ハブ ア ナイス doi!その2

たまあに振り返ったことや、ちょっと考えたことを綴ってゆきます。

阪和鉄道の痕跡に触れた3

2021-04-15 21:01:54 | ウォーキング

富木駅の下には地下道があります。







こんなにも頑張って地下道を作ってあるのは、
当時の駅の周辺があまり
開けてなかったのでしょう。
でも阪和鉄道の乗客を増やすための
最後の宅地開発が
このあたりが最後だったそうですので、
後に踏切なんかもできたんでしょうねえ。

それからホームの所には、
外にこんな記載がありました。



いまから50年以上前に行われた
工事の痕跡も残っています。

さあ、では富木の駅はこれくらいです。
時刻表を見ると、次の目的地の
久米田までは7.6キロですねえ。
なんとここからだと線路はほぼ直線ですね。
その線路に沿って
府道30号線が走っています。
その府道に沿ってコースを選びつつ
南下してゆきましょう。
寄り道になるので等乃伎神社には
寄らずにできるだけ線路沿いの
道を進んでいきます。

取石中央線を越えたら、
堺泉北道路までは線路に沿った
直線を進みます。
新しい家が多いですね。

そして堺泉北道路からは
30号線の方に少し回り
線路から離れてゆきます。

時刻表では7.6キロの
道のりですがこうして遠回りすると
8キロは十分ありそうですね。

北信太の駅に来ました。

ここから府中までは
線路沿いの道を移動になります。
ここでもし電車に乗っていると
信太山の駅もこえて
線路がずっと直線にしかれているのが
見えるでしょうねえ。

先っぽの方がもう見えなくて、
まるでおとぎの国まで
走っていきそうな景色なんでしょう。

信太山もこえて和泉府中の駅に
着いたらなおかつまっすぐ
進んでいきましょう。

小栗街道と、ところどころで交差しながら、
最短距離で久米田を目指します。

そうしてやっとたどり
着いたのが久米田駅です。



あ、特急が走っていますよ。
なんか広い感じの駅ですねえ。

乗るときにチェックしてみましょう。

ここのみどころは駅の本屋と
ホームの形ですね。
まずは駅の形です。



ここの駅舎も富木同様にかなり古いですねえ。
ここも切妻屋根や木製の柱などから
古いものであるのがわかります。
天井もまた立て板の構造です。
調べたらやはり昭和22年の
ものだったそうです。



この建屋で変わっているのは、
これはかなり新しい取り組みでしょうねえ。
瓦の屋根が黄色など色とりどりです。
うちの屋根の瓦が飛んだ
あの台風21号のせいなんでしょうかねえ。

そんな古い建物から中に入ってみますと、
ここは元々二面四線の駅でした。
ホームの外側には待避線もひかれています。



これは昔、春木競馬場だったころに
急行とかが止まる駅だったからだそうです。
これがその上り線の待避線ですね。

競馬などいろんな出来事に
対応していたみたいですねえ。

そしてホームの基礎も石積みです。



今は立派な跨線橋もありますが、



当時はやはり構内の踏切を渡り
移動していたように見えます。



また上り線から駅の外をみてみますと、
そうそうこのあたりに
熊野古道の池田王子があったように
記憶しています。

なんてことはない田舎の駅なんですが、
調べてみると様々な過去の歴史と
共存している駅なんですね。

さてこれで今回の駅の過去の
痕跡探しは終わりです。
でもまだまだこの後も大阪市内や、
ここからさらに南の砂川周辺なんかも
見に行かないといけませんね。

ネットを調べてみたら多くの人は
興味を持って痕跡探しを
しているみたいなので、
それを参考に出かけて
行くようにしましょう。

歩けるところは歩いたりしながらね。

そんなことを考えながら、
阪和線に揺られ帰宅していった
doironだったのでした。

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阪和鉄道の痕跡に触れた2

2021-04-14 21:05:15 | 遊び関係

三国ケ丘の駅はなぜか両脇が高くなっています。
なぜこんな構造になっているんでしょうか。



ネットで調べてみると
これにはいろんな原因があったそうです。
ひとつは御陵の横をとおるので
不敬だというのが多くの考えだったそうですが、
それならなぜ仁徳陵の横にある
中百舌鳥駅は半地下にならなかったのか
という説があって、
なるほどちょっと違うよなあって感じです。

で、まあ結局doironには
確かな情報は見つけられてないのですが、
もしかしたら理由は阪和鉄道の
高速化にあったのかもしれません。

というのもこの鉄道は国の基準を
超えた猛スピードで運転をしていたそうです。
この時に阪和鉄道が打ち立てた
平均速度81.6km/hという記録は、
後に東海道本線に特急「こだま」が
運転されるまで日本最速の記録だったそうです。
それを目指していたんなら、
アップダウンを考慮して
できるだけ直線でまっすぐ
平らな道を目指してこんな路線を
作っていたのかもしれません。

阪和線に乗って一番前の
車両に乗って路線を眺めてみてください。
ずっと直線の見事な線路が
目に入ってきますから。



そしてもう一つ分かったのは、
その時に三国ケ丘の駅周辺を
半地下にした土をどうしたかというと、
なんと上野芝~津久野間の高架道路の下に
盛られて使われていたんですね。
驚きです。

路線の形の中に過去の痕跡が
残っているのですね。

さて、まだ三国ケ丘駅にいます。

いろいろ眺めてゆきましょう。
まずはホームの構造です。



この駅のホームの屋根なんかには
線路が使われていたりしますねえ。



意外に線路はこの駅意外あちこちで
ホームの建物に使われていたりします。

で、一方で下りホームはというと、
こちらは木製の建物です。



しかもはりの端っこなんかには
刻みが入っていたりして、



すこしおしゃれに作られています。
しかも下りホームはなんと多くが
なんと石積みの基礎が使われています。



登りはコンクリートなのにねえ。

線路のはり、ホームの基礎など
過去の遺物も残したままで
駅が成り立っているのですねえ。

じゃ、ここから歩いて行きましょう、
と最初は思っていたのですが、
まあこういう線路の点検歩きは初めてですので、
歩きの力はできるだけ抜いて
駅を眺めることに今日は集中しましょう。

なので、次の目的地である富木まで
電車で移動することにしましょう。

快速電車で鳳まで行き、



鳳駅の道標なんかを写真にとって
各駅停車で富木に向かいます。

鳳の次がその富木駅。



なぜ富木かというと、
中臣氏の一支族である殿来連から
由来しているといいます。
その影が淡路島まで届くという
立派な楠が生えていて、
旅路の目印になっていたから
というのがその殿来の由来だそうです。

そんな等乃伎神社に近いのが
この富木駅です。



この駅のまず見どころは駅本体の建物です。

駅には財産表というのが張られており、
それにより製造年月日がわかります。
しかしこの駅には財産表がありません。

かわりにというか、
発見された図面などから、
この三角屋根の建物は
阪和鉄道当初のものであることが
わかるそうです。

うん。なんか昔の駅の思い出は
こんな三角屋根であることが多いですね。



この三角屋根の天井に使われているのが、
立て板をずらっと並べて
張り付けた立て板張りが
今もその姿を残しています。



そしてホームはというと、
石積みの基礎が昔はこうして
なだらかに下っていたことがわかります。

きっと駅舎内に踏切があったのでしょう。

続く

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阪和鉄道の痕跡に触れた1

2021-04-13 21:02:36 | 遊び関係

阪和鉄道というのは、
今走っているJR阪和線の生まれたときの姿で、
その後南海本線に買われた後、
国鉄が手に入れた電車の路線です。

生まれたのは90年前。
その1世紀近い路線の過去を尋ねる
展示会に参加し、抽選で当たった
講演会にも先日参加をしてきました。

展示物は少し懐かしいなあ
というものが飾ってあったり、
よく行く山のパンフレットなんかも
あって楽しかったですね。

そして講習会は、たくさんの鉄男、鉄子さんが
観客で来てましたねえ。
講習は今も走っている阪和線の路線の中には、
そんな過去を振り返るこんな痕跡が
残っているんだという内容で楽しかったです。

