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数学的実在とは-数学の哲学色々-3-

2010-01-08 06:45:00 | 数学基礎論/論理学
 前回の続きです。

 第三にブラウワーらに始まる有限の立場に立つものとして、直観主義(Intuitionism)と構成主義(Constructivism)があります。が、ヒルベルトも危惧したように生産性に劣るので多くの数学者には採用されていません。思うに、有限の立場のみで数学の基礎を構成しようとすることは、定規とコンパスだけで作図をしようとすることに似ています。その限界の下でどこまでのことができるかを追求すること自体はおもしろい問題ではないでしょうか。

 その他ref1-2[01/02記事]には色々ありますが、詳しくは知りませんので省略します。

 さて私のこれからの議論は数学的プラトン主義の2~3への反論になります。まとめると以下のようになります。
2.数学の諸対象は物理的世界と無関係なものではなく、人間の脳もしくは思考の中において、肉体的経験から抽象されて得られたうえで存在するものである。
3.数学の諸対象は経験から抽象されて得られたものだからこそ、人はそれを認識できる。その認識が経験外と感じるのは錯覚である。

 実のところ、この考えはJ.S.ミル(John Stuart Mill)経験論(Empiricism)に近いようです。で、ref1-2[01/02記事]によればミルの考えは、「その見解に従えば、「2 + 2 = 4」のような言明でも不確実で偶然的な真理にすぎず」ということになりおかしい、と批判されたとのことです。しかしこの批判は簡単に反駁できます。経験からの知識は不確実だといえば不確実ですが、不確実さの違いというのはあるわけで、「2 + 2 = 4」のように絶対的な真理と見まごうほどに確実さの高いものだってあります。現代の幾多の基本的物理法則よりも確実さが高いとさえ言えるでしょう。が、それは「2 + 2 ≠ 4」という観測をした人などこれまでに誰もいないからです。でも「明日には2 + 2 ≠ 4が観測されることは絶対にない」ことは本当に完全に絶対的な真理だと言えるでしょうか? まだ誰も確認していない未来のことなど誰にもわかりません。つまり、「不確実で偶然的な真理」というのが「もしかしたら明日には覆る可能性も完全には否定できない」という意味なら、確かに「2 + 2 = 4」のような言明でも不確実で偶然的な真理です。それで何も矛盾は生じません。

 ついでに言えば、「2 + 2 = 4」というのは実はおそらく、「1+1+1+1 を 4 と定義する。2 + 2 = 1+1+1+1 である。」ということなのです。さらに言えば、「2 + 2 = 4」の[確認=観測=経験]は何らかの個数ないし順番で行われるものです。アルコールの体積2mLと水の体積2mLの和では4mLになりません。もっと言えば、「2 + 2 = 4」というのは2や4という値に具体的対象を当てはめなければ真偽が決定できない命題です。体積の和のように偽である場合もあるのですから。

   幾何学-1へ続く

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