2019年の記録
チョルスー・バザールは、地下鉄の駅の傍にあるドーム型のバザールだ。
日本人墓地とナヴォイ・オペラ・バレエ劇場は新市街。チョルスー・バザールは旧市街。
9時すぎにオンタイムでタシケントに到着。タシケントにも多くのモスク、メドレセ、廟があるが、限られた時間なので、モスク、メドレセ、廟は、思い切ってパスして、日本人墓地へ向かった。第二次世界大戦後にソ連に抑留、強制労働のためタシケントで亡くなった日本人79名が眠る。彼らが強制労働として建設にあたったのが、次に行くナヴォイ・オペラ・バレエ劇場である。
日本人墓地といっても、独立した霊園ではなく、ムスリムの墓地の一角にある。写真は、ムスリムの墓地。
強制労働である、自ら進んでやった仕事ではない、それでも、日本人として恥ずかしくない仕事をしようと手を抜くことなくナヴォイ・オペラ・バレエ劇場の建設に携わった。その後、タシケントを襲った地震で、多くの建築物が倒壊した中、ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場が、ビクともしなかったことで、その仕事っぷりが証明された。このような話を耳にすると、日本人であることを誇りに思う。日本企業をリストラされ、海外の企業で働くエンジニアを売国奴呼ばわりする人がいるが、それは違う。日本人だとか、日の丸だとかの話は、好きではないが、どこに行っても、誰の下でも、目の前の仕事に誠実に取り組むのが日本人だと僕は思っている。企業も個人も、どんどん海外に出て行き、現地に根を張っていくべきだ。その過程で、失うものもあるかもしれないが、“誠実さ”という日本人のアイデンティティを失くしてはならないと思う。
ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場の美しい壁面には、極東から連行された日本人数百名による功績が銘板に彫りこまれている。
昼食は最後のポロ、中央アジアでは、僕の嫌いなトマト料理は定番、何しろ“赤”は、美味しいものの象徴たから。
昼食の後、地下鉄で旧市街のチョルスー・バザールへ向かう。地下鉄の駅もタシケントのビューポイントとして外せない。なぜなら、タシケントの地下鉄の駅は、ウズベキスタンの高名な建築家や芸術家が参画し、各駅意匠を凝らした芸術作品になってる。1日かけて、全駅を撮影しても良いほどなのだ。しかし、忘れてはならないことは、駅構内の撮影が解禁になったのは1年ちょっと前の2018年6月のことである。タシケントの地下鉄は、既述の通り高名な建築家や芸術家が参画して、中央アジア初の地下鉄として、ソ連時代の1977年に開業しているが、庶民の足としての意味以上に核シェルターとして建設されたのである。そもそも、共産主義国では、鉄道施設は軍事施設と同様の意味がある。有事となれば、兵士や軍需物資の重要な輸送手段となるので、建前は撮影禁止である。地下鉄駅構内の写真撮影が、正式に解禁となったのは、軍事より観光(経済)を優先した、つまり平和であることの象徴だと僕は感じた。
蛇足ながら共産主義国(特に中国)では、日本の感覚では信じられないこの種のことがある。例えば、中国の地図の国外持ち出しは、禁止だったし、地図に縮尺は記載してはならないことになっていた。グーグルマップや百度地図で、すべてお見通しの時代であるのに。
日本にも、とてもおしゃれな装飾が施されている地下鉄の駅があるものの、それは、全体のほんと一部で、大半は無機質なコンクリート構造物である。国威発揚のための地下鉄建設だったからだろうか、それとも、核シェルターとして使った時の避難者のメンタルへの配慮だろうか?
タシケントの地下鉄は、ワンマン運転なのだろうか?バックミラーが付いている。乗降中の客がいても、お構いなくドアを閉める。発車間際の強引な乗車はなく、問題ないようだ。
庶民生活を垣間見ることができるバザールは、最高のビューポイントだと思う。平日の昼下がり、人でごったがえすといった状況ではないが、穏やかな笑顔に迎えられた感じがした。モスクを始めとした建造物は、何度も何度も通うと、正直なところ、次第に感動が薄れるが、バザールは違う。何度訪問しても、むしろ訪問を重ね、顔馴染みになると、新しい発見や感動が生まれる。
タシケントの街を歩いていると緑が多く、何よりもゴミが少なく、清々しい気持ちになる。行き交う人々も穏やかだ。もちろん、半月にも満たない滞在で何が分かるのか?わかったようなことを書くな、という批判はあるだろう。しかし、ファースト・インプレッションは大切だと思う。統計数字(GDP/人口)を日本と比べると、日本の5.6分の1(2020年)経済力であるが、人々が貧しく疲弊しているようには思えなかった。
タシケント空港の安全検査場でのこと、僕の前にいた外国人女性の機内持ち込みのハンドバックからウズベキスタン土産のコウノトリをデザインしたハサミが発見された。有無を言わさずゴミ箱に投げ捨てられても文句を言えない状況。ハサミを発見した女性検査官は、「預け荷物に入れるのを忘れちゃっただけ、悪用するとは考えられない・・・・・」と上司に訴えて、無事に機内へ持ち込むことができたようだ。ちょっと考えられない緩さだけど、僕は悪い気持ちはしなかった。
フモは伝説上の鳥で、幸福と自由への愛を象徴している。ペルシャ神話の不死鳥フマと起源を同じくする。
旅は続く