前回からの続き
名著とされる安藤達朗『大学への日本史』研文書院(1990/03/10)には、歴史の歴とは事実の記述、史とはそれをどう物語るかという、いわば解釈、という趣旨の言葉があります[*1]。
冒頭で紹介した2冊の本を見ると、この言葉が実感されます。同じように歴史の陰における会計技術の影響の大きさを語りながら、なかなかに対照的なところもあるのです。
Ref-1) ジェーン・グリーソン・ホワイト(Jane Gleeson-White)『バランスシートで読みとく世界経済史』日経BP社(2014/10/15) ISBN-10: 4822250466
原著 "Double Entry"
序 章 ロバート・ケネディと富の測定
第 1章 会計――コミュニケーションの始まり
第 2章 商人と数学
第 3章 ルカ・パチョーリ、有名人になる
第 4章 パチョーリの簿記論
第 5章 複式簿記の普及
第 6章 産業革命と会計士の誕生
第 7章 複式簿記と資本主義――卵が先か、鶏が先か
第 8章 ケインズ――複式簿記と国民の富
第 9章 会計専門職の台頭とスキャンダル
第10章 会計は地球を救えるか
終 章
Ref-2) ジェイコブ・ソール(Jacob Soll)『帳簿の世界史』文藝春秋(2015/04/08) ISBN-10: 4163902465
原著 "The Reckoning"
■序 章 ルイ一六世はなぜ断頭台へ送られたのか
■第1章 帳簿はいかにして生まれたのか
■第2章 イタリア商人の「富と罰」
■第3章 新プラトン主義に敗れたメディチ家
■第4章 「太陽の沈まぬ国」が沈むとき
■第5章 オランダ黄金時代を作った複式簿記
■第6章 ブルボン朝最盛期を築いた冷酷な会計顧問
■第7章 英国首相ウォルポールの裏金工作
■第8章 名門ウェッジウッドを生んだ帳簿分析
■第9章 フランス絶対王政を丸裸にした財務長官
■第10章 会計の力を駆使したアメリカ建国の父たち
■第11章 鉄道が生んだ公認会計士
■第12章 『クリスマス・キャロル』に描かれた会計の二面性
■第13章 大恐慌とリーマン・ショックはなぜ防げなかったのか
■終 章 経済破綻は世界の金融システムに組み込まれている
■日本版特別付録 帳簿の日本史(編集部)
両者の一番大きい違いは会計の父パチョーリの扱いです。Whiteは3章もパチョーリの話に当てていて、アマゾン連合王国[*2]では「パチョーリ、パチョーリとウザイ」という評者もいるほどです。一方J.Sollがパチョーリに触れているは、第4章の一部のみで、しかも何だか扱いが冷たい。ちょっとその違いを見てみましょう。
まずWhiteから、
「ヴェネツィア式簿記についてはじめて体系的に論じたこのテキストが幅広い読者を獲得し、ヨーロッパにおける標準的な会計手法として定着するまでにそれほど多くの時間はかからなかった。」[p93]
「16世紀に、イタリア、ドイツ、オランダ、フランス、イングランドで出版された簿記の本はすべて、パチョーリのこの著作をベースにしてつくられている。そして、これらの本に影響を受けた複式簿記の教科書が、1800年までにヨーロッパで150タイトル以上も出版された。その範囲は、スウェーデン(1646年)、デンマーク(1673年)、ポルトガル(1758年)、ノルウェー(1775年)、ロシア(1783年)におよび、すべてがもとをたどればパチョーリの本に行きつく。」[p116]
さてJ.Sollは、
「しかしこの世界初の会計の入門書は、その後一〇〇年にわたって商人からも思想家からも無視された。一六世紀に入ると、多くの国が騎士道精神を掲げる絶対君主を戴くようになり、会計は身分の低い商人の技術であるとして次第にさげすまれるようになっていったためである。」[p95]
「『スムマ』は遅れてきた名著であり、その頃には会計文化はかつての輝きを失っていた。人文主義全盛のルネサンス期には、同書はさほど評価されなかった。一六世紀初頭に同書の存在を知っていた学者や思想家はごくわずかであり、政治指導者になるともっとすくなく、これを財政運営に活用した者となるとほとんどいなかった。」[p96]
