Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

東トルキスタンの夢と新疆の現実 第6回(カシュガル)

2020-10-31 15:24:50 | 旅行

2019年の記録

レンガ色一色の旧市街にあってひと際目を引く色をしたエイティーガルモスク。観光地であるとともにリアルな祈りの場でもあったが、祈りは禁止されていた。

 

飛行機は、定刻でカシュガルに到着した。空港では、公安の“お出迎え”があるものと思っていたが、意外にも何もなかった。イーニンと比較すると、旅客も来訪する外国人も多く、物見遊山の外国人に付きあっている余裕がないのだろうか?カシュガルには何度も来ていて、最低限の土地勘もあるので、何も心配はない。予約しているホテルは、有名観光地のエイティーガルモスク前広場となりの常宿・ヌアランホテル(旧スルタンホテル)なので、タクシーも迷いようがない。

 

スムーズにチェックインしたあとには、やらなければならないことがある。翌々日に予定しているタシュクルガンへの現地ツアーの手配だ。外国人のタシュクルガン行きは、ツアーに限定されているので、何としても今日中にツアーを予約しないとならない。しかし、現地ツアーの予約は、そんなに大変なことではない。ヌアランホテルには、とてもフレンドリーなフロントマネージャーがいるので、彼に任せれば大丈夫だ。前回も彼に面倒を見てもらっている。彼にツアーの手配をお願いすると、「一番お勧めのツアーは満席、1日先にするか、2番目にお勧めのツアーにする?」との返答がしばらくして返ってきた。基本的にタシュクルガン往復とホテル1泊なので、迷わず2番目にお勧めのツアーを申し込んだ。(次回以降の日記で記述するが、2番目でも何も問題なかったし、同じツアーの外国人と比較すると100元以上安い価格で予約できていた。)

 

ヌアランホテルについて書くと、旧称のスルタンホテルは、イスラム系の宗教組織の経営で、隣国パキスタンなどイスラム圏からの出張者向けのホテルだったようで、あまり広告もしていなかった。(ヌアランホテルになってからは、有名旅行サイトにも入っている。) 特質すべきは、件のフロントマネージャはじめ従業員は、ウイグル人で占められていることだ。(ヌアランホテルになっても従業員に変わりはない。) ウイグル自治区内であってもフロントは漢族であることが一般的だ。漢族はダメということは、まったくないが、熱烈親日の人が多いウイグル人である方が、日本人は安心できる。ウイグル自治区内の一般的なホテルのフロントにウイグル人従業員がいないのは、言葉の問題とも言えなくもないが、それだけとは思えないものを感じてしまう。

自室の窓から眺める旧市街の街なみ

 

人があふれかえっていたはずの旧市街が閑散としている。

 

ツアーの予約でバタバタしていると、夜になってしまった。旧市街の露店を廻ったが、人が少なく、早々に店仕舞する飲食店もあったので、好物のポロ(ウイグル風ピラフ)とシシ・カワプ(羊肉の串焼き)をテイクアウトしてホテルの自室で夕食を摂った。

 

元々ポロは、朝から作り、お昼に食べるもの。幸い釜の底に残りがあって、ありつくことができた。

 

旅は続く

 


東トルキスタンの夢と新疆の現実 第5回(グルジャイーニン⇒カシュガル)

2020-10-17 22:15:51 | 旅行

2019年4~5月の記録

固く閉ざされた壁の向こうに佇む天主堂

 

いよいよグルジャイーニンを旅立つ日が来た。飛行機でカシュガルに向かう。グルジャイーニンからカシュガルへ直行するフライトは週1便しかない。これを逃すと、一旦ウルムチに戻り、トランジットでカシュガルへ飛ぶことになり、時間もカネも浪費してしまう。

 

1回で書いたようにグルジャイーニン空港から市街地には公安のクルマで向かった。その時、偶然にもキリスト教の天主堂(教会)を発見した。訪問した土地では、宗派と関係なくキリスト教の教会があれば、可能な限り訪問している。百度(中国の検索サイト)でリサーチすると、中国にも僕と同じ教会巡りをする同好のブログがあって、住所を知ることができたので、帰りに空港に向かう途中で寄ってみることにしたのである。

 

結果的には、敷地の周囲には高い壁が設けられ、敷地内に入ることもできないどころか隙間から覗くこともできない。イスラームの宗教施設が、封鎖されていることは想像に難くなかったが、キリスト教の施設まで・・・・。上海では、ふつうに入ることもできたし、ミサに参加することもできるのに。

