知識は永遠の輝き

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科学知識で魔界に挑む:ポール・アンダースン『魔界の紋章(Three Hearts and Three Lions)』より

2018-10-26 06:20:11 | 架空世界
 ウィキペディア英語版のハードファンタジーの記事("Hard fantasy")ではポール・アンダースン『魔界の紋章(Three Hearts and Three Lions)』[Ref-1]もハードファンタジーの走りとされています。これはホルガー・カールセンという名の男の異世界での冒険譚を作者が聞き取ったという形の作品です。

 ファンタジー慣れした読者なら、主人公の生い立ちでピンとくるものがあるかもしれません。そもそも、デンマークの英雄ホルガー・ダンスク(Holger Danske)またの名をオジェ・ル・ダノワ(Ogier le Danois)の伝説を知っている読者なら、結構早い時期に元ネタに気付くでしょう。勘のいい読者なら主人公の名前でもうわかるかも知れませんし、登場人物表を見ていれば完全にわかるでしょうね(^_^)。

 とはいえ日本の読者でホルガー伝説を知る人など、特に翻訳当時(1978年)には皆無だと想像されたはずですから、邦訳は多少とも内容がわかりやすい題名にされたということですね。3つのハートと3頭のライオンて言われても日本人には意味不明ですよねえ。wikipediaの記事の彫像が持っている盾をよく見ると、確かに3つのハートと3頭のライオンが描かれていますから、この紋章も西欧の伝説好きの間ではよく知られたものなのでしょう。知る人にはタイトルだけで元ネタの想像が付くという仕組みです。

 さて本作では、主人公が科学的知識で危機を解決する場面が何回か描かれます。

 まずは火を噴く竜(dragon)を退治する話。魔法も使えない生身の人間が剣のみでは到底太刀打ちできない怪物と見えたのですが。

 -----引用開始--10章,p126-----
 「魔法ではない。あの怪物が火を吐くところをみると、体内はさらに高熱にちがいない。そこで、わしは、半ガロンぽかりの水を、やつの喉へ放りこんでやった。そのため、ボイラーが爆発したわけだ」
 -----引用終り------------

 お見事。火には水を。でもこれなら特に現代の科学知識がなくても思いつきそうだし、この異世界でもルーチン対策として確立されててもよさそうな気もします。とはいえ、消防ポンプのない世界ではルーチン対策とするのも技術的に難しいかも知れません。竜の口にバケツの水を放り込むのは相当に勇気のいる仕事ですし。火事の多かった江戸でも大量の水を一時に使うことはできず破壊消防しかできなかった歴史があります。

 次に"炎の短剣"なるものが「骨製の柄と、籠状の不釣合に大きい鍔とが、マグネシウムでできていると思われる薄い刃についている[9章,p112]」というものであることから、火を付ければ水中でも燃えることがこの剣の秘密であることを見破ります。そして実際に水中で使うことで危機を切り抜けますが、どうやって火をつけたかは19章をお読みください。

 次は日光を浴びると岩に変化してしまう巨人とのなぞなぞ対決です。この巨人はなぞなぞが大好きで、主人公の出す3問のうち2問が答えられなければ負けを認めるという挑戦をしてきました。主人公一行は勝つことよりも時間を稼いで日が昇るの待つという作戦にでます。そして見事に作戦は成功し、朝日を浴びた巨人は岩に変わったのですが、後に残した黄金を取る者には祟りがあるという言い伝えがありました。そして実際に主人公は、オゾンの臭いがしたことから危険を察知しました。大気中の酸素をオゾンに変える放射線が発生したとわかったのです。

 -----引用開始--12章,p157-----
かれには、核物理学の専門知識があるわけではない。ただ大学で、ラザフォードやローレンスによる元素の変化の実験とラジウムの崩壊のことを知っただけである。太陽にうたれると石にかわる巨人の財宝を奪う者に、呪いが降りかかるという伝説は、まさに正しかったのである。炭素が珪素に変化するとすれぽ、かならず放射性同位元素ができる。この場合、その総量は、数トンにものぼっていたはずである。
 -----引用終り------------

 つまりこの異世界では魔法で原子核変換ができるとしても、核反応前後の辻褄は我々の世界同様に釣り合うという設定です。言い換えると、素粒子の様々な保存則が成り立つ、この場合なら核子数も電荷も核反応の前後で変化しないということです。当然、核反応魔法が働かなければ原子の種類と量が保存されることになります。

 さらにもうひとつ、狼人間は誰かという謎を解き明かさなくてはならない事件[13-14章]に遭遇しますが、こちらは推理小説になるので詳しくは省略します。ただここで鼻風邪がウイルスのような微小な病原体によるのだという知識が使われます。これは異世界の鼻風邪も、魔術的な病気ではなくて我々の世界と同じ原因によるという設定にしてあるということです。

 このように、魔法と言えどもそれなりの限界設定があり、科学知識を使って危機を乗り切るという設定はハードと言えるかも知れません。しかし私の感覚では、2017/12/30の記事に紹介したラリー・ニーヴン(Larry Niven)『終末も遠くない』、J.グレゴリイ・キイズ(J.Gregory Keyes/ Greg Keyes)『錬金術師の魔砲(Newton's Cannon)』、ピアズ・アンソニイ (Piers Anthony)『魔法の国ザンス・シリーズ(Xanth)』などと比べると、異世界の設定に対する姿勢が不完全だと感じてしまいます。まあ、初期のハードファンタジー指向作品と評価すればよいでしょうか。

 この作品中では異世界でも物理化学法則は我々の世界と全く変わらないという設定になっています。そして魔法が働くと、通常の物理化学法則では起き得ない変化(核反応・化学反応・物体の運動や変形)が未知の過程により起こるのです。この魔法的変化の前後ではエネルギー保存則など通常の物理化学法則が成立しますが、魔法的変化そのものの法則性は明らかにはなっていません

 これが私がハードファンタジーだと評価した作品だと、魔法的変化そのものの法則性を明示するという姿勢があります。『終末も遠くない』では魔法の源泉はマナという資源であり、マナがなくなると魔法も効力が尽きるという法則性があります。『ニュートンの魔砲』では化学法則そのものが我々の世界と異なるもので、その設定の下での自然法則が存在します。『ザンス・シリーズ』では各人が持つ魔法の設定がきっちりと決められています。いずれの作品も、決められた設定による論理的帰結から外れないように努力がされています。これらの作品に比べると『魔界の紋章』の魔法は、単に伝説からそのまま借りてきただけという印象が強いのです。伝説からそのまま借りてきただけの魔法が、我々の知る物理化学法則とどう関係しているのかも明らかではありません。

 以上のことが私が『魔界の紋章』は未だハードファンタジーではないと考える理由です。


 ところで上記の「炭素が珪素に変化するとすれぽ、かならず放射性同位元素ができる」ということは妥当な判断でしょうか? 次回に実際の核変換を考察してみましょう。


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Ref-1) ポール・アンダースン;豊田有恒(訳)『魔界の紋章(ハヤカワ文庫―SF)』早川書房(1978/02/28)
a) 「『魔界の紋章』 昔こんなファンタジイがありました」手当たり次第の本棚(2004-11-17 20:06:27)
b) イクシーの書庫(2013/05/15 22:06)

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