Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/教会巡礼・2日目

2022-01-28 22:32:56 | 旅行

2022年の記録

 

 

2日目のハイライト、紺碧の空と白亜の相浦教会

 

 

チェックアウトまでホテルにクルマを置き、市電で大浦天主堂に巡礼し、長崎駅前の中町教会を周ったあとホテルに戻る予定にしていたが、昨晩の“地獄の500段”を想うと、さすがに断念。クルマで大浦天主堂に行き、長崎市南部を周り、再び駅前の中町教会に行った。

その後、長崎市北部の教会を周る予定をキャンセルし、高速道をひた走り相浦教会に行き、佐世保市北部の教会を巡礼。相浦教会に急いだ理由は、白亜の教会は、やはり真っ青な空の下で撮影したいが、午後から曇に転じる予報を知ったからである。結果的に何とか間にあい、長崎市北部の教会をキャンセルしたことは、正解だったと思う。

蛇足ながら長崎市、長崎空港(大村市)から佐世保市へ向かう高速道ルートは、一旦佐賀県を経由するので、ちょっと迂回したことになる。

 

 

長崎市は、日の出日の入りもワラビスタンより1時間ほど遅い。かなり遅くまで、朝焼けが残る。

 

 

大浦天主堂は、幕末・開国後の1864年(元治元年)竣工の日本に現存する最古のキリスト教建築物である。正式名は日本二十六聖殉教者聖堂。観光客増加に伴い、1975年(昭和50年)に、天主堂に登る石段横の隣接地にカトリック大浦教会が建てられ、毎日のミサは大浦教会で行われている。2018年(平成30年)に登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する文化財の1つである。

 

1865年(元治2年)、浦上の住民十数名が天主堂を訪れた。その中の女性が、祈っていたプティジャン神父に近づき、「私どもは神父様と同じ心であります」と囁き、自分たちがカトリック教徒であることを告白した。女性たちは聖母像があること、神父が独身であることから間違いなくカトリックの教会であると確信し、自分たちが迫害に耐えながらカトリックの信仰を代々守り続けてきた隠れキリシタンである事実を告白した。その後、プティジャン神父は密かに浦上や五島などに布教を兼ねて訪れ、隠れた信者の発見に努めた。浦上だけでなく長崎周辺の各地で多くのカトリック教徒が秘密裏に信仰を守り続けていたことがわかったのである。この「信徒発見」のニュースは、教皇ピオ9世のもとにもたらされた。教皇は感激して、これを「東洋の奇蹟」と呼んだという。

 

大浦天主堂に本日1人目の拝観者として入場。拝観にお金を払うことに不満はないが、「あ~、宗教施設ではなく、観光施設になっちゃっているんだな」と実感。正直、ちょっと寂しい。大浦天主堂に入るのは、高校生以来である。前回来た時は、大勢の観光客を見て拝観をパスした。朝早いことと、依然コロナ禍にあることから拝観者は疎らで、静かに拝観することができた。

 

 

大浦天主堂界隈は、観光用に造られた街なみであるが、エキゾチックな雰囲気は悪くない。できれば、もっとのんびりと散策したいところだ。

 

 

善長谷(ぜんちょうだに)教会は、この道で間違いないのかと不安になる細い山道を登りきった頂上にある。現在の教会堂は、1952年(昭和27)に再建されたものである。教会堂を背にすると、美しい夕陽と世界遺産に指定された“軍艦島”(端島)を遠くに眺められる。逆に夕陽を背景に教会堂を撮影することはむずかしい。昨日、無理して日没の時刻に訪問しなくて良かった。(笑) 山奥にあるが、信徒による手入れが行き届いている生気が感じられる教会だった。

 

教会のある隠れキリシタンの里・善長谷は、多くの文豪たちを魅了してきた。遠藤周作の『女の一生』やなかにし礼の『長崎ぶらぶら節』、さだまさしの『精霊流し』、山田洋二の『母と暮せば』 は、その代表で 、彼らの作品(小説・映画)のなかで、 善長谷が登場する。

