花祭である。 そろそろ13回忌を迎える伯母の誕生日が今日だった。 三島住まいで、年に何度も会える人ではなかったが、子どもの頃、父に言われるがまま、伯母に電話をかけて「花祭おめでとう!」とだけ伝えたことがあった。
以降、親類縁者に限らず、彼女自身の孫達と比較しても、えらく待遇が良かったことを記憶している...。 自身の誕生日を、釈迦の生誕にかけて祝福した甥っ子の利発さに、本当に感激してくれたのか、弟の差し金と知りつつ私を通して父を持ち上げてくれただけたったのかは、今となっては知る術もない。
昨今イースターだハロウィンだと、私の子どもの頃には、名称ですら滅多にお目にかからなかったようなイベント事が増えているように思う。
さすがに、祝日対応するような話には発展しないだろうが、彼岸の墓参りを済ませて、さぁ春だ!と思った時に、寺社に相応の信仰を持つ国の人間として、今日が顧みられないのも奇妙な気がした。
仮装やらたまごゲームやらの華やかしさを欠く故かもしれないし、宗教を絡めることが、必ずしも「正」とは言えないとの反駁にも合いそうな話かもしれないが、墓に手を合わせて、葬儀の読経が当たり前というご仁であれば、振り返って考えてみるもの一興と思った。
写真は、満開の桜を撮り逃がした腹いせに、自宅近くを散策して収めたものである。 今朝方の詰らぬ投稿の口直しができればと考えた。 既に葉が目立ち始めているが、生臭話よりは、風流だろう...。
以降、親類縁者に限らず、彼女自身の孫達と比較しても、えらく待遇が良かったことを記憶している...。 自身の誕生日を、釈迦の生誕にかけて祝福した甥っ子の利発さに、本当に感激してくれたのか、弟の差し金と知りつつ私を通して父を持ち上げてくれただけたったのかは、今となっては知る術もない。
昨今イースターだハロウィンだと、私の子どもの頃には、名称ですら滅多にお目にかからなかったようなイベント事が増えているように思う。
さすがに、祝日対応するような話には発展しないだろうが、彼岸の墓参りを済ませて、さぁ春だ!と思った時に、寺社に相応の信仰を持つ国の人間として、今日が顧みられないのも奇妙な気がした。
仮装やらたまごゲームやらの華やかしさを欠く故かもしれないし、宗教を絡めることが、必ずしも「正」とは言えないとの反駁にも合いそうな話かもしれないが、墓に手を合わせて、葬儀の読経が当たり前というご仁であれば、振り返って考えてみるもの一興と思った。
写真は、満開の桜を撮り逃がした腹いせに、自宅近くを散策して収めたものである。 今朝方の詰らぬ投稿の口直しができればと考えた。 既に葉が目立ち始めているが、生臭話よりは、風流だろう...。