Uさん、こんばんは。
器材整理、写真撮影趣味の見直しの一環で、先ごろ最後の1台を手放しました。
もうSony製のデジタルカメラは一台も手元にありません。
ややジャンク気味のDSC-TX55も、既に売却してしまっているからです。
故障の可能性にちゃんと触れてはいたのですが、それでも複数の入札があり、想定以上の価格で引き取られていきました。
今時、10年ほど前のコンパクトデジタルカメラが欲しい人がいるかは疑問でした。
形状はカード型、つまりごく薄型で、そういう形状から機能も性能も制約があるわけですから、それなら誰もがスマートフォンの方が良いと思うだろうと考えていたのです。
それでも世の中は、広いですね。
捨てる神(手放す貧乏神)あれば、拾う神(落札する善人)もいたということです。
さて、話をNEX-7に戻します。
使い古されくたび切った初号機を手に入れ、大いにそのフィーリングが気に入って一時は4台ものNEX-7を持っていました。
予備機の予備機のさらにまた、ストックということです。
ですが、最終的にはその全てが手元から離れてしまいました。
一番気に入っていた初号機をアスファルト舗装の地面に落下させてしてしまったのは、痛感の極みでした。
盲目(液晶ファインダーが使えなくなった)になっても、その他の機能を維持した初号機を暫くは使っていました。
が、矢張り不便故、やがて予備機へと切りかえ、そののちに心変わりか、完品のストックを手放し、さらにまた予備機の予備機へと切替えて...。
一番気に入っていたのは酷使され、傷だらけだった初号機で、落札時はレンズや付属品の状態も良くないものばかりであり、全く”騙された大賞”の受賞ものだったのです。
けれど、使い込まれたその個体は、所謂当たりが付いていたのか、操作フィーリングが大変円滑で、かつ優しく小さな音だが、切れの良いシャッターや、出てくる絵が繊細でトーンがなだらかな自分好みであったことから、一遍に自分のお気に入りの機材になりました。
不思議なもので、そういった強い愛情に似た感情を以てしても、何らかの理由で一度放出の意識を持ってしまうと、最後にはこういう事態となることをずっと繰り返して来ました。
振り返って見れば、手放したことを後悔した機材もたくさんありますが、そう道を行く定めなのでしょう。だからいつまで経っても機材にこだわるばかりで、写真の腕が上達しません。
NEX-7を手放した理由はごく小さなもので、各種の機能呼び出し、ダイヤルやボタンの操作性、それから露出の当て方の考え方の違いなどです。
自分の気持ちをカメラに寄せて遣れば、つまりカメラの癖に慣れて、自分が使いやすいように工夫すれば良いことで、手放す理由は在りません。
が、もう一つの理由として、所持している他のカメラとの競合があり、その時節、所有カメラを整理して個々のカメラの稼働率を上げたいという気持ちが強かったことから、悩んだ末に、NEX-7は選別することにしました。
NEX-7を手放して、今どう思うかというと、特にこれといった感情は無く、手放したことも後悔はありません。
ただ、不具になる前の初号機を使っていた幸せな短い期間は印象に残っています。
そのころは、何処に撮影に行くのでも常にNEX-7帯同で、他のカメラには信用が置けず、必ずバックアップ撮影を初号機で済ませていたものです。
改善してほしいところは、もう一つの高感度性能と、サイレントシャッターの装備ぐらいでした。液晶ファインダーはチルトで良かったです。
かなり昔の機種ですから、まだ動画機能に力を入れていなかったのでしょう、筐体もかなりスリムです。
今の機種みたいに排熱対策ででっぷり太って厚みのある機種の多いSONYからすると、薄型スマート軽量です。
かつ、デザイン性に優れ、そうしたソニーのDNAをそっくり引き継いだ、NEX-7は実は隠れた傑作機ではないかと、少し大仰に、かの機材の功績を讃えておきます。
これもめぐりゆく機材人生です。
※一番手前が初号機です。
長くなりました。
ではこれで失礼します。
ごきげんよう、さようなら。