日本のテレビやマンガのヒーロー物、に限らず世界的にも多くの小説・ドラマ等でも、主人公は一人と決まっていることがほとんどでした[*1]。それが日本のテレビではたぶん戦隊シリーズで5人ほどの主人公がチームとして戦うという設定がでてきました[*2]。それでも彼らは大概はバックに何の組織も持たず孤軍奮闘することがほとんどで、ワールドトリガーのように組織が前面に出てくる物語は極めて珍しいかったと言えるでしょう。そして2015年秋からテレビで始まったガンダムシリーズの鉄血のオルフェンズの鉄華団です。これはまさにひとつの企業?が主人公といった趣です。
小説におけるヒーロー物?(活劇物)でも組織が前面に出るというのはいわゆる警察小説やミリタリー物くらいかも知れません。いや警察や軍隊が舞台とはなっても主人公はあくまでも少数の個人で、組織は物語の背景、ある場合は主人公の敵対者だったりすることも普通です。経済界や企業経営の場を舞台とした小説でも、組織の中で立ちまわる個人の物語というのがほとんどです。そして組織というものは、非情で個人の手が届かないブラックボックス的な謎めいた存在として描かれることが多かったように思います。
歴史小説では織田信長など組織の長を主人公とする物語も多いのですが、少なくとも私が目にした多くは、組織をまるでゲームの駒のごとく動かせることは主人公の前提能力として、個人としての主人公がそれをどう活かしていくかという点が描かれるだけのように思えました。いうなれば、配下の軍団は主人公が持つ武器のひとつに過ぎないという描かれ方ですね[*3]。
ノンフィクションのビジネス書では「会社を経営する方法」を書いたものなどは普通にありますが、フィクションでは組織が主体に見えるものはほとんどなかったように思えます。
それが大きく変化したのはいわゆる架空戦記物の登場からではないかと思います。なにしろ国家が戦う物語なのですから、国の首脳達を主人公の一部にはせざるをえません。さらに国を要所で動かす多数の人々も描くことでリアルさが増しますから、水滸伝状態もいとわぬ覚悟で書くことになるのでしょう[*4]。ここでは組織はブラックボツクスではなく、個人の努力で動かせる対象として描かれます。当然ながら悪または非情な存在と決めつけられることはなく、人間の使い方によって悪にも善にもなるものとして描かれます。
そして日本の人口の中でホワイトカラーの給与所得者、いわゆるサラリーマンの割合が増えてゆき、彼らは職務としてもある程度は企業経営を考慮することを要請されます。さらに外野席からながらも国家運営を議論する人たちもふえてきました。ということで、いつまでも組織をブラックボックスとして描くのでは読者の実態に合わなくなっても来ていたのでしょう。ついでに21世紀の日本では若くして起業する人たちも増えてますしね。
さてガンダムシリーズ最初の作品、機動戦士ガンダム(1979/04)も国家間の戦争が舞台でしたが、主人公はあくまでもアムロ一人で準主人公としては宇宙船ホワイトベースの乗組員たちでした[*5]。彼らの活躍が戦争の推移に大きく影響はしたらしいのですが、全体の推移はどこか遠くの出来事のような印象でした。その戦争全体の実際はwikipediaの1年戦争にまとめられています。また第二次大戦などと比較した歴史学的解析?は、円道祥之『ガンダム「一年戦争」(宝島社文庫)』(2002/08/08)で読めます。市ヶ谷ハジメ『機動戦士ガンダム MS戦略分析』(2007/11)(2014/03)もおもしろいかも知れません[*6)]。これらに描かれる全体像の中だとアムロの物語は単にひとつのエピソードですね(^_^)
機動戦士ガンダム00(ダブル・オー)(2007/10)にいたりソレスタル・ビーイングなる「組織」が主人公となりましたが、あまり描かれなかったサポート部隊を含めても世帯が小さいこともあり、組織というよりはチームという方がピッタリでした。それに比べると鉄華団は大所帯で、その大所帯の中の一人一人をていねいに描く手腕は大したものです。
従来のガンダムシリーズから言えばエースパイロットの三日月が第1主人公に決まりですが、どうも彼の口数が少ないせいか、オルガの方が存在感があるように感じられてしまいます。彼はまさに若くして組織のトップの苦しさを一身に背負ったような形で、若いころの自分に重ねて暖かく見守りたいおじさん達も多いのではないでしょうか。テイワーズの親分さんみたいな心情の人達ですね。組織も小さいうちは「全員家族だ」と言っていられるのですが、だんだんと所帯が大きくなると「かわいい家族の面倒を見る」ということが「余計なお世話」か「上からの押しつけ」になってくるものです。そして火星の王となった時には孤独な独裁者に変じるという歴史上にありがちなパターンになりはせぬかとハラハラしながら見ていますが、まあそこまでのことは番組連載が終了した後に心配すればよいことかも知れません。
今のところは配下の多くから、特に優秀な側近達からの強い信頼を得ていて、相談役にも結構恵まれるという幸せなボスですが、それだけに信頼を裏切れないというプレッシャーは大変なものでしょう。
で、当初は敵役かとも思えたあの人も主人公級だよね、やっぱり。参謀役の主人公級かと思った人物が早々に退場するし、よく人が死ぬアニメです。戦争状態を描いているから、それがリアルだといえばその通りですが、やはり悲しい。
まさかチョコレートのお兄さんのクーデターが破れて、鉄華団はまたまた苦境に立たされるなんて超展開はないでしょうね? うーむ一抹の不安が・・・。
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*1) 水滸伝という例外的に多数のヒーローが登場する物語もあるが、これも描かれるのは個人であって組織ではない。
*2) 秘密戦隊ゴレンジャー(1975)の原作者石ノ森章太郎は既にサイボーグ009(1964/07)で9人のヒーローチームを作っていた。海外ではマーベルコミックスのファンタスティック・フォー(1961)あたりが走りだろうか。まあ忍者部隊月光(1964/01)というチームもあったが。なお戦隊シリーズについては、Wikipediaのスーパー戦隊シリーズという項目が詳しい。
*3) 堺屋太一『世界を創った男 チンギス・ハン(日経ビジネス人文庫)』(2011/08/02) では、組織の経営が踏み込んで描かれていた。
*4) もしかして聖闘士星矢も組織が主人公なのか(^_^)。20世紀に入って内紛の絶えない組織だけども・・。
*5) 乗組員たちが準主人公と言えば宇宙戦艦ヤマト(1974)は外せない。
*6)
円道祥之『ガンダム「一年戦争」(宝島社文庫)』宝島社 (2002/08/08) ISBN-10: 4796628177
市ヶ谷ハジメ『機動戦士ガンダム MS戦略分析』双葉社(2007/11) ISBN-10: 4575299936
市ヶ谷ハジメ『機動戦士ガンダム MS戦略分析2宇宙世紀概論』双葉社(2014/03/19) ISBN-10: 4575306517
小説におけるヒーロー物?(活劇物)でも組織が前面に出るというのはいわゆる警察小説やミリタリー物くらいかも知れません。いや警察や軍隊が舞台とはなっても主人公はあくまでも少数の個人で、組織は物語の背景、ある場合は主人公の敵対者だったりすることも普通です。経済界や企業経営の場を舞台とした小説でも、組織の中で立ちまわる個人の物語というのがほとんどです。そして組織というものは、非情で個人の手が届かないブラックボックス的な謎めいた存在として描かれることが多かったように思います。
歴史小説では織田信長など組織の長を主人公とする物語も多いのですが、少なくとも私が目にした多くは、組織をまるでゲームの駒のごとく動かせることは主人公の前提能力として、個人としての主人公がそれをどう活かしていくかという点が描かれるだけのように思えました。いうなれば、配下の軍団は主人公が持つ武器のひとつに過ぎないという描かれ方ですね[*3]。
ノンフィクションのビジネス書では「会社を経営する方法」を書いたものなどは普通にありますが、フィクションでは組織が主体に見えるものはほとんどなかったように思えます。
それが大きく変化したのはいわゆる架空戦記物の登場からではないかと思います。なにしろ国家が戦う物語なのですから、国の首脳達を主人公の一部にはせざるをえません。さらに国を要所で動かす多数の人々も描くことでリアルさが増しますから、水滸伝状態もいとわぬ覚悟で書くことになるのでしょう[*4]。ここでは組織はブラックボツクスではなく、個人の努力で動かせる対象として描かれます。当然ながら悪または非情な存在と決めつけられることはなく、人間の使い方によって悪にも善にもなるものとして描かれます。
そして日本の人口の中でホワイトカラーの給与所得者、いわゆるサラリーマンの割合が増えてゆき、彼らは職務としてもある程度は企業経営を考慮することを要請されます。さらに外野席からながらも国家運営を議論する人たちもふえてきました。ということで、いつまでも組織をブラックボックスとして描くのでは読者の実態に合わなくなっても来ていたのでしょう。ついでに21世紀の日本では若くして起業する人たちも増えてますしね。
さてガンダムシリーズ最初の作品、機動戦士ガンダム(1979/04)も国家間の戦争が舞台でしたが、主人公はあくまでもアムロ一人で準主人公としては宇宙船ホワイトベースの乗組員たちでした[*5]。彼らの活躍が戦争の推移に大きく影響はしたらしいのですが、全体の推移はどこか遠くの出来事のような印象でした。その戦争全体の実際はwikipediaの1年戦争にまとめられています。また第二次大戦などと比較した歴史学的解析?は、円道祥之『ガンダム「一年戦争」(宝島社文庫)』(2002/08/08)で読めます。市ヶ谷ハジメ『機動戦士ガンダム MS戦略分析』(2007/11)(2014/03)もおもしろいかも知れません[*6)]。これらに描かれる全体像の中だとアムロの物語は単にひとつのエピソードですね(^_^)
機動戦士ガンダム00(ダブル・オー)(2007/10)にいたりソレスタル・ビーイングなる「組織」が主人公となりましたが、あまり描かれなかったサポート部隊を含めても世帯が小さいこともあり、組織というよりはチームという方がピッタリでした。それに比べると鉄華団は大所帯で、その大所帯の中の一人一人をていねいに描く手腕は大したものです。
従来のガンダムシリーズから言えばエースパイロットの三日月が第1主人公に決まりですが、どうも彼の口数が少ないせいか、オルガの方が存在感があるように感じられてしまいます。彼はまさに若くして組織のトップの苦しさを一身に背負ったような形で、若いころの自分に重ねて暖かく見守りたいおじさん達も多いのではないでしょうか。テイワーズの親分さんみたいな心情の人達ですね。組織も小さいうちは「全員家族だ」と言っていられるのですが、だんだんと所帯が大きくなると「かわいい家族の面倒を見る」ということが「余計なお世話」か「上からの押しつけ」になってくるものです。そして火星の王となった時には孤独な独裁者に変じるという歴史上にありがちなパターンになりはせぬかとハラハラしながら見ていますが、まあそこまでのことは番組連載が終了した後に心配すればよいことかも知れません。
今のところは配下の多くから、特に優秀な側近達からの強い信頼を得ていて、相談役にも結構恵まれるという幸せなボスですが、それだけに信頼を裏切れないというプレッシャーは大変なものでしょう。
で、当初は敵役かとも思えたあの人も主人公級だよね、やっぱり。参謀役の主人公級かと思った人物が早々に退場するし、よく人が死ぬアニメです。戦争状態を描いているから、それがリアルだといえばその通りですが、やはり悲しい。
まさかチョコレートのお兄さんのクーデターが破れて、鉄華団はまたまた苦境に立たされるなんて超展開はないでしょうね? うーむ一抹の不安が・・・。
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*1) 水滸伝という例外的に多数のヒーローが登場する物語もあるが、これも描かれるのは個人であって組織ではない。
*2) 秘密戦隊ゴレンジャー(1975)の原作者石ノ森章太郎は既にサイボーグ009(1964/07)で9人のヒーローチームを作っていた。海外ではマーベルコミックスのファンタスティック・フォー(1961)あたりが走りだろうか。まあ忍者部隊月光(1964/01)というチームもあったが。なお戦隊シリーズについては、Wikipediaのスーパー戦隊シリーズという項目が詳しい。
*3) 堺屋太一『世界を創った男 チンギス・ハン(日経ビジネス人文庫)』(2011/08/02) では、組織の経営が踏み込んで描かれていた。
*4) もしかして聖闘士星矢も組織が主人公なのか(^_^)。20世紀に入って内紛の絶えない組織だけども・・。
*5) 乗組員たちが準主人公と言えば宇宙戦艦ヤマト(1974)は外せない。
*6)
円道祥之『ガンダム「一年戦争」(宝島社文庫)』宝島社 (2002/08/08) ISBN-10: 4796628177
市ヶ谷ハジメ『機動戦士ガンダム MS戦略分析』双葉社(2007/11) ISBN-10: 4575299936
市ヶ谷ハジメ『機動戦士ガンダム MS戦略分析2宇宙世紀概論』双葉社(2014/03/19) ISBN-10: 4575306517
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