講師の方も鉄道ファンで楽しく
語っておられましたが、
この人にとっては現役最期の
講習会だったそうです。

そして写真もすべて講習依頼が
あってから3か月の間にすべて自分で訪ねて
写真を撮ったそうで、新鮮でした。

その講習内容を受けて、
じゃ自分でも訪ねてみるかと思い、
先日その第1弾として、
三国ケ丘から久米田までの駅を
訪ねてみることにしました。
電車で三国ケ丘まで行き見て回った後、
富木の駅まで電車で戻り、
そこから久米田までは歩いて行く
という痕跡探しをおこなったのです。

では、さっそく出かけて行くことにしましょう。

家を出て、阪和線の信太山まで歩いてゆきます。
この道もねえ、むかしとは
ずいぶん変わったのです。
天気が良ければ田んぼの中のあぜ道を
通ってゆくという歩きだったのですが、
いまはもう弥生の公園の中を
優雅に歩いてゆきます。



この公園には村の人がいっぱい
いるんですよねえ。
椅子に座っていたり、
犬を連れていたり、
中にはまるで村人の動きを
監視してるんじゃないかと思うくらい、
いつも公園にたむろしている人もいます。

「どこ行くねん?」と聞かれたら
「阪和電鉄の痕跡を探しに行くねん」
なあんて答えたら変な奴になりそうですねえ。
「ちょっと買い物」
くらいにしときましょうかねえ。

歩いて行った信太山の駅も昔は
自衛隊側、そう線路の東側からしか
入れなかったのですが、
今は新しい改札が出来て、
doiron家にも近い西側からも
入れるようになっています。

ICOCAで改札を抜け入っていくと
すぐに区間快速電車が入ってきました。
効率がいいですねえ。

ではさっそく乗車して、
三国ケ丘を目指しましょう。
もう4駅目で到着です。

ここは、南海の高野線と交わっている
駅ですねえ。
なんか駅全体の構造がわかりにくいです。



講習会で聞いた資料を基に
撮影をしていきましょう。

ここでやはり気を付けないといけないのは、
階段近くなんかで女子高生なんかが
登っていく姿があるときに
カメラを構えるといけないですねえ。

ほんとに変なおっさん扱いをされてしまい、
警察に通報されたりします。
できれば複数で活動する方がいいですねえ。
あの講師の人もきっと撮影には
気を使ったんだろうと思います。
「何かいい方法はありますか?」
とか聞けばよかったですねえ。
例えば線路の模様のネクタイをするとか、
鉄道模様の帽子を被るとか
そんなことも必要なのかなあ。

doironはひとつの対抗策として、
講習会の資料をカバンに入れておく、
下敷きのついたファイルを手に持ち、
そこに自作の見るべきもの一覧を
付けておくとかしましたがね。

まあそれでも変な疑いを受けないように
気を付けて行いました。
あ、もちろん線路にはみ出してとか
心無い鉄男君のような動きも
強くさけましたねえ。

では、というところで続きます。

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春の花もにぎやかに

2021-04-12 20:55:24 | 日常

ジムに行くとトレーナーさんが

「doironさん花見をさしたろ」

と言って携帯の映像を見せてくれました。

家に植えてある藤の花が
立派に咲いているんだそうです。
きれいですねえ。
藤の花はなんかとっても豪華です。

これは近所に咲いている藤の花を
見に行かないといけませんね。
チャリンコに乗って藤棚のある
市民病院まで出かけました。
行くと、おお咲き始めています。
病院の片隅の藤棚が色づき始めています。



