またまたお絵かきに挑戦しています。
天気も悪いんで・・・
さあそれではというと、
いきなり難問に出会います。
なにを絵に描くか
というのは難しい問題です。
なかなかねえ、そういういい素材は
見つからないもので、
そんなときにはまず季節に応じた
素材ということについて考えます。
まあいまなら、桃とかきゅうりとか
あるいはスイカとか考えますよねえ。
でもまあこれらは何度も描いたものです。
じゃ、何にしようかと考えた時、
身近にあるところで
ふと浮かんだのが「風鈴」です。
我が家でもこの季節になると、
アトリエの窓に風鈴をつるしているのです。
これはねえ、昔どこかのランニングの
大会でもらったやつやなあ。
時おりチリーンと風情たっぷりに
音を鳴らすのでほっとしますね。
自然が呼び掛けてきているような感じだ。
それでもねえ、夜や、あまり風が
強い日なんかには、うるさいので
つるすのをやめています。
今はそういうことを
気にしないといけない世の中ですからね。
昔環境の仕事をやっていたころ
実際風鈴の音の苦情で、
「まあまあ」と納める活動を
したこともあるくらいです。
おろせばそれで済むのですが、
感情的になるとなかなか解決しませんね。
柔らかく対応しないといけません。
あと風鈴に関してはdoiron的には
少し変な思い出もあるのです。
若い時にたまに夜中に金縛りに
会うことが何回かありました。
布団の上に人が乗っかっているような
変な感じで体が動かない。
いやな感じでしたね。
そんなときのいやな思い出のなかには、
doironの場合、必ず風鈴の音が
混じっているのでした。
その音が聞こえなくなったら
金縛りも溶けるみたいな
感じでしたね。
なので風鈴の音は、
金縛りの予感に似ているのでした。
変な思い出の音でしたね。
でもそういえば最近は
金縛りにあうこともありませんね。
歳をとると、それほど熟睡
しているのかもしれないね。
そんなこととか思い出しながら
ネットをいろいろ探っていると、
風鈴を使ってイベントを
しているところも
たくさんあることを知りました。
奈良のおふさ観音では
風鈴祭りをやっているそうです。
境内に風鈴をつるし、
販売もしているし、短冊に
お経とそれぞれの願い事を
書いてつるしておくというイベントです。
まあこれは見に行かないといけませんね。
それから伊賀鉄道では
「風鈴列車」も走らせているそうだ。
うんうん、なかなか行きたいところも
増えてきていいですね。
あちこちに見に行く機会があれば
いいなって感じです。
あとネットで風鈴に関して
学んだものは、風が吹いてきたときに
揺れて風鈴を鳴らすものって
どうなっているのかって感じです。
風鈴の中の振り子ですね。
これについてもいろいろ調べてみますと、
多くが短冊のひもに巻き付けられた
小さな管が、風と共に揺れて
風鈴に当たっていて、音を鳴らすようです。
あの短冊を覆う管が、
舌(ぜつ)と言われているんですね。
まあこれも色を付けたりして、
風鈴のデザインの資料に
なったりもするようです。
風鈴をつるすときの短冊なんかも
いろんなものがありますね。
こうしていろいろと学んだ風鈴を
描き始めてみることにしましょう。
描くとなったら面白いのは
やはりガラスの風鈴ですね。
ガラス部分に描かれたいろんな模様もいいし、
ガラスの表面に移るまわりの景色なんかも
描ければなかなかいいものです。
むつかしいけどね。
このガラス製の風鈴は、
江戸時代らいから始まっているそうです。
江戸風鈴とか言われたりするようです。
風鈴に描く絵はやはり金魚なんかもええかな。
出目金もちょろっと描いてみるか
と思いつつ絵の用意を始めます。
続く
心筋シンチの撮影機械に入っています。
IRの検査っていうんですかねえ。
体の中に入っている放射線物質の
流れを測定することで、
心臓の心筋の状態がわかるっていう検査です。
放射線物質を投入したことで、
早く走れる8マンになったり、
10万馬力から100マン馬力になる
鉄腕アトムのように
強くなるわけではないのです。
撮影にはまた別の苦労が必要です。
体の堅いdoironが微妙な力加減で
ばんざいした状態で機械の中に
入って動いてはいけないのです。
もう国会議員になって万歳するのも嫌ですから、
立候補はしないでおきましょう。
それにしても微妙です。
これ以上力を入れてもいけないし、
抜いたらひじが広がるので、
自分なりに調整がとても大変でした。
心筋の写真なんですが、
もう胸がどきどきしていて
変な写真にならんやろうかと
そんな心配までしてしまうから
なんかへんな変な領域に
迷い込んだ感じです。
目の前の自分を覆うような機械が
自分をまわりをぐるりんと回ってゆきます。
肩が痛いのですが、
一つの形でじっとしていると、
目のまえに睡魔の天子も
