非ユークリッド幾何学について良い解説のある本がありましたので紹介いたします。
野崎昭弘『不完全性定理―数学的体系のあゆみ(ちくま学芸文庫)』筑摩書房(2006/05)
この本の第1章「ギリシャの奇跡」には『原論』誕生までの話が、第2章「体系とその進化」には非ユークリッド幾何学の確立までの話が載っていますが、歴史的挿話と共に公理系という概念の発展の解説がしっかりとなされています。さらに加群の公理系も例とすることで、現代の公理系の考え方が比較的に短い中で要点を押さえて説明されています。
しかも特別付録として(^_^)伊藤看寿作の詰め将棋が一題付いています(p210)。
なおタイトルでもわかる通り、この本の主題はゲーデルの不完全性定理ですが、私が読んだ類書の中では一番わかりやすくかつ正確な解説だと思います。なにしろゲーデルの不完全性定理と言えば、専門外の人達にもその名が広く知られていることではアインシュタインの相対性理論やダーウィンの進化論にも匹敵しそうですが、両理論以上に誤解にまみれていそうです。「不完全性定理」と「完全性定理」の違いとか、「完全性」の複数の意味の違いがキチンと説明されていないと読者は混乱しますが、わたしの知る限り専門外の人向けのそんな啓蒙書はこの本だけでした。この本では明確に、「なお「完全」というのはまぎらわしい言葉で,私が知っているだけでも5~6通りの違った意味がある」(p207)と書かれています。
え、不完全性定理についての記述が正確かどうかが私にわかるのかって? ハハハハ罰っ。ま、色々勉強して自分の中ではわかるようになったと思っています(^_^)。不完全性定理の話はそのうちに本ブログでも取り上げたいと思います。
ただしこの本の第1章に記載された数学的証明の起源に関するよく知られた通説は、最新の歴史学では否定されています。詳しくは以下の文献を参照して下さい。
斎藤憲 "ピュタゴラスたちの真実" 日経サイエンス 2004年5月号~10月号で6回連載
http://www.nikkei-science.com/item.php?did=55405
斎藤憲「ユークリッド『原論』とは何か―二千年読みつがれた数学の古典」の第4章
岩波書店 (2008/09) ISBN-10: 4000074881
日経サイエンス2004年5月号(p126)から引用すれば、広く知られた通説では、「タレス(前640?~前562年?)やピュタゴラス(前572?~前494年?)といった伝説的人物がエジプトやバビロニアの数学を取り入れて論証数学を創始し、プラトン(前427~前347年)の学園で花開いた」とされていますが、
-----引用-------
しかし,これは多くの人を長い間だまし続けることに成功した,とてもよくできた作り話だった。タレスは確かに多才な賢人だったが,彼が証明という概念を知っていたとは考えられない。二千数百年にわたって人々の中にしぶとく生き続けた「数学者ピュタゴラス」はわずか40年ほど前の1962年についに息の根を止められた。
現存する資料を注意深く読んでいけば,証明を発明し論証数学の基礎を築いたのはピュタゴラスのような伝説の後光に包まれた超人とその教団ではなく、たった1人の「他の事柄についてはのろまで無思慮な」人物だったことがわかる。その人の名はヒッポクラテスという(有名な医学の祖のヒッポクラテスと区別するためにキオスのヒッポクラテスと呼ばれる)。
-----終 -------
実は通説のソースは、古代ギリシャ末期の哲学者プロクロス(412-485)の『原論第I巻への注釈』とアリストテレスの弟子だったエウデモスの『幾何学史』(紀元前320年頃)で、前者の記載は後者からの抜粋です。そして、エウデモスが参考にしたプラトンの弟子達がタレスやピュタゴラスの神話を作ったということらしいのです。
キオスのヒッポクラテスは裁判のためにアテネにやってきて、裁判で訴訟人のために弁論する仕事の人達(ソフィスト)との付き合いが始まり、法廷弁論の技術を数学に持ち込んで証明というものを発明した、というのが上記紹介の説で、プラトンはソフィスト達を嫌っていたため証明がヒッポクラテスの発明だとは認めたくなかった、ということらしいのです。
[幾何学-6]へ続く
