
そう考えています。
今年も貴ブログを通じ、沢山の学びがありました。
ありがとうございました。
良い年をお迎えくださいませ。
では、また。
コメントありがとうございます。
写真を選んでいて、あらためて気がついたのですが、みんないい笑顔しているんですね。中国の人(漢族)は、知らない人に対しては、愛想笑いより警戒が先にでる人が圧倒的に多いんです。それなのにこの時は・・・・・。
人民解放軍経営って、日本人からすると違和感あるかもしれませんが、計画経済から自由経済への転換期には、あたりまえのようにありました。中国の各組織は、軍といっても、商売して稼がなきゃならなかった訳です。さらに給与外収入も欲しかったのでしょうね。
中国の人たちは、長いものには巻かれろ的な実利主義みたいなところがあります。だから当時は、経済大国日本に従順だった。ところが、今は立場が逆転しているのにちっとも従順にならない日本に不信を感じるのです。日本は、明治維新や戦後の変わり身の早さがある反面、建前、筋、歴史を重視しますからね。「新しい上司はフランス人」は許せても、「上司は中国人」を受け入れられない人もいるんじゃないかな。
1年間ありがとうございました、そして来年も。
良いお年をお迎えください。