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グルーの逆説-2-

2010-03-22 06:47:19 | 数学基礎論/論理学
 前回の続きです。

 グルーブリーンの逆理を対称性という点から考えてみます。対称性とは英語で成り立つ命題を持ってきてグリーンをグルーにブルーをブリーンに置き換えても、見かけ上成り立ってしまうということです。対称性というよりも射影幾何学の双対性(duality)とのアナロジーが強いと私は感じます。以下に対称的な例文を挙げます。

1a) これまでグリーンだったものは3000年1月1日以降もグリーンのままである。
1b) これまでグルーだったものは3000年1月1日以降もグルーのままである。
2a) グルーとは「2999年12月31日までのグリーンのものと、3000年1月1日以降のブルーのものに当てはまる言葉」である。このように未来の時間を参照しなくては定義できないグルーという言葉は作為的で不自然だ。
2b) グリーンとは「2999年12月31日までのグルーのものと、3000年1月1日以降のブリーンのものに当てはまる言葉」であるこのように未来の時間を参照しなくては定義できないグリーンという言葉は作為的で不自然だ。
3a) グリーンとブルーで事足りるのに、グルーなどという余分な複合語を持ち出すのはオッカムのカミソリに反する。
3b) グルーとブリーンで事足りるのに、グリーンなどという余分な複合語を持ち出すのはオッカムのカミソリに反する。
4a) グルーブリーン語を話す人々の親は、子どもにこの言葉をどう教えるというのか。多くの哲学者は、グルーブリーン語を第一言語として本当に学べる人はいないと信じている。確かに親は草を指して「グルー」と言い、空を指して「ブリーン」と言うことができる。しかし2999年12月31日の深夜十二時に知覚が変化する(色が変わるとは言うべきではない。グルーもブリーンもその言葉を使う人々にとっての色だからだ)ことを、言語の習得過程のある時点で伝えなければならない。ここで対称性が成り立たなくなる。英語を話す子どもには、グリーンの意味を間違わないように、3000年にブルーに変わらないことをわざわざ教えてやることはない。それは当然のことなのだ。「グルー」の定義の中には、無関係の時間への言及がある。
4b) グリーンブルー語を話す人々の親は、子どもにこの言葉をどう教えるというのか。多くの哲学者は、グリーンブルー語を第一言語として本当に学べる人はいないと信じている。確かに親は草を指して「グリーン」と言い、空を指して「ブルー」と言うことができる。しかし2999年12月31日の深夜十二時に知覚が変化する(色が変わるとは言うべきではない。グリーンもブルーもその言葉を使う人々にとっての色だからだ)ことを、言語の習得過程のある時点で伝えなければならない。ここで対称性が成り立たなくなる。グルーブリーンを話す子どもには、グルーの意味を間違わないように、3000年にブリーンに変わらないことをわざわざ教えてやることはない。それは当然のことなのだ。「グリーン」の定義の中には、無関係の時間への言及がある。

 実は1ab~3abはref-1で対称性の事例として述べられているもので、4aは同じくref-1で「グルーブリーン語を話す人があらゆる論法をおうむ返しにできる悪循環を脱出する方法の一つ」として述べている文章です。しかし残念ながら4bに示すように、この文章でも悪循環の脱出は難しそうです。

 そこで私オリジナルの設問をひとつ述べましょう。グッドマンの逆理の想定では次のことが言えます。
1) 2999年12月31日までの観察ではグルーのものとグリーンのものは一致する。
2) 3000年1月1日以降の観察ではグルーのものとグリーンのものは異なる。

 さて設問です。英語人にしてもグルーブリーン語人にしても、2の【事実??】を2999年12月31日以前にどうやって知りうるのでしょうか?
 英語人にしてもグルーブリーン語人にしても2999年12月31日以前に1の事実しか観察していないとすれば、帰納法により「3000年1月1日以降もグルーのものとグリーンのものは一致する」と推測するのではないでしょうか?

 3000年1月1日以降になっても英語人もグルーブリーン語人も「草の色は変化していない」と認識していたとしましょう。英語人には草は相変わらずグリーンで、グルーブリーン語人には草は相変わらずグルーです。これは結局3000年1月1日以降もグルーとはグリーンの意味である、ということです。なぜなら、英語人が「草はグリーンだ」と言うのを聞いたグルーブリーン語人は「グリーンとはグルーのことだ」と判断するはずだからです。
 あくまでも3000年1月1日以降にはグルーのものとグリーンのものは異なるのだと主張することは、1の命題については斉一性が成立しない、もしくは1の命題には帰納法は使えない、と主張することと同等です。つまりどういうことかと言うと、グルーブリーンの逆理は「帰納法が成立すると仮定すると、グルーおよびブリーンというカテゴリーを採用した場合には矛盾が生じる」というものです。ブルーおよびグリーンというカテゴリーとグルーおよびブリーンというカテゴリーとの間には【論理的??】に優劣の差が付けられないにもかかわらず、というわけです。しかし実はグルーブリーンの逆理の前提とは「『グルーのものとグリーンのものは一致する』という命題については帰納法は成立しない」という仮定に他ならないのです。「帰納法が成立する」という仮定と「帰納法は成立しない」という仮定を共に前提したのですから、始めから矛盾を前提しているのです。

 上記でグルーを緑にブリーンを青に置き換えてみるとおもしろいのではないでしょうか?
1) 2999年12月31日までの観察では緑のものとグリーンのものは一致する。
2) 3000年1月1日以降の観察では緑のものとグリーンのものは異なる。

 英語人も日本語人も2のような想定はせずに日々翻訳をしています。いかなる自然言語のネイティブでもそれは同じです。グルーブリーン語だけに2のような想定をする理由などないと私は考えます。

 左右同形は中央に手あり (囲碁にも将棋にもある格言)

                 --続く--

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