舞い降りてくるという
もう童話の世界に入っていくなあ
と思った頃、ピピッと音が鳴り、
ばんざいの状況の撮影は終わりです。
よかったあ、正気の世界に
戻ってくることができました。
あと10分続いていたら、
僕の背中に小さな羽根が
生えていたかもしれません。
手を下ろしてそこから
3分間の撮影がまた続きます。
それにしても、CTスキャンのように、
大きく自分を覆うこんな機械って
高いんやろなあ。
doironの知識では、
今自分のまわりを覆う機械が
何をどうしているのか
さっぱりわかりません。
全く福山君のガリレオ状態です。
まあとにかく結果が、
以前同様に問題なしとなることを
祈りつつ、機械による撮影は終わりました。
これで朝のシンチ検査は終わりです。
でもこの日はもう一つ検査があります。
心エコーの撮影です。
腕にこうして注射用の器具を付けたまま
一階から二階に移動してゆきます。
予約時間の設定はよくできていて、
すぐにエコー撮影が始まります。
壁に向かって横に寝ると、
背後にいた女性の検査技師から
腕が伸びてきて胸の周りを
ごしごしされます。
これまたなんか官能的ですねえ。
時おり機械から自分の心臓の音が
ドキドキ
と聞こえてきます。
いやあ、もうなんかあなたの初恋は
こんな感じだったですかと
観察されているようです。
でもあのエコーって
何を測っているんでしょうねえ。
これもよくわかりません。
またガリレオです。
顔まで福山くんに似てきます。
え、そんなことはない?
すみませんでした。
しかし大金をかけて検査していますので、
なんか検査の理由(わけ)を
知りたいのですが、
それを見て医者は
「はい大丈夫」といわれて
それで終わりなんですよねえ。
それはそれでいいんですが、
なんかもうちょっとねえ、
あなたの初恋はどうでしたか?
とか
ちゃんと胸をどきどきさせて
暮らしてますかとか
聞いてほしいですねえ。
とまあそんな感じで
心臓のエコーも終わりました。
午後のシンチの後半に向けて
食事に行きます。
病院の食堂で味噌カツ定食を
いただきました。
まあこの時も驚くような事件が
あったのですが、それも書きだすと
ぐちゃぐちゃになりそうなんで、
また別の機会があれば書きます。
そして午後のシンチ検査も、
またまたばんざいのまま
あれこれ指図され、
機械に入ってゆきます。
それにしてもしんどい検査でした。
ようやく終わって、
今日の検査は終わりです。
この結果について、診察は来週です。
色々あった検査でしたが、診察は
「はい。何事もなかったです」
と簡単に終わることを期待しています。
最近、自分の病気の管理に関しては、
大きな病院から
近くの町医者に移っています。
もうそれくらいでいいだろう
という病院の判断です。
でもねえ年に一回の検査なんかは、
そのまま病院が引き継いでくれていて、
負荷心電図や心エコーなどを
ころ合いを見ながら
実施してくれています。
今日、病院でやったのは、
そんな特殊な検査のひとつである
心筋シンチ検査でした。
血液の中に放射性物質を入れ、
それがちゃんと心臓の筋肉内に
届いているかどうかの検査です。
知らんけど。
もし心筋に故障があれば、
その部分には届いておらず、
機械で撮影した映像が
いびつになったり、
穴が開いたりするのです。
いわばまあ心臓の筋肉が
壊れていないかという検査です。
この検査は、実は今年の二月に
実施予定だったのですが、
あんなにコロナが
大変な時だったのでキャンセルし、
この7月まで延期になっていたのです。
そもそもこの検査のキャンセルは
薬の都合で1週間以上前に
しないといけないので、
コロナ感染がめちゃめちゃ
増えてきたぞと思っている間に、
キャンセルもむつかしくなってしまいました。
もうこうなったらマスクをして
病院の隅っこでおとなしく
検査を受けていればいいか
という覚悟で検査に臨むことに
なったのです。
そんな、検査の朝は食事は
どうなのかと予約券を見てみると、
どうやら食事制限はないようです。
血液検査の項目がないので
そうなんでしょうねえ。
あと、注意事項には心電図を図るので
脱ぎきしやすい服装で
と書かれてありました。
そうかあ十二単で行ってはならんのですね。
などとミセスに言うと
「さっさと行っておいで」と
諭されてしまいました。
「だったら、Tシャツやね。
胸にキネシオテープで“アホ”と
書いていけばいいんやな」というと
塩投げるでといわれてしまいました。
厄介なカアチャンです。
雨がしとしと降る中を病院に向かいます。
でも大丈夫。
何とかなる男ですから、
駐車場から病院の建物に向かう間は
傘いらずでしたね。
時間が来て、診察室に入ってゆきました。
まず午前と午後の二回、
放射線の薬を打つための
注射針を腕に差し込みます。
う~ん、これはむつかしいなあ、