 

中国共産党政権が、自由な信仰、宗教を許さないのは、当然といえば当然だ。欧米先進国のように選挙で政権が選ばれていれば、政権は曲がりなりにも国民の信任を得ている。だから宗教指導者と意見の対立があったとしても政権は揺らがない。しかし、中国の政権指導者は、広く国民の信任を得ているとは言い難いので、絶対的な存在となり得る宗教を許すわけにはいかないのである。世界の独裁政権は、宗教を禁ずるか、特定の宗教を取り込むかの二者択一になるのだと思う。

 

僕は、今の中国の(嫌いな表現だけど)民度を考慮すれば、中国共産党の一党独裁を否定する気持ちにはならない。もし、今の中国が、国民11人に1票を与える選挙をしたらどうなるか?多くのとんでもない独裁者は、選挙によって生まれているという歴史的な事実を考えれば、火を見るより明らかなことだ。民主主義は、文字も満足に読めず、お金をくれる人に投票してしまう人も、国際政治や経済の知見もある倫理観の高い人も同じ1票なのである。

 

もちろん、早く中国が自由な信仰が許される国になることを望んでいる。すっかり、政治的な堅い話になったけど、外国を旅することは、そういった現実を知り、考えることでもあると僕は思っている。

 

敷地の周囲を隈なく廻ったもののまったく忍び込む隙間がなかった。隣接する住宅に入り込んでという選択もない訳ではないが、公安のクルマで空港を往復するようなことは避けたい。

 

グルジャイーニン市街地

 

グルジャイーニン郊外

 

白一色の天山

 

旅は続く

 

 

 

 

 

 


東トルキスタンの夢と新彊の現実 第4回(グルジャイーニン)

2020-10-04 22:43:53 | 旅行

2019年4~5月の記録

おばあちゃんと孫、中国では、子供の面倒は、おばあちゃんがみるもの。大人になっても、母親より祖母を慕う人も多く、その分、祖母の影響を受けて育つ。

 

「喀賛其民俗旅游区」を再訪。ベルトのバックルが壊れかけていたのでベルトを探していた。「喀賛其民俗旅游区」の入り口付近にベルト屋があるのは知っていたが、観光地なので、安いはずがないと思って、市内で“市場調査”していたのだが、ベルト屋に出くわすことがなく、「喀賛其民俗旅游区」の入り口近くのベルト屋で買うことにした。気に入った1本の値段を聞くと、「200元!」。「高い!」と言って、スタスタと店を出る。これで、店主が追いかけてきたら、こっちのもの。ところが、追いかけてくる様子がない。正直なところ、新しいベルトが欲しかったし、気に入った1本だった。やむなく、自ら店に戻り、あらためて価格交渉を始めた。僕は、50元からスタートし、80元、100元とジリジリ譲歩。120元で、強引に決めようとしたが、店主のオヤジは、150元からびた一文引かない、結局、150元で決着。

 

ところで、僕は、プロフィールにある通り、鉱山機械などの重機械やその部品の買い付けを生業としているバイヤーだ。要するに“買い物”のプロなので、そのことにちょっとだけ触れる。「素人のお買い物」と「プロの調達」の違いは何かというと、「素人のお買い物」は、本人が納得すれば、それでOKなのだ。納得の理由は、何でも良い。店員さんのスマイルが素敵だったからでも、何でも許される。しかし、「プロの調達」では、利害関係者が納得する結果を出さなくてはならないし、再現性もなくてはならない、単に安ければ良いというものではない。

 

「仁義なき買い叩き?」も手打ちとなれば“ノーサイド”、談笑ができるのが、中国の買い物の楽しみ。店の奥の工房の写真撮影を試みるも、狭すぎて撮りようがなく、オヤジに店頭まで出て来てもらってカシャッ!

 

水色に塗られたレンガとピンク色の屋根、パステルカラーのおとぎの国

 

白人のような子供たちも、れっきとした中国人

 

ピンクの壁もいやらしさがなく、自然に感じる

 

顔なじみになった女の子、今日はカラフルな衣装にバックをさげてお出掛け?

 

抜けるような青い空と水色の壁と白く縁どられた窓

 

むかしから使われてきたモスク

 

旅は続く