我流 らくがき&日記

思いついた事を雑学的に不定期になると
おもうが描いてみたい!

11月も最終日

2009-11-30 20:00:33 | Weblog
  今日で11月も終わりなった、今年も残り一ヶ月になり
  枯れ葉も目立つ時期になってきたが、明日からは、師走となり
  何となく慌ただしいくなるのだろうか!?

  友人が、創作展の絵画部で入選し表彰式が市文化センターであった、
  同行して色々な作品(絵画、写真、書等)を鑑賞してきたが、
  それぞれ、素晴らしいと思いつつ、描がける人が羨ましいなぁと思った、
  友人は、独学で描き始めて、1年半ぐらいとの事で、持って生まれた才能(?)開花したのだろうか!
  来年度早々には、市美術展示会があるので、また出品するとの事で、
  で張り切っている。






  左が友人の作品、
  
  

  
  

あれから(8月)の観賞魚

2009-11-23 15:15:50 | Weblog
   今年も残り40日弱になり野山も枯れ枝が目立つようになり寒さが益々つのる時期
   で、インフレエンザーのワクチン不足で接種が困難で大騒ぎしている状態である。
   なるべく大勢の人出が在る所は避けるように勤めて、帰宅後はうがい、手洗い励行で・・・・
    
    7月半ば過ぎに600mmの水槽から900mmの水槽に海水魚を転換したが
    面積が広く、水量が多くなったせいなのか?海水魚の状態がすこぶる
    良好である。
    その後9/16に始めてイソギンチャク(シライト)を買い入れてみた。
    なにぶん、飼育方法が分からずに、最小限の装置であるので、飼う事が
    出来るかが心配であったが、照明を充分とる様にとアドバイズがあったので
    既設の蛍光灯(900mm用)と、余っていた600mm用の蛍光灯をタイムスイッチで
    接続して一日7,8時間点灯させている、餌は週一にアサリを一個与えている。
    2ヶ月過ぎたが、状態がすこぶる良好でありクマノミが専属で入り浸りでいる。

    現在、クマノミ(1)、ムラサキモンガラ(1)、アカモンガラ(1)
    マンジュウイシモチ(3)、コバルトスズメ(4)、オトメハゼ(1)
    デバスズメ(2) シライトイソギンチャクが入っている。
    比較的に小型で安価な物ばかりであり月一に約40リッター海水を交換している。
   


             当初の設置状態
          左側がプレコと金魚の淡水魚右側が海水魚



        外部ろ過でのシャワーで水流をとっている(左上から)


         現在のイソギンチャク(シライト)

勿来八景巡り

2009-11-15 20:48:00 | Weblog
【今日は、朝から快晴に恵まれ、前から勿来地区に八景の句碑が建てられ
  いるのが、新聞等で載っていたので、のんびりと車で巡ってみた。】

江戸時代の俳人、旧磐城平藩ゆかりの内藤露沾(磐城平藩主・内藤義概の子)は、勿来の景勝地八ヶ所を愛でる俳句を残している。

  勿来八景】
 大高朝霞  神とやは 八重に霞の 菩薩号
 関田晩鐘  音淋し 松山寺の 蟾の暮
 湯嶽晴雪  窓晴て 佐波古間近し 雪の尺
 大嶋夜雨  香を焼て 簾の声も 水鳥哉
 平潟帰帆  昆布とりの 真帆はいぬめり 雲の嶺
 小濱夕照  一しくれ 夕日の干やすや 鰈網
 佐糠落雁  夜は分る 孤雁なるらん 捨小舟
 中田秋月  荒町を 曲らぬ月の 歩みかな

    この八つの句碑は、それぞれゆかりの地に建立してある。

 




       勿来八景全句碑 「勿来の関公園内」



  
    大高朝霞(おおたかのちょうか)          除幕式典を今日行なわれていた
       大高八幡地内)

   勿来町大高は、江戸時代、大高村とよばれた。
 そこには、磐城平藩主内藤家と縁戚にあたる旗本土方家領があり、頼長山大高寺と大野八幡神社がある。
 この辺りは、菊多浦を望む高台にあり、霞がたなびく景色を見ることができる場所でもある。


  
      関田晩鐘(せきだのばんしょう)         関田松山寺地内

    この句は、八景の内露沾が詠んだ二句の内の一つであることから、八景を代表する一句ともいえる。
    関田の名刹松山寺の梵鐘は、古来名鐘として名高く、毎夕撞かれるその音は、関田浦一円に響き渡ったといわれる。       現在残る鐘は当時のものとは異なるが、今も幽玄なる音を響かせている




  
                  常磐には、現在600メートル足らずの湯ノ岳とよばれる山があり
                  この山に高僧が三つの箱を埋めたという伝説があり、さはこの山
                  ともよばれた  
   