野崎昭弘『不完全性定理―数学的体系のあゆみ(ちくま学芸文庫)』筑摩書房(2006/05)
この本の第1章「ギリシャの奇跡」には『原論』誕生までの話が、第2章「体系とその進化」には非ユークリッド幾何学の確立までの話が載っていますが、歴史的挿話と共に公理系という概念の発展の解説がしっかりとなされています。さらに加群の公理系も例とすることで、現代の公理系の考え方が比較的に短い中で要点を押さえて説明されています。
しかも特別付録として(^_^)伊藤看寿作の詰め将棋が一題付いています(p210)。
なおタイトルでもわかる通り、この本の主題はゲーデルの不完全性定理ですが、私が読んだ類書の中では一番わかりやすくかつ正確な解説だと思います。なにしろゲーデルの不完全性定理と言えば、専門外の人達にもその名が広く知られていることではアインシュタインの相対性理論やダーウィンの進化論にも匹敵しそうですが、両理論以上に誤解にまみれていそうです。「不完全性定理」と「完全性定理」の違いとか、「完全性」の複数の意味の違いがキチンと説明されていないと読者は混乱しますが、わたしの知る限り専門外の人向けのそんな啓蒙書はこの本だけでした。この本では明確に、「なお「完全」というのはまぎらわしい言葉で,私が知っているだけでも5~6通りの違った意味がある」(p207)と書かれています。
え、不完全性定理についての記述が正確かどうかが私にわかるのかって? ハハハハ罰っ。ま、色々勉強して自分の中ではわかるようになったと思っています(^_^)。不完全性定理の話はそのうちに本ブログでも取り上げたいと思います。
ただしこの本の第1章に記載された数学的証明の起源に関するよく知られた通説は、最新の歴史学では否定されています。詳しくは以下の文献を参照して下さい。
斎藤憲 "ピュタゴラスたちの真実" 日経サイエンス 2004年5月号~10月号で6回連載
http://www.nikkei-science.com/item.php?did=55405
斎藤憲「ユークリッド『原論』とは何か―二千年読みつがれた数学の古典」の第4章
岩波書店 (2008/09) ISBN-10: 4000074881
日経サイエンス2004年5月号(p126)から引用すれば、広く知られた通説では、「タレス(前640?~前562年?)やピュタゴラス(前572?~前494年?)といった伝説的人物がエジプトやバビロニアの数学を取り入れて論証数学を創始し、プラトン(前427~前347年)の学園で花開いた」とされていますが、
-----引用-------
しかし,これは多くの人を長い間だまし続けることに成功した,とてもよくできた作り話だった。タレスは確かに多才な賢人だったが,彼が証明という概念を知っていたとは考えられない。二千数百年にわたって人々の中にしぶとく生き続けた「数学者ピュタゴラス」はわずか40年ほど前の1962年についに息の根を止められた。
現存する資料を注意深く読んでいけば,証明を発明し論証数学の基礎を築いたのはピュタゴラスのような伝説の後光に包まれた超人とその教団ではなく、たった1人の「他の事柄についてはのろまで無思慮な」人物だったことがわかる。その人の名はヒッポクラテスという(有名な医学の祖のヒッポクラテスと区別するためにキオスのヒッポクラテスと呼ばれる)。
-----終 -------
実は通説のソースは、古代ギリシャ末期の哲学者プロクロス(412-485)の『原論第I巻への注釈』とアリストテレスの弟子だったエウデモスの『幾何学史』(紀元前320年頃)で、前者の記載は後者からの抜粋です。そして、エウデモスが参考にしたプラトンの弟子達がタレスやピュタゴラスの神話を作ったということらしいのです。
キオスのヒッポクラテスは裁判のためにアテネにやってきて、裁判で訴訟人のために弁論する仕事の人達(ソフィスト)との付き合いが始まり、法廷弁論の技術を数学に持ち込んで証明というものを発明した、というのが上記紹介の説で、プラトンはソフィスト達を嫌っていたため証明がヒッポクラテスの発明だとは認めたくなかった、ということらしいのです。
[幾何学-6]へ続く
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