disfrutamos la musica

歩く鍵盤弾き さすらいの日々

もこと祖父の話

2009-02-05 13:33:14 | 日々のこと
祖父が他界した。

三歳の時父親を亡くして以来祖父母の隣の家に住み、大学進学で上京するまで一緒に生活してきた。

祖父は頑固で厳しい人だった。しかし冗談もよく言った。
「これはアメリカンジョークだ」なんて 言っていたこともある。
うーん、それはよくわからなかった。

葬儀に参列してくださった方々が、
酒の飲み方に厳しい人だったと口を揃えて言っていた。そして、豪快に飲む人だった とも。

そんな祖父は家族の中で私と一番気が合った。たぶん。
食後にボレロをBGMに踊ったり、一緒にラジオ体操に行ったりした。
私のラジオ体操のキレが甘いと、帰り道「あの動きは何か」と叱られた。

ラジオ体操のお供は、もう一人いた。
「もこ」だ。

もこは うちで飼っていた犬。
とにかくモコモコしていた。それで 名前はもこ。

もこは迷い犬で、仔犬だった時、ふらりとうちにやってきた。私が生まれる何年も前のこと。
若き日の父と叔母が餌を与えてしまい、うちに居着いてしまったのだそう。
「動物は命が短いから飼うのは嫌」という祖母の反対で、いったんはもこを遠くに連れていった。
しかしもこは戻ってきた。後ろ足を怪我し、血を流しながら。
動物病院に連れていき、もこは一本、足を無くした。
三本足になったもこは 梅野家に加わった。

もこは とてもおとなしく、幼い私が乗ろうとしても、黙って振り落とすだけだった。
お客さんや郵便屋さんにも吠えることはなかった。
そんなもこは、祖父との散歩が異常に好きだった。
一日二回、祖父が同じ時刻に外に出ると、取り乱したように嬉しがって跳びはねた。
どうやら人が好きらしく、散歩中にいろんな人と会うのを楽しんでいた。
祖父がちょうど、小学校の登下校時間に散歩していたので、「三本足のもこ」と「もこじいちゃん」は小学生によく知られていた。


もこは、うちにやってきて18年生きた。犬にしてはかなりの長生きだ。
もこが死んだという噂は、またたく間に近所に広まった。
ある日、隣組の大木さんの奥さんが、
「この度は大変でしたね」
と 訪ねて来た。
「ええ、まぁ、大往生ですよ」
「ほんとにねぇ…おいくつだったのですか?」
「うちに来て18年…」
「…?」

大木さんの奥さんはその時、祖父が死んだのだと思っていたのだ。
その一部始終を垣間見ながら、もこの知名度に感心したものだった。


祖父の棺に、もこの写真を入れた。
散歩の時 いつもかぶっていた帽子と、靴とズボンも入れた。

亡くなる前の日の昼間、祖父はいつものように近所を散歩していた。
その日はたまたま、仲良くしている何人かのご近所さんと遭い、話をしたのだそう。
帰ってきていつものように晩御飯を食べ、風呂に入り、後は寝るだけ、という時に倒れ、
25時間後、本当に「ふっ」と、心臓が止まった。

今も、祖父はちょっと散歩に出掛けているだけなのではないかと思う。

祖父は、もこに会えたかな。
また、名コンビで、散歩してね。


2/2のライブ、急に中止することになってしまい、申し訳なく思っています。
連絡が行かず、お店まで足を運んでくださった方、本当にごめんなさい!

今日出演予定だったMebiusでのライブもお休みさせていただきます。

また、気持ちを新たに頑張ります。