Echidna's Diary♪ エキドナの日記

エキドナの幸せ♪結婚生活

パパ

2021-06-23 | じぶんのこと
私の父親が、数年前に脳梗塞を患い、その後、リハビリの成果もあり、
言葉と足に少し後遺症はあったけど、野生的な身体の効果でか、復活

仕事もしつつ、普通通り生活を送ってた。

そんな中、救急車を呼ばないといけないくらいのお腹の激痛で、急な入院。

腸がねじれてるんだったかな。

その後、色んな事が起きて、私ももう記憶が曖昧になってしまってるけど、
その時は、取り敢えずステント挿入で済んだんだったかな。

それプラス、がんも見つかり。。。


その時のがんは、薬で散らばらせる事が出来たのかも。

少しの入院で終わったと思う。

その後も、普通に生活してたけど、がんが再発。

それまでの間も、きちんと検査へ行ってた筈やけど、転移してるみたいな。

何度も入退院を繰り返して、医療型の病院ではこれ以上の回復は出来ないという事で、
静養型の病院へ移ることになった。

相談員の人からも静養型の病院へ移ると、今までの医療型病院に比べると、
あまり看護をしてもらえないというような事を聞いていた。

少し不安はあったけど、前よりも自宅から近くなるし、それを選択した。

そして、新型コロナの影響もあり、面会も全く出来ない。

行けるのは、病院から連絡があった時のみ。

電話で、どんな状況かを聞くことは出来るけど、お見舞いに行けないのは、本人も寂しいやろうし、私たちも心配。

でも、どうしようもないもんね。

お見舞いにも行かれへんし、看護士さんや先生と話す事もそんなにないやろうし、
ボケていったらどうしようとか、その辺の心配もあった。

脳梗塞の後遺症で、言葉も上手く話す事が出来てなかったから、
母親が面会時にでも看護士さんとの橋渡し的な役割を果たす事も出来ないし。

そんな入院生活を送ってる中、病院から母親に、黄疸も出て来ていて、
もうそんなに長くないかも知れないので、
誰でも面会に来てもらっても大丈夫です、
と連絡が入った。

会いに行った。

偶然、父親の妹、私からしたら叔母とナースセンターで会い、一緒に父親に、会いに行くことになった。

痩せてた、だいぶ。
そして、黄疸も出てた。

ビックリしたのが、両眼がふさがっていて、開く事が出来なくなってた事。

目やに?なのかが、ひっついたままで、自分の力で開く事も出来ないくらい、
体力も落ちてたんやろうね。

ベッドを少し起こしてあげて、
おばちゃんと一緒に声かけをした。

話そうとしてる感じもあったけど、力がなくて話せないのか、反応が鈍い。

おばちゃんに何か言いたそうな感じもした。

私の事も分かってなかったかも知れへん。
でも、兄妹の事は覚えてたんかも知れへん。

ウェットティッシュがあったので、それでまぶたを拭いてあげたけど、柔らかい皮膚の部分だったから、上手く拭けず、
結局開いてあげる事が出来なかった。

あまり、長くいるのも気を遣って、そんなには居られず、後ろ髪を引かれながら、バイバイした。

ナースセンターに寄り、

『顔とかはきちんと拭いてくれてるんですよね?』

みたいな事を、柔らかく聞いてみた。

毎朝拭いてます、体力が落ちてるし、体調も良くないので、まぶたを開ける事が出来ないんだと思います。
私達でも、高熱が出ると、目が開かないとかありませんか?そんな感じだと思います。

みたいな対応だった。

あんまり良くない看護士さんやなぁと思いながら、その日はそれで終わった。


そして、そのまた数日後、一人で面会に。 

目の周りを拭くシートを買って、面会に行った。

やっぱり目は閉じられたままだったから、持って来たシートで拭いてみたけど、
アカンかった。

ベッドを少し起こしてあげて、手を握った。

その手には力があり、自分で起きようと思ったんやろうね。
何度か力が入り、起き上がろうとする。

何か言う事ある?って聞いてみたりするけど、何か言いたそうやねんけど、
話されへんような感じ。

でも、そんな中、少しだけ聞き取れたのが、

『むさいふ』

何やろう。。。

分かれへん。何回も尋ねたけど、分かれへんかった。

少ししたら、母親と私の弟の子供一人も来た。私からみたら、おいっこ。父親からしたら孫。

もう23才かな。

私は、後は2人に任せて、帰った。

これが、パパとの最期のお別れになった。

大好きだったパパ。
カッコよくて自慢だったパパ。
優しかったパパ。
山登りの良さを教えてくれたパパ。
洋画の面白さを教えてくれたパパ。
弟の闘病を一緒に闘った家族の一人。
弟が危ない時、口数少ない父親が、先生に
『一人息子なんです。どうか助けてあげてください』
って言ってたパパ。
いつも私の味方をしてくれてたパパ。
ろうそくの火を和尚さんに負けじと、指でつまんで消したパパ おもしろかった。

そんな大好きなパパがいなくなる事は考えたくない事だったけど、
寿命はあるもんね。

コロナがなければ、もっと会えてたはず。
寂しかったやろうな。

月は違うけど、弟と同じ日付に亡くなった。これも決まってたんやろうね。
パパが、ママのためにこの日に決めたのかも知れへん。

弟の月命日は、毎月お参りに行ってるから、同じ日の方が負担がなくなるやろって。
そんな気がする。

パパが亡くなったのは4月。

もう2ヶ月が経ったけど、まだ今でも入院してるみたい。

まだ実感がないけど、実家で一緒に住んでいた時、6人いたけど、
あとは母親と私だけになった。

今は私も新しい家族がいるけど、寂しい時は寂しいね。

あれ?意味分からんね。

母親も、弟の子供達と会えてるし、孫やね、一人ではないから大丈夫かな。。。

コメント
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