東側の方がよく日が当たるのか
結構咲いていますねえ。



近づいてゆっくり見てみますと、
つぼみもまだたくさんあります。



おや?途中に種もできていますよ。
これは去年できた種ですねえ。
一ついただいてゆきましょう。

そして近所の秘密の場所に
植えておくことにしましょう。
きれいやなあと思って帰ってくると、
むかし四国八十八ヵ所で
知り合った人からのメールが来ていました。

泉南のあの有名な桜も
今は五分咲なんだそうです。
さすがに今年はコロナの関係で
藤まつりは行わないそうですが、
一般には公開してはるそうです。

コロナとかでいろいろありますが、
季節はちゃんと巡るのですねえ。

我が家の庭にもたくさんの花が
咲き始めています。



こんな花や



こんな花。

義父母が住んでいた家の庭に
義母さんが育てていた花です。

なかでも黄色のモッコウバラは
もう満開です。



我が家で植えた白いのは
まだ咲き始めです。



シランでさえもう咲き始めました。



マンサクも咲いています。



そしてこれはバラの花です。

昨年いただいたもので、
今年初めての冬越えです。



それがねえ、ぐんぐん育って、
もうなんか蕾が開き始めそうに
なっているではないですか。

楽しみですねえ。
厳しい冬を超えてよく咲きましたと、
水泳の池江さんのように
ほめてあげないとねえ。

でも他の花との関係で、
今年はなんかちょっと
季節が統一されていないような気がします。

そうそう、こんな花も咲いているよと、
関先の白い花を撮影していたら、

近所の重鎮の人が通りかかりました。
町会長の札が欠けているじゃないか
と指摘がありましたねえ。

「こんなんだったら
うちの町会がばらけてそうで具合悪いぞ」
というのです。

「いやあ前からこの札は欠けていますよ」
というのですが聞きません。

「よーし、わしがあたらしいふだを
つくってきてあげよう」と言っています。

ほんとはねえ
「わしを町会長にしたことで、
うちの町会も5%くらい壊れているぞ」
と言いたかったのですが、
そこはやはり町会長、
自制して「ありがとうございます」と
ちゃんと言っておきましたぜ。

時期が来たらそれに合わせて花が咲き、
心もきれいになるように
我が町も豊かになっていけば
いいんじゃないかと町会長は
考えたりもするのです。

早く大好きな夏が来ないかなあ。

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近所の聖火リレーが・・・

2021-04-11 20:51:20 | 日常

我が家の家の近くの公園で、
東京オリンピックの聖火リレーが
行われることになっていました。

いいなあ。
doironも交通安全に取り組んでいる
ということで申し込んだのですが、
あきませんでしたねえ。

じゃ、せっかくの機会ですから
リレーを見に行こうと思っていたのですが、
どうも公園には入れない模様です。



入ってきている情報では、
警官350人がやってきて、
入園を制限するという感じです。

でもなあ近隣の町会のものでも
あかんのかなあと思い、
記載されている教育委員会に町会長として
確認の電話をしてみるか
と思っていたのです。

でもそのうちに、やはりコロナの関連で、
大阪は公道以外は中止だという
案内が出始めました。
でもなあここは公園内だし、
公道じゃないからするかなあ
とも思っていました。
だがやはり中止になりましたねえ。



なんでも大阪の200人は万博中央公園で、
一人200mずつのリレーを
やるんだそうです。
もう聖火ランナーは
計画変更で大変なんでしょうねえ。
だって思っていた聖火リレーが
一年延期になり、
その後中止になり、
万博で走るという変更になるなんて、
もうわけがわからなくなっているでしょう。
しかも天気予報では予定している
13日と14日は雨ときているから大変です。

こりゃまあ聖火ランナーは
様々なことに振り回されましたよねえ。
ご苦労さんなことです。

でもまあでもせっかく選ばれたんですから、
ダメだった人の残念な気持ちも考えて、
しっかり走ってほしいと思いますね。

200人が200mかあ。
ん?それだったらすべてのランナーを
ひとりずつ走らせたら、
合計40キロになるぞ。
これを二日で出来るのかなあ
って感じがします。
何か対策を考えるのでしょうねえ。
ぜひともトラブルになることの
無いようにしっかり行って
もらいたいと思います。

聖火ランナーに選ばれなかったことは
悔しかったのですが、
まあそれも今となっては
良いかあなんて考えている今日この頃です。

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