昨年末に尾鷲に行ったブログを書きましたね。
そこに行くことになった大きな原因が
ミセスが、昔義父が釣りに行ってた海と
接してみたいという気持ちでした。
紀伊半島を一周するような旅をして、
途中いろんな海を見ましたねえ。
ミセスは懐かしかったというか、
父が釣りをしてたのは
こんなところかあなんて
わかって楽しい旅だったと喜んでました。
まあ嫁孝行ですね。
でもねえその旅にはもう一つ
doironが持つもうひとつの目的があったのです。
それは熊野古道伊勢路と接することでした。
と言っても歩き回るわけではないですよ。
ミセスも一緒ですからね。
そんなアクティブな目的ではなく、
熊野古道にまつわる道の痕跡や
案内板や案内施設を見ることでした。
あ、ちなみにdoironは熊野古道は
退職時から精力的に出かけて、
中辺路は淀川から全て歩いて
熊野大社に詣っています。
でも古道にはほかにも、
小辺路や大辺路もあるし、
伊勢路というのもあります。
現在は大辺路をあるいてはいますが、
小辺路と伊勢路は全く歩いていませんから、
その内容はほとんど知らないのです。
今回はその伊勢路と可能な限り
接してみようかというのも
考えていたわけです。
嫁孝行の裏に潜む、旦那のうろうろ癖の
たくらみなのでした。
熊野古道伊勢路とは、
伊勢神宮から熊野三山に参る道です。
国道42号線に沿って主に山の中を
歩く道として今も残っています。
この度でdoironがまず、
一番最初に接した熊野古道は、
紀北町の道の駅にあったこの杖です。
熊野古道始神峠の名前が入っています。
それに置かれてあった地図にも
熊野古道の名前がちらほら。
それっぽくなってきましたね。
またお土産物の売り場にも、
熊野古道の名前のついたお菓子が
いろいろ売られていますね。
お土産商品も過熱しています。
そして道の駅から出てしばらく走ると、
こんどは道の横に階段が続く道と
案内板等が立っているところを見つけました。
熊野古道伊勢路の馬越峠に
向かう登り道です。
ああ、やっと道に出ましたね、
熊野古道の片鱗が階段となってそこにあります。
この馬越峠は江戸時代には
間越峠と言われていたそうです。
それがなまって「間」が「馬」に
なったようですね。
ここも到着するととても
眺めの良い展望台があるそうです。
いつかは歩いてみたいですねえ。
そんな峠の名前にも
昔からの歴史があるとともに、
ここには江戸時代に石畳が
敷かれていてそれがとても
風情があって感心されています。
でもねえ、もっと驚くのは、
なんとこの石畳の下には、
部分的に鎌倉や室町時代に
つくられた石畳が存在しているそうです。
この辺りは雨が多く、
年間4000mmもの雨が降る地域ですから、
こうして敷かれている石畳は、
道の維持にはとても重要な役割を
果たしているんでしょうねえ。
まあなんというすごい石畳なんでしょう。
こうして旅に出て、少しずつ少しずつ、
それでも確実に熊野古道に
接していきます。
あちこちをうろうろしているうちに、
車は尾鷲につきました。
到着のお知らせをまず尾鷲神社に
しに行きます。
熊野古道近辺にあるこの神社は、
旅の安全、体の健康にとっても
効能があるそうなんです。
続く