「だが残念ながら、パチョーリの望みは叶わなかった。ルネサンス期の基準から見て、「スムマ』がとりわけよく売れたとは言いがたい。」[p104]
「とはいえ、イタリアで、いわば国産の会計入門書が容易に入手可能になったことは事実である。さまざまな資料から、『スムマ」の会計に関する部分だけが抜き出され、ヴェネツィア式複式簿記の指南書として出回ったらしいことがわかっている。これが、『スムマ』がイタリアであまり売れなかった理由かもしれない。『スムマ』は他の簿記書の参考文献に使われ、しかもその断り書きもパチョーリへの謝辞もないことがほとんどだった。」[p104]
読み比べると確かに両者の記載には史実における矛盾はありません。同じ「歴」からこれほど印象の違う「史」が書けるという実によい例です。史実を並べると次のようになります。
a) 『スムマ』自体は「ルネッサンス期の基準から見て」あまり売れなかった。
b) 16世紀には『スムマ』をパクった会計テキストがいくつか書かれ、イタリア以外にも広まった。Whiteによれば、ドイツ語の簿記のテキスト(1537)。ヴェネツィアのドメニコ・マンゾー二(1540)。オランダのジャン・イムピン・クリストッフェル(1543)。クリストッフェル本の翻訳、フランス(1543年)、イングランド(1547年)。J.Sollはマンツォー二本に触れている。
J.Sollは『スムマ』自体は著作権を無視されて不遇だった点を強調し、同じ事実をWhiteは、本人の金銭的損失は無視して会計技術の広まりに強い影響を与えた点を強調したのです。Whiteは「幅広い読者」の中に恐らくはマンツォー二本やクリストッフェル本の読者も含めており、J.Sollは「一〇〇年にわたって商人からも思想家からも無視された」と言いつつ、コピー本が広く読まれた事実は無視しています。
J.Sollも別にパチョーリに個人的恨みがあるはずもなく、「ルネッサンス期に勃興した規律と責任を含む会計文化が絶対王政への移行と共に衰退し、それがまた絶対王政の崩壊の一因ともなった」という歴史解釈を強調して、上記のような表現になったのでしょう。『帳簿の世界史』を原題"THE RECKONING - FINANCIAL ACCOUNTABILITY and the RISE and FALL of NATIONS -"に忠実に「決算 -財務責任と国家の興亡-」とすべきとの評がありましたが、まさにJ.Sollの視点は会計技術自体の歴史ではなく、会計技術が関与した国家や組織の歴史に向けられているのです。Whiteも7~10章などはやはり歴史の中での会計技術の影響が主ですが、前半では会計技術自体の記述が多くなっています。
J.Sollは4-11章で絶対王政からアメリカ資本主義勃興までの歴史を詳述していますが、Whiteが該当する歴史に当てたのは第6章のみです。そしてどちらかというとWhiteが会計技術自体の発達を中心に述べているようです。それゆえかアマゾンの書評には、Ref-1の方に他の歴史との関わりを期待し、Ref-2により詳しい会計技術自体の話を期待して失望したとの評もあったりします[*2]。
ともかく、このように異なる書き方の本を読み比べられたのは幸運なことでした。
次回は日本編です。
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*1) 古い本だが、アメジローさんのブログの大学受験参考書を読む(12)安藤達朗「大学への日本史」(2015年/11/08)に熱い紹介がある。
*2) 2013年版レビュー。間違ってないよ(^_^)。ちなみに米国でのレビューの方が遥かに数が多い。日本でのレビューは少ない。
なお『帳簿の歴史』のレビューも載せておくが、米国では"Double Entry"の方が"The Reckoning"よりレビューが多いのに日本では逆であるのはおもしろい。