     湯嶽晴雪(ゆだけのせいせつ)   いわき南森スポーツパーク内


  
      大嶋夜雨(おおしまのやう)       鮫川沿いの近くに句碑あり
    
句作者の昨非は、享保四年(一七一九)頃には岩城に住んでいた。享保三年(一七一八)に仙台市の大崎八幡宮に奉納された額には大坂に住んでいたともある


  
   平潟帰帆(ひらかたのきはん)             勿来海水浴場

 八景の内、勿来地域にない地名を持つ二句の内の一つである。
 解釈としては、「昆布とりに励んでいた何艘もの帆掛け舟が、入道雲の立ち上がるのを見て一斉に平潟の港に帰っていったようだ。後に残るのは、青い海原と峰のように高く聳え立った雲ばかり」であろう。
 平潟は、現在の茨城県北茨城市の海岸線最北部にあり、寛永年間に仙台藩によって築港されるまでは、天然の入江を利用した小さな漁港であった。湾の三方は奇岩怪石に取り囲まれ、波静かな湾内の水面に映るその形は、古来より絶景といわれた。またこの地は鮟鱇鍋の発祥地ともいわれている。
 勿来地区とは隣接していることから、古来より関係が非常に強く、当時は今以上に人や文物の交わりが深かったのではなかろうか。
 沾梅は露沾の門弟で、高月において補佐役の一人であった中島定八である


   
     小濱夕照(おばまのせきしょう)   小浜海水浴場

  この句は、八景の内露沾が詠んだ二句の内の一句。

 小浜は、天然の漁港として古くから開けており、平藩領となりその後に泉藩領となった。この光景は、半農半漁である小さな漁港の日常の一コマを、まるで写真のように切り出したもの。冬の漁村の光景がまぶたに浮かんでくる。



  
        佐糠落雁(さぬかのらくがん)         佐糠竹の花公園向い

  佐糠は鮫川河口北岸の村。平藩領から泉藩領となった
  当時は、葦などの生い茂る寂しげな土地であったろうし、川筋の渡し舟や雁などは、日々の暮らしの中でよく見かける光景だったものと思われる。



  
       中田秋月(なかたのしゅうげつ)         八坂神社内
  錦町安良町は、江戸時代には、中田村の荒町と表記された

  大島と荒町との間に鍵の手の街区がある。道にしたがって曲がった。それでも夜空の月は、さきほどと変わることなくまっすぐついて来るように見える。そんな背景があったのかも知れない

晩秋の装い!

2009-11-08 17:59:21 | Weblog

   昨日7日は立冬でした。

  「年を24に分けて季節を表す二十四節気の一つが立冬です。
  立冬は、立春、立夏、立秋と並んで季節の大きな節目を示します。
  例年、11月7日頃が立冬となり、冬が始まります。
  二十四節気では立冬の次は11月23日の小雪(しょうせつ)」です。」

  でも、秋日和が続き、日中は暖かく野山は秋の装いで、我、近くの山では、
  紅葉が、盛んで、車の中から鮮やかな風景が見られ、
  春の桜の咲く時期とは、違った情景が目に焼きつき楽しませてくれているが
  やがて、、葉が落ちてしまうのだろう!!






  龍神峡の紅葉 春には見事に山桜が咲き綻ぶ所である。




   大橋の下の水力発電所



  ホースクラブの牧場で2頭が居たが、他の馬は、何処かのイベントに
  借り出されたのか(よくある)見られなかった、
  此処では、一般の人にも引き馬でも乗せてくれていて、先週は
  ちびっ子に格安で乗れるイベントがあったようである。





   サクラのシーズンには、石の割れた間から樹齢300年以上と言われている
   桜の花が見事に咲いているが、今は、葉が紅葉になっているが
   これも見方によっては、格別な趣向である。

シーサイド・ウォーク

2009-11-01 20:18:22 | Weblog
  今日は、毎年開催されている、シーサイド・ウォークを勿来の関から
  海岸沿えを往復約10Kmを2時間かけ歩いた。
  秋晴れで、汗ばむ陽気の中を老若男女が、周りの風景を探索しながら
  県内外から大勢(約1300名)参加しノンビリ(?)と名とおり海辺を
  秋の心地好い潮風をうけながら汗を流し
  歩いていた人もいたし競うように早足で歩く人もいた。
  
  今年で19回目であるが
  昨年から、日本ウォーキング協会認定になり、2回目の参加である、
  日頃、毎日(?)1万歩をウォークしているので、試しにと
  今年も参加してみた、日頃歩いているコースとは違う(海岸の砂地の歩行)ので、筋肉の使い方が、                            違ってくるので、後日、筋肉痛がどんな容で出てくるだろうか?!
  でも、歩いた後の清々しさが気持ちが程好い感じであった。
  豚汁が出て、持参のおにぎりが大変美味しいかった。
  来年は20回目の大会になる、健康に気をつけて参加したい。