 

 

昨日訪れた馬込教会を再び訪問、紺碧の空の下の白亜の教会堂を記録に残したかったからだ。天候にも恵まれ、青と白のコントラストの高い思い通りの記録を残すことができた。妻に誘われてきた夫が、「感動した、素晴らしい!」と感激を伝える言葉を耳にした。僕も幸せな気分になった。

 

 

再び長崎市街地に戻り長崎駅前にある中町教会を巡礼した。中町教会は、観光客に優しくミサの時間帯を除くと敷地内の駐車場を利用できるだけでなく、聖堂内の写真撮影も商業目的を除くと許される。(もちろん礼拝中の信者がいる時は不可) また、長崎に現存する数少ない被爆建造物のひとつで、残った塔や外壁を利用して1951年(昭和26年)復元された。

 

 

西坂の丘で殉教した26人の列聖後100年(殉教後約350年)の1962年(昭和37年)に日本二十六聖人記念館と同時期にメキシコから送られた浄財によって献堂されたのが、聖フィリッポ西坂教会である。(聖フィリッポ・デ・ヘススは、メキシコ人フランシスコ会修道士) 設計した今井兼次は、自身がカトリック信徒であり、信仰と建築が一体となった中世カトリックの世界を実践し続けたスペインの建築家アントニオ・ガウディの創作方法が取り入れている。

 

中町教会にクルマを停め、徒歩数分のところにある。2本の角がある教会堂こそ、アントニオ・ガウディの世界観である。昭和初期の日本では、ガウディの建築に対し「これが建築か?」と誰も相手にしなかったと言われている。まさに「時代を超えた作品」なのである。

 

 

相浦教会は、黒島航路から見える高台に建ち、現教会堂(鉄筋コンクリート造)は、1960年(昭和35年)に献堂されている。午後になり雲が増えてきたが、しばらくすると雲が風で流れ、一瞬だけ青空が広がった。長崎市北部の教会をパスして駆けつけて良かった。

 

 

浅子教会は、九十九島を望む波静かな入江に面した1927年(昭和2年)竣工の木造教会である。到着したときは、厚い雲に覆われていたが、相浦教会の時と同様、しばらくすると青空が現れた。「神さま、ありがとう!」

 

 

浅子教会から今晩宿泊する佐々のホテルは意外に近く、早めにチェックイン。ホテルのフロントで、「この辺で夕陽の美しいところは?」と訊ねると冷水岳展望台を紹介された。残念ながら雲が厚く覆い、空が真っ赤に焼けることはなかったが、180度を超える視界で眺める九十九島は圧巻。同じく九十九島に望む石岳展望台(映画「ラストサムライ」ロケ地)も素晴らしいが、それ以上だと思う。是非、晴天の日に再訪したい。

 

 

佐々市街で魚料理を食せる店を探すも、それらしきところはない。そもそも、漁師町には、観光客相手でなければ、魚料理屋は少ない。住民は、わざわざ外食で魚を食べない。結局、ホテルのフロントお薦めの地場の回転寿司ミラクルあおばで夕食を摂った。結構な盛況でしばらく待ったが、漁師町で盛況な回転寿司だけに満足できる店だった。注文の要領が分からず、ボケッとしていると、忙しいにも関わらず声を掛けてくれた。概して、長崎の人は、親切な人が多いと思う。地元水揚げのオウガン(ベラ)、コチ、アジ、カツオを頂く。

 

 

【メモ】

相変わらずオミクロン株の新規感染者数は、日々、過去最多を記録している。通勤の電車も心持か空いてきた。僕も週3日の出勤になった。マスクが不足し、病床が不足し、今度は、抗原抗体検査キットが不足。幸い、僕は抗原抗体検査キットが必要な事態に今のところなっていない。まさに幸い、運が良いだけ、明日のことは、分からない。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/教会巡礼・1日目

2022-01-23 14:05:11 | 旅行

2022年の記録

 

 

1日目のハイライト、馬込教会のライトアップ

 

 

