出産中は、メガネを外しているから、時計の場所も分からないし、たぶん分かったとしても見えてなかったと思うけど、
時間が全く分かれへんかった。
想像では、もう夜なんじゃないかなぁ?と思ってた。
お昼の2時頃から出産に臨んでいて、もう夜8時頃?えっ?もしかしたらもっと進んでる?
っていう位、時間の感覚がなく、ものすごく長く感じた。
そして、陣痛で頑張っている間、院長先生が到着。
院長も確認のためか、ソフロロジーの呼吸法を教えてくれる。
それで、何度か頑張るけど、赤ちゃんはうんとも寸とも言わず。
院長、女医さん、助産師さんの会話が聞こえる。
陣痛中でも、耳はしっかり働いてるよー。
『吸引しようにも、まだ吸引が出来ない位置にいる。』
って。
次に女医さんが、
『鉗子にしますか?』
院長『鉗子は無理やわ。何年もしてないから、怖い』
えーーー???
こんな事をここに書いていいのか憚られるくらい。
でも、もう終わった事やからいいかな。
後で母子手帳見た時、『鉗子』とも書いてあったから、実行したんやと思う。
それでも出てこない赤ちゃん。
また、院長、女医さん、助産師さん達がその場で相談会。
女医『院長が乗って、私が引っ張るという形でいきましょう』
のような事が耳に入ってきた。
乗る??
って何やろう?
と思ってた矢先に、院長から説明がある。
院長『私が上に乗って、お腹を押しますので、陣痛が来た!と思ったら、教えて下さい』
ヒャーーー、これが馬乗り?!っていうやつ?!
友達からチラッと聞いた事があって、その時は、えー、そんな事をしなアカンの?
しかも、その友達の話しでは、馬乗りになられた知人は、肋骨が折れたんやって!!
肋骨が骨折??
そんな危険な『馬乗り』。。。
しかも、院長は決して小柄ではないよ。どちらかというと大きいよ。。。
でも、この陣痛から早く解放されたい。早く赤ちゃんに会いたい。
だから、頑張るっ!
の思いで、ドキドキのまま陣痛がやってきた。
院長が乗っかる。
私のフーーーッていう吐く息に合わせて、院長がお腹を押す。
そして、私の目の前には、院長のお尻が!!
あまりに目の前で、陣痛中やのにそっちが気になった。
アカンアカン、集中集中。
どこかのタイミングでハサミでチョキン、チョキンっていう切っているような音。
女医さんが、会陰切開をしたんやと思う。
これも、妊娠中に聞いていた通り、全然痛くなかった。
院長が2回、馬乗りになるけれど、赤ちゃんは出てきません。
もう定位置で固定されてるみたい。
そして、次は院長と女医さんが交代。
女医さんが馬乗りになる。
それでも無理。出てこない。
そして、先生達の会話から、今度は
『帝王切開』
の言葉が聞こえ出した。
もう、この時は私も体力が限界だったと思う。
でも、世のお母さん達も、体力が限界の中、出産してるんやから、これが普通の事やと思って、頑張る。
馬乗りも終わり、私の方はもちろん途切れる事がなく陣痛がやってくるから、
助産師さんがそれに合わせて誘導してくれる。
陣痛促進剤も増やしながら。
そんな中、院長が
『このまま馬乗りになって、押し出す事も出来るけれど、お母さんの体力や安全を考えると、帝王切開をした方がいいと思います。幸い赤ちゃんも元気です。』
のような事を言ってたと思う。
先生達は、出来るだけ帝王切開にはしたくないような様子。
体を切らなアカンし、これが正しい言い方かどうか分かれへんけど、普通の出産ではなくなるから、それは避けたいんかなぁ。
妊娠中に読んでいた、たまごクラブでも『帝王切開』の事を書いていたページがあったけど、
怖かったっていうのもあるけど、自分には関係ない事やと思って、ちゃんと読んでなかった。
事前に色々知っていても、良くない事だってあると思うし、私にとっては、まさしく、これに関してはそうだった。
でも、この時、
『もう、帝王切開にして~』
って思った。
体力がない中、定期的にきちんとくる陣痛も辛いし、ホントに力がなかった。
そして、緊急帝王切開となった。
助産師さん、看護師さん達が帝王切開の準備に入っている中でも、
私の陣痛が治まっていないから、それに耐えながら、準備を待つ。
隣りにある手術室へ移る。
たぶん、この準備の間に、院長がダンナ君へ説明をしに行ったんやと思う。
数日後、ダンナ君から聞いた話しでは、この時の院長は、手袋をした両手は、肘から上を上げて、
ドラマ張りに、お腹の所は血だらけで説明に来たらしい。
この姿を見ただけで、気絶しそうになったわ、って言ってた。
で、初めての背中への麻酔。
痛かった。
でも、これさえ我慢すれば、後は痛くない。
それに、弟の痛みに比べたら、こんなの全然平気!
っていう思いの方が強かった。
2回も胸を切っている弟。
しかも20センチくらい。もっとあったかも知れへん。
プラス、色んな所から管が通され、それが気持ち悪いって言ってた。
そんな事を思うと、私のなんて小さい事やわ、と思うと頑張れた。
下半身麻酔だったから、私の意識はある。でも目のマスクをされているから、情報源は音だけ。
カチャカチャする音や、先生達のやり取りが聞こえる。
つま先に、大きな洗濯バサミを挟まれているような感覚だけがある。
あれは何なんやろう。
手術中、何度も挟まれる。
それが痛い訳ではなく、心地良かった。
麻酔が効いてるかどうかの目安なんかなぁ。
そんな事を考えながらも、帝王切開は進んでる。
麻酔が効いてきて、辛かった陣痛から解放される。
もう少ししたら、赤ちゃんに会える!!
そして、そして、とうとうお腹から取り出されたみたい。
助産師さんが赤ちゃんを隣りの部屋へ連れて行こうとしたけど、
すぐにこちらへ戻って来て、赤ちゃんの顔を私に見せてくれた。
あの、しわくちゃな泣き顔は一生忘れられへん。
カンガルー抱っこ っていうのはなかった。もう、そのまま新生児室へ連れて行かれたんやろうね。
きっと、私のお腹の縫合があったからかなぁ。
縫合の間、赤ちゃんとの、子どもとの初対面で感動したっていうのもあると思うけど、
緊急で帝王切開になった事に、院長先生や助産師さん、看護師さん達に感動と申し訳ない気持ちで、涙が出た。
こうして、2012年11月23日18時台に3650gのとっても大きな男のコが誕生した。
泣き声がすごい可愛かった。
下半身麻酔で、ベッドからベッドへ移される時、
『目をつぶっていて下さいね。目が回りますから。』
と、助産師さんから言われた。
目をつぶるのが遅くなって、ホントに天井が回ってるみたいに見えた。
何でやろう。
そんな疑問を抱えながら、入院する部屋へ到着。
しばらくして、ダンナ君が入って来た。
顔が見れてホッとした。
顔が引きつってる。
この時のダンナ君の顔も一生忘れられへん。
『よう頑張ったな。ありがとう。』
って。
今後、ダンナ君に、心配かけたくないって思った。
そして、ダンナ君のお母さん、弟君が部屋へ入って来た。
お母さん、泣いてた。
私の方の親へは、出産してから連絡。
ダンナ君が、心配かけさせたくなかったみたいで、無事に産まれてからにしようと思ってたみたい。
翌日、母がお見舞いに来てくれた。
そして、部屋に赤ちゃんを連れて来てくれた。
初めての添い寝。
右腕に小さな頭を乗せて、超接近!!
わーー、可愛いーー。小さ~い。
すご~い!!
私たちに子供が出来たんや~、とホントに改めて実感した瞬間だった。
この子だけは、守っていかないと!と思った。
普通に出産すると思ってた。
まさか自分が帝王切開するとは思ってもいなかった。
何があるか分からない出産。
命をかけた出産。
人それぞれ違う出産。
私の場合、陣痛から始まり、
陣痛促進剤→会陰切開→馬乗り→鉗子→吸引→帝王切開。
翌日、ヨガの講師の看護師さんが、
『昨日、頑張ったねぇ。200%頑張ったよー。フルコースだったもん。超難産だったよー。』
と、声を掛けてくれた。
あれは難産だったんや、とその時に確信。
あと、帝王切開を一度すると、普通分娩は難しく、2人目の出産時も帝王切開になるんやって。
初耳だった。そうなんやねぇ。
今回は縦に切られてたから、次の出産は横切りとも、友達から聞いた。
横の切り方もあるんやねぇ。
ビックリする事だらけ。
『人間』ってすごい!!
でも、会陰切開、帝王切開をして、麻酔が切れた後のあの痛さと身動きの取れ辛さを考えると、今のところ、次は考えにくいかなぁ。
でも、実際には、計画的に帝王切開になるから、会陰切開はないんやろうけど。
ひとりっ子になっちゃって、寂しいやろうけど。。ごめんねぇ。
ダンナ君の弟君の所にも今年、赤ちゃんが誕生するから、年齢も近いし、兄弟のように一緒に育ってくれればいいなぁと思う。
おもちゃの取り合いとかもして欲しいし、色んな事が勉強出来ればいいなぁと思う。
そんな小さな小さな願いも出てくるのは、親になった証拠なのかなぁ。
去年の今頃は、まさか1年後に家族が1人増えてるとは考えもせえへんかったなぁ、
と、ダンナ君と話してた。
未来は、本当に何が起きるか分かりません。
それが楽しいんやろうけどねぇ。
以上が、
『私の出産』
でした。
ぽてりんこ になる前。