名著とされる安藤達朗『大学への日本史』研文書院(1990/03/10)には、歴史の歴とは事実の記述、史とはそれをどう物語るかという、いわば解釈、という趣旨の言葉があります[*1]。
冒頭で紹介した2冊の本を見ると、この言葉が実感されます。同じように歴史の陰における会計技術の影響の大きさを語りながら、なかなかに対照的なところもあるのです。
Ref-1) ジェーン・グリーソン・ホワイト(Jane Gleeson-White)『バランスシートで読みとく世界経済史』日経BP社(2014/10/15) ISBN-10: 4822250466
原著 "Double Entry"
序 章 ロバート・ケネディと富の測定
第 1章 会計――コミュニケーションの始まり
第 2章 商人と数学
第 3章 ルカ・パチョーリ、有名人になる
第 4章 パチョーリの簿記論
第 5章 複式簿記の普及
第 6章 産業革命と会計士の誕生
第 7章 複式簿記と資本主義――卵が先か、鶏が先か
第 8章 ケインズ――複式簿記と国民の富
第 9章 会計専門職の台頭とスキャンダル
第10章 会計は地球を救えるか
終 章
Ref-2) ジェイコブ・ソール(Jacob Soll)『帳簿の世界史』文藝春秋(2015/04/08) ISBN-10: 4163902465
原著 "The Reckoning"
■序 章 ルイ一六世はなぜ断頭台へ送られたのか
■第1章 帳簿はいかにして生まれたのか
■第2章 イタリア商人の「富と罰」
■第3章 新プラトン主義に敗れたメディチ家
■第4章 「太陽の沈まぬ国」が沈むとき
■第5章 オランダ黄金時代を作った複式簿記
■第6章 ブルボン朝最盛期を築いた冷酷な会計顧問
■第7章 英国首相ウォルポールの裏金工作
■第8章 名門ウェッジウッドを生んだ帳簿分析
■第9章 フランス絶対王政を丸裸にした財務長官
■第10章 会計の力を駆使したアメリカ建国の父たち
■第11章 鉄道が生んだ公認会計士
■第12章 『クリスマス・キャロル』に描かれた会計の二面性
■第13章 大恐慌とリーマン・ショックはなぜ防げなかったのか
■終 章 経済破綻は世界の金融システムに組み込まれている
■日本版特別付録 帳簿の日本史(編集部)
両者の一番大きい違いは会計の父パチョーリの扱いです。Whiteは3章もパチョーリの話に当てていて、アマゾン連合王国[*2]では「パチョーリ、パチョーリとウザイ」という評者もいるほどです。一方J.Sollがパチョーリに触れているは、第4章の一部のみで、しかも何だか扱いが冷たい。ちょっとその違いを見てみましょう。
まずWhiteから、
「ヴェネツィア式簿記についてはじめて体系的に論じたこのテキストが幅広い読者を獲得し、ヨーロッパにおける標準的な会計手法として定着するまでにそれほど多くの時間はかからなかった。」[p93]
「16世紀に、イタリア、ドイツ、オランダ、フランス、イングランドで出版された簿記の本はすべて、パチョーリのこの著作をベースにしてつくられている。そして、これらの本に影響を受けた複式簿記の教科書が、1800年までにヨーロッパで150タイトル以上も出版された。その範囲は、スウェーデン(1646年)、デンマーク(1673年)、ポルトガル(1758年)、ノルウェー(1775年)、ロシア(1783年)におよび、すべてがもとをたどればパチョーリの本に行きつく。」[p116]
さてJ.Sollは、
「しかしこの世界初の会計の入門書は、その後一〇〇年にわたって商人からも思想家からも無視された。一六世紀に入ると、多くの国が騎士道精神を掲げる絶対君主を戴くようになり、会計は身分の低い商人の技術であるとして次第にさげすまれるようになっていったためである。」[p95]
「『スムマ』は遅れてきた名著であり、その頃には会計文化はかつての輝きを失っていた。人文主義全盛のルネサンス期には、同書はさほど評価されなかった。一六世紀初頭に同書の存在を知っていた学者や思想家はごくわずかであり、政治指導者になるともっとすくなく、これを財政運営に活用した者となるとほとんどいなかった。」[p96]
「だが残念ながら、パチョーリの望みは叶わなかった。ルネサンス期の基準から見て、「スムマ』がとりわけよく売れたとは言いがたい。」[p104]
「とはいえ、イタリアで、いわば国産の会計入門書が容易に入手可能になったことは事実である。さまざまな資料から、『スムマ」の会計に関する部分だけが抜き出され、ヴェネツィア式複式簿記の指南書として出回ったらしいことがわかっている。これが、『スムマ』がイタリアであまり売れなかった理由かもしれない。『スムマ』は他の簿記書の参考文献に使われ、しかもその断り書きもパチョーリへの謝辞もないことがほとんどだった。」[p104]
読み比べると確かに両者の記載には史実における矛盾はありません。同じ「歴」からこれほど印象の違う「史」が書けるという実によい例です。史実を並べると次のようになります。
a) 『スムマ』自体は「ルネッサンス期の基準から見て」あまり売れなかった。
b) 16世紀には『スムマ』をパクった会計テキストがいくつか書かれ、イタリア以外にも広まった。Whiteによれば、ドイツ語の簿記のテキスト(1537)。ヴェネツィアのドメニコ・マンゾー二(1540)。オランダのジャン・イムピン・クリストッフェル(1543)。クリストッフェル本の翻訳、フランス(1543年)、イングランド(1547年)。J.Sollはマンツォー二本に触れている。
J.Sollは『スムマ』自体は著作権を無視されて不遇だった点を強調し、同じ事実をWhiteは、本人の金銭的損失は無視して会計技術の広まりに強い影響を与えた点を強調したのです。Whiteは「幅広い読者」の中に恐らくはマンツォー二本やクリストッフェル本の読者も含めており、J.Sollは「一〇〇年にわたって商人からも思想家からも無視された」と言いつつ、コピー本が広く読まれた事実は無視しています。
J.Sollも別にパチョーリに個人的恨みがあるはずもなく、「ルネッサンス期に勃興した規律と責任を含む会計文化が絶対王政への移行と共に衰退し、それがまた絶対王政の崩壊の一因ともなった」という歴史解釈を強調して、上記のような表現になったのでしょう。『帳簿の世界史』を原題"THE RECKONING - FINANCIAL ACCOUNTABILITY and the RISE and FALL of NATIONS -"に忠実に「決算 -財務責任と国家の興亡-」とすべきとの評がありましたが、まさにJ.Sollの視点は会計技術自体の歴史ではなく、会計技術が関与した国家や組織の歴史に向けられているのです。Whiteも7~10章などはやはり歴史の中での会計技術の影響が主ですが、前半では会計技術自体の記述が多くなっています。
J.Sollは4-11章で絶対王政からアメリカ資本主義勃興までの歴史を詳述していますが、Whiteが該当する歴史に当てたのは第6章のみです。そしてどちらかというとWhiteが会計技術自体の発達を中心に述べているようです。それゆえかアマゾンの書評には、Ref-1の方に他の歴史との関わりを期待し、Ref-2により詳しい会計技術自体の話を期待して失望したとの評もあったりします[*2]。
ともかく、このように異なる書き方の本を読み比べられたのは幸運なことでした。
次回は日本編です。
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*1) 古い本だが、アメジローさんのブログの大学受験参考書を読む(12)安藤達朗「大学への日本史」(2015年/11/08)に熱い紹介がある。
*2) 2013年版レビュー。間違ってないよ(^_^)。ちなみに米国でのレビューの方が遥かに数が多い。日本でのレビューは少ない。
なお『帳簿の歴史』のレビューも載せておくが、米国では"Double Entry"の方が"The Reckoning"よりレビューが多いのに日本では逆であるのはおもしろい。
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