ひとまず長崎空港(大村市)から予約していた乗合タクシーで佐世保に向かう。乗合タクシーといっても、ハイエース9人乗りにドライバーと乗客の僕1人。(出張で使った時は満員、乗れないこともあった。バスより数百円高いが、ハウステンボスに寄らないので、ほぼ同時出発で、20分くらい早く着く。) 佐世保でレンタカーを借りて、西彼杵(にしそのぎ)半島西岸を南下し、今日の宿泊地・長崎市に向かって、教会を巡礼する。

長崎空港でレンタカーを借りず佐世保で借りたのは、返却が佐世保なので、2泊3日のレンタル料と大差ない乗り捨て手数料を追加で払うのが、バカバカしいと思っただけ、相変わらず、みみっちい。(笑)

 

 

佐世保で借りたレンタカー・スズキスイフトは、前回の巡礼の時に借りたオンボロ軽自動車と比べると格段にGood。「急発信するな!」、「スピードオーバーだ!」等々の音声が流れて、口うるさい女房が隣に乗っているような、気分にさせられるのが、玉にキズ。それとスピードメータの目盛位置が、ちょっと変わっていてスピードオーバーになりがち、まぁ、慣れれば、何ということもない。

 

 

太田尾教会は、1929年(昭和4年)に浦上天主堂などと同系統のゴシック様式の現聖堂が竣工されている。集落の中の細い道を登りつめた高台にある。最初にカーナビが、案内したところとは、だいぶ違い、カーナビ不信に。結局、グーグル先生に教わって、たどり着けたが、初っ端なからヤレヤレである。

 

 

東シナ海に沿って、ながさきサンセットロードを南下する。2017年5月に夕陽を見ながら走ったような記憶があるが、思い違いで、その時の記録を調べると真っ昼間、夕陽の写真もない。

 

 

大野教会堂は、フランス人宣教師マルク・マリー・ド・ロ神父が自費を投じ、設計と指導、信徒の奉仕によって、1893年(明治26年)に建てられた教会堂である。北面と東西側面の外壁は「ド・ロ壁」と呼ばれ、玄武岩の切石を漆喰で固めた壁が特徴的だ。

前回の巡礼(2017年5月)の時に比べると、整備が進んだように感じたが、説明係の信徒の方曰く、「雑草が繁らない冬だから」と。

2008年(平成20年)に国の重要文化財に指定され、2018年(平成30年)に世界遺産登録が決定した「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する大野集落に包括されている。

 

 

出津(しつ)教会堂は、1882年(明治15年)にマルク・マリー・ド・ロ神父の設計により建設された。その後の信徒数増加等により2度の増築(いずれもド・ロ神父の設計による)を経て1909年(明治42年)にほぼ現在の姿が完成した。

教会堂は角力灘(五島灘)に面する風の強い当地の気象に対応して、レンガ造瓦葺き平屋建て(外壁は白漆喰を使用)の低い屋根を持つ建物となっている。

2011年(平成23年)に国の重要文化財に指定され、大野教会堂と同様、2018年(平成30年)に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する「外海の出津集落」に包括される教会となっている。

 

 

黒崎教会は、小教区として独立した1887年(明治20年)に教会創建の機運が盛りあがり、1897年(明治30年)に土地造成したものの資金難により建築計画は頓挫する。ド・ロ神父没後の1918年(大正7年)、岩永信平神父の着任後、ようやく工事着工。信徒たちの血がにじむような労働奉仕と浄財により、1920年(大正9年)にコンバス司教によって献堂され、カトリック教会として正式に名を連ねた。しかし、教会堂建設に尽力した岩永神父は、すでに天に召され、ド・ロ神父とともに天国から式典を見守った。

外観はロマネスク様式の赤レンガ造り、内観はリブ・ヴォールト天井の美しい聖堂で、遠藤周作の代表作『沈黙』の舞台となった「トムギ村(外海地区)」に建つ。また、吉永小百合・二宮和也主演『母と暮せば』、本田翼・東出昌大・吉沢亮主演『アオハライド』にも登場する。