点滴針が打ちにくい手ですなあ
と言ってます。
こういう時は目で見るより
指で触りながら血管を探すそうです。
ああ、ここやなあと言って、
手首とひじの中間点あたりに、
ぷすっと打ちます。
「おお~」と悲鳴を上げるdoiron。
医者はそのまま措置を続けていくのですが
「入りましたか?」と聞くと
「当たり前ですよ」という返事。
もうまるで私は
「何とか注射できる男」
みたいな口ぶりです。
あとで写真をとったら
こんな感じでした。
その後機械に入り、
撮影していきます。
寝転がってばんざいをして
行うのですが、これがまた大変。
「doironさん、めちゃ力が入ってますよ」
「肩が固いので」
「野球やってるんですか」
「はい大リーグボール養成ギプスを
付けているんで」
「もう少し力を抜いてください」
「はい」
「あ、それやった機械に
肘が当たりますからもう少し上に。
あ~今度は力が入りますね。」
もう一体どうしたらよいのか、
doironには判断できません。
あのジムのトレーナーの
ストレッチ教室にもっと
頻繁に行っておくべきだったかなあ。
とか思いながら調整して行きますと、
ああ腕はそこでいいです。
そんな感じで行きましょう
と調整が終わりました。
なんか微妙な力の入れ具合です。
こんなん続けられるかなあと
心配しつつ、
「では15分かけて心筋の様子を
撮影していきまあす」
と検査が始まるのでした。
続く
最近自分の描いている絵を見ていて思うのだ。
手紙に絵を付けて
なにかを伝えるというのとは
自分の作品は若干違うよなあってね。
そもそも絵手紙ってこういうもの
っていう定義はないんだよね。
だからほかの絵手紙を見ていると、
そんな違いを、絵手紙の展示会をしたときに
なおさら強く抱くようになったのです。
あの展覧会は
「大阪の真ん中で 絵手紙がつぶやく展」
というタイトルを付けたのですが、
このタイトルは後から思っても
一番自分の作品に似合う
タイトルやったなあって思うのです。
さほど深く考えたのではなかったんですよ。
こんな泉州の田舎に住んでて、
なんで大阪市内で展示会やねん
と思う人もいるかもしれないし、
そんな作品を展示してくれる
お店のやさしさには
とても感謝しているので、
これはもう「大阪の真ん中で」と
つけることはすぐに自分の中で
生まれてきた言葉でした。
そしてそのあとです。
単に「絵手紙展」とだけつけるのは、
本気で絵手紙に取り組んでいる人には
失礼かもしれないという気持ちもあり、
「つぶやく展」にした、
というが今回のタイトルのそもそもの原点です。
そしたらねえ、そのタイトルが
意外にも自分の絵にピッタリくるなあ
って感じだったのです。
また、展示会開催の目的には、
仕事を退職後10年かけて
やってきたことを、昔の人に見せてみたーい
ということも強くありました。
そうしておこなった平岡珈琲での
10日間の展示は、そんな思惑通りに
皆さんとてもうれしく反応してくれて
ピッタシでした。
絵を見てけらけら笑い転げるとか、
ああこの言葉には同感だと
言ってくれるのもそうです。
doironさんらしいダジャレも楽しい
と膝を叩いてくれたり、
見知らぬ人までとてもファンに
なってくれたのも思いがけず
うれしかったです。
まるでジャニーズに所属したような
変なうれしさが湧いてくるのには、
自分でも笑ってしまいましたね。
そして何より10年間全く会って
いなかった人にもお会いでき、
そんな人とは久しぶりなのに、
そこに書いてあるつぶやきが、
一瞬で10年の歳月を
吹き飛ばしてくれたような気がします。
ああ、絵手紙っていうか、
僕の「絵つぶやき」というのは
こういう力のあるものなんですね。
絵に言葉を添えるだけじゃなくて、
そこにじわーと含ませてある自分の心に
触れあってもらうだけで、
うんと心が近づくそんな効果があるんですね。
そんな風に思えただけでも、
ほんとにつぶやき展をやってよかったです。
多分もう退職して初めて絵を
描き始めた時から、こういう
10日間がやって来るのは、
運命の神様がちゃんと
見てくれていたんやろうなあ。
実はその絵の根源にかかわっている人との再会、
絵をいつも楽しんで喜んでくれた人との出会い、
そして展示会に向けていろいろ
お世話になった人との出会いも
もうすべて自分の作品が作って
くれたわけですねえ。
自分お作品にも感謝です。
そんなdoironの絵の
最初の一枚というのが、
あの病気で死にかけた場所で
ひらって来た桜の花びらを、
絵にした一枚の作品なんです。
その作品の背後には、
人生終わりに見えて、
また新たに始まる新しい日々が
隠れていたんですねえ。
自分の中ではとてもドラマチックなんです。
この10年間で最高の出来事、
いや僕の人生の中でも
特別にスペシャルな10日間を
通じていろんなