JR 関内駅の最寄り、かつては横浜最大の繁華街として栄えてきた伊勢佐木町。
今でも伊勢佐木モールとして、かつての繁栄を垣間見る事が出来る。
最近は、中国・韓国系の店も多く、実際半分は外国人が占めているのではと思える街となっている。
近くにはマンションも立ち並び、モールの一本裏路地に入ると突然、そこは異空間という場所もある。
「ラーメン二郎」横浜関内店もこの一角だけど、今回は、その話ではない。
そんな街なので、「周波数帳」「おもしろ無線」マニアには、実は最高の場所なのだ。
「住居と商店街・異空間」が混在する近くのの高台こそがファン垂涎の場所だ。ここは面白度500%だ。
一日いても聴き飽きない。当然、内容までは書けないけど。そんなファンの皆さん出かけてみては?
『第59条 何人も法律に別段の定めがある場合を除くほか、特定の相手方に対して行われる無線 通信(電気通信事業法第4条第1項又は第164条第2項の通信であるものを除く。第109条並びに第109条の2第2項及び第3項において同じ。)を傍受してその存在若しくは内容を漏らし、又はこれを窃用してはならない。(“法に基づく別段の定め”とは電波法第52条に規定される「非常通信」、「遭難通信」、「緊急通信」、「安全通信」、放送受信の5つのこと)』
裏路地の異空間。歓楽街。
無線活動を始めたきっかけは、BCL、SWL。当時は、海外の日本語放送の受信が流行った時代だ。
それは40年以上前、当時は短波ラジオで海外放送を聴いて、べリカードを集めていた。
その時代は、警察無線も短波帯で「運転免許の確認」や「ストリーキングの確保」(←完全に年齢がバレるね。死語??)等の交信をソニーの短波ラジオで聴いていた。
ここから無線の世界へ入っていった。当時のコールサインは、JH6・・・だった。このコールサインは、いろんな事情により、次の局面の更新には至らなかった。
それから10年たって1エリアに来てから、第2級アマチュア無線技士を取ったが、当時は、「筆記試験」「電信の送信実技」もあった時代で、蒲田の工学院が試験会場だった。
合格して晴れてJP1・・・のコールサインで開局した。その当時は、6mも垂直偏波が主流で、大田区の回りを家に囲まれたアパート2Fの軒先にTVフィーダー製のJ型アンテナを窓から突き出して交信した。
そんな設備で、6m10WのTR9300で甲府の固定局と交信出来ていた。もちろん相手もGPだった。
当時、ウイークデーでもバンドは賑やかで、高校生や若い人も多かった。その頃、30年前の交信記録に登場する何局かとは、現コールサインでも交信出来ているので驚きだ。
またまた、10年のブランクを経て現コールサインへ至っている。さすがに、数万交信しているので、今更、Jコールを貰う気はない。むしろ、「最近は7コールは、貴重ですね!」と言われる状態だ。
いずれにせよ、私の無線の原点は、「放送・通信の傍受」であり、今でもそれを忘れずに時折思い出し実行している。
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