 

 

神ノ島教会は、1892年(明治25年)に当地に来住したデュラン神父が私財を投じ設計・建築したもので、1897年(明治30年)に竣工した。当初は漆喰塗りであったが、のちにセメント塗りに改装され、現在の白い外観になっている。半島の先端近くの岸壁上にあり、海を見渡せるところにある。

若い人が、チラホラ見えたので、夕方のミサがあるのかな?と思ったが、岸壁下の保育園に子供を迎えに来た親御さんたちだった。

 

 

1967年(昭和42年)三菱重工業の造船所誘致に伴う蔭ノ尾地区の集団移転に伴い1896年(明治29年)設立の蔭ノ尾教会を引き継ぎ、1971年(昭和46年)に香焼(こうやぎ)教会は、献堂されている。

神ノ島教会から馬込教会に向かう途中にあるのを偶然見つけて、急遽立ち寄った。

 

 

カーナビが案内した馬込教会に行くルートは、ガードレールもなく車幅ギリギリの山中の小道だった。カーナビやグーグル先生の案内では、しばしばあることだが、冷や汗ものである。とても車窓から夕陽を眺められる余裕はない。道幅が広くなり、樹々の切れ目から沈む太陽を見られるようになった。

 

 

馬込教会は、1931年(昭和6年)に地元伊王島船津の大工棟梁 大和和吉と指導者 松岡孫四郎神父により鉄筋コンクリート造、平屋、桟瓦葺で、竣工された。 大小の尖塔と尖塔状のオブジェ群、外壁に張り出した補強用の柱など、中世ヨーロッパの城郭を思わせるゴシック様式が、装飾上の特徴である。

日が暮れる前に到着、ひと通り撮影を終え、観光客用の駐車場で、ライトアップが始まるのを待って、ライトアップされた教会堂をあらためて撮影した。

 

 

宿泊した長崎ホテルは、長崎駅前は駅前だが、崖の上にあり、ある意味で“訳あり”だ。駅までの直線距離は近いが、その間には、墓地を抜ける500段の階段がある。クルマでワインディングロード走って行けば、駐車場も広く、市内の展望の素晴らしい格式のあるホテルだが、徒歩の投宿やチェックイン後の市街地散策は、相当の覚悟と体力がいる。東京から栃木まで“徒歩旅”をした僕も翌日は筋肉痛に悩まされた。歩行と階段登りでは、使う筋肉が違うのだろう。

 

 

長崎に来たら必ず食べるものが皿うどん。関東では、揚げ麺の皿うどんしかチョイスのない店が多いが、僕は揚げていない柔らかい平麺が好きなのだ。『キッチンえきまえ』の皿うどんは、チャンポンと同じ太麺だった。

 

 

皿うどんを食べた後に眼鏡橋まで散策した。以前、訪問した時と比較するとちょっと感激がダウン。見慣れたためか、ライトアップが変わったのか?

 

 

【メモ】

東京のコロナウィルス新規感染者数は、連日“過去最多”を記録。オミクロン株に比べると感染力の弱いデルタ株の時には、「すれ違っただけでも感染する」と言われていたものが、「ステーホームは必要ない、渋谷のスクランブル交差点では感染しない」と。(尾身会長談) 何がほんとで、何が誤りなのか?

それにしても不思議なことは、「なぜ、日本では、中国のように短期間で多人数にPCR検査をできないのか?」 僕らには、見せられない、不可思議な重力でもあるのか?

