この間、母親が家に来た時に言ってたことで、
『お盆の提灯(ちょうちん)を買わなアカンねんけど、
どれがいいかなぁーって思ってんねん。
じいちゃんの提灯が大きいから、
別に○○(弟の名前)のは大きくなくてもいいと思うねん。
で、蓮の形したのも提灯コーナーに置いてあって、
それにしようか迷ってんねん。
今度、近鉄行ったとき、また見といて』
って。。。
その提灯の灯りを目印に、お盆に帰ってくるねんで。
とも教えてくれた。
知らんかった。そうなんやねぇ。
その後も、メールで、
『月曜日、見に行こうと思ってるねんけど、
時間ない?』
その日も行かれへんかったから、
その後も何度かメールをもらった。
自分で決められへんねんやろうねぇ、
私に見てもらいたいみたい。
ダンナ君にも言ってみた。
『提灯を蓮の花にするか迷ってる』って。
『弟君の好きだった色にするとか、なぁ』
すぐに母にメール。
じゃあ、その後に来たメールが、
『蓮の方じゃなくて、その隣りにある
青っぽい光の提灯にしようと思ってるねん。
また見といて』
って。
で、見に行ってきた
じゃあ、母が言ってる蓮のお花の灯りもあったけど、
それはちょっとヘンだった。
その近くに母が言ってた青い灯りの提灯があった。
そっちの方が断然、上品でキレイだった。
念のため、写真だけ撮らせてもらって帰って来た
母に写メを送った。
『そう、それ!どう思う?』って。
『これが弟も喜ぶと思うワ』
って返した。
じゃあ、それにするって
こういう理由で、こういう物が必要なんや、とか、
当然のようにあるものと思ってたものが、
ホントはきちんと意味があっての事なんやね。
弟へ
「お盆に帰ってくるから」って、
目印になる提灯を、
ママは何回も足を運んで見に行ってるねんで。
私にも何回も
「これでいいかなぁ」ってメールしてきて。
お経も毎日唱えてるみたいやし、ちゃんと聞こえてるやろ?
でも、写真は見られへんって言ってたで。
親の愛情は変われへんなぁ。
ありがたいなぁ。
で、そっちはどうなん?
下見しといてくれてるんやろ?
案内してやー。おいしいお店とか。。。
私も1日も思い出せへん日はないで。
いつも思い出してる。時々、メールも読み返してる。
さびしいから、時々、メール送ってるねんで。
こっちではエラーで戻ってくるけど、
ホンマはそっちにしかない電波があって、
ちゃんと届いてるやろー
こんな日がこれから先どれだけ続くんやろうなぁ。
からだの一部がもぎ取られたみたいで、
さびしさで胸が痛いわ。
去年の今頃は。。。
と思うと、もっともっと会いに行けばよかったとか、
もっともっとメール送っとけばよかったとか、
思ってしまう。
そんなんいつまでも思ってたらアカンなぁ、
いつも前向きやったもんなぁ
「ねーちゃんがねーちゃんでよかった」
って言ってくれて、ありがとう。いまさらやけど
私も弟が弟でよかったと思ってんで!
だから、私もいつでも前を向いて、
心の内に置いて、がんばるわなぁ