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/教会巡礼 羽田~長崎

2022-01-16 22:19:04 | 旅行

2022年の記録

 

失効するマイレージかあり、1月末か、2月に教会巡礼を予定していたが、オミクロン株の感染が急速に拡大する気配があり、思い切って計画を縮小、前倒しして決行かることにした。今回は、羽田・長崎間のフライトの記録。

飛行機に乗るのも、空港に来るのも久しぶりである。初めて飛行機に乗った30年以上むかしのことを思い出した。高校3年の3月、大学受験の時ことである。その当時の僕は、飛行機に乗ると、食べきれないほどのご馳走をふるまってもらえるものと思っていたので、紙コップ1杯の飲料とお菓子に愕然としたのを記憶している。

 

 

太平洋から瀬戸内海、九州へと西方に進む。

 

 

降雪が残るものの朝から晴天、羽田空港へもオンタイムで移動。東京の街の雪化粧も美しく、晴天の彼方に真っ白な富士山を眺める。

 

 

上空から見る富士山を眺められるのは、飛行機ならではだ。何度眺めても富士山は美しい。

 

 

機内サービスは、飲料が1杯。以前と違って、機内にマイボトル(珈琲)を持ち込めるので、JAL機内限定の「スカイタイム・ももとぶどう」を頂く。以前から「スカイタイム」の上品な甘さは好みだったが、「ももとぶどう(桃と赤、白のぶどうをミックス)」は、今まで以上に気に入った味である。

 

 

長崎空港に近づくと濃い緑の山々が迫ってきた。まもなく大村湾に突き出た人工島の長崎空港に着陸する。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/年末年始・備忘録

2022-01-14 22:23:05 | 旅行

2021年~2022年の年末年始記録

 

 

電飾された樹に雪が積もる

 

 

12月29日、30日

会社は連休になっているにも関わらず連日東京駅に行く。以前は、31日まで会社で仕事をしたものだが、幸い今年は違う。僕自身も気になっていた「岡田謹製 あんバタ屋」のあんバタロール、あんバタパン、あんバタフィナンセを息子夫婦へのお土産に買うためだ。あんバタロールは14時、あんバタパンは9時30分の販売開始前に並ばないと買えない。しかも、あんバタパンは、当日が消費期限なので、息子夫婦の帰省日に合わせなくてはならない。面倒くさい話しだが、親にほとんどねだることがなかった息子に珍しく頼まれたものだから喜んで引き受けた。親バカである。

30日の朝、あんバタパンを買って帰省。

元々あんこが、好きじゃない僕が食べても、美味いと思うので、あんこ好きには、堪らないのかもしれない。息子も以前は、僕に似てあんこ嫌いだったが、嫁と付きあうようになって、手のひらを返して好きになった。ほんとうにあんこに目がないのは、息子の嫁である。蛇足だが息子夫婦の愛犬の名前は、あんこ。

岡田謹製あんバタ屋 東京ギフトパレット店 (anbataya.jp)

 

 

12月31日

定点観測をしているお馴染みの樹を昼間に撮影。今までと違った構図を狙ってのことだが、満足できる作品にならず。

帰省すると友達と毎晩夜中まで飲み歩いていた息子だが、まったく出掛けることなく、連日、僕と家飲み。年末年始は、飲んで12時前には寝る健康的な生活。(朝は9時すぎまで、寝ていた。)

 

 

1月1日

2年ぶりに自宅で新年を迎える。

 

 

1月2日

お馴染みの樹のお馴染みの夕景。やはり、この構図が、一番美しい。年末年始は、晴天が続き、バックの山なみの1つは富士山である。

 

 

1月6日

東京、南関東に初雪。ワラビスタンにも雪が積もった。滅多に降雪がないだけに雪掻きのスコップのない家がほとんどなので、道路に積もった雪は、自然の融雪を待つことになる。

急遽、明日(1/7)早朝便で九州へ行くことになったので、交通機関の乱れが気になるが、まぁ、明日は大丈夫だろう。

 

 

 

【メモ】

コロナ感染が下火になっていた年末年始だが、正月休みが開けると、感染者数が急上昇する。オミクロン株の襲来である。前例のないスピードで感染拡大している。重症化リスクが低いものの後遺症のことなど不安は尽きることがない。デルタ株の4倍の感染力とも言われているが、東京の通勤電車は相変わらずの混雑が続く。感染しない方が不思議、否、すでに感染しているかもしれない。「感染力が強くなり、弱毒化するのが、ウィルス終焉の兆候」といった専門家の言葉が唯一の希望か・・・・。

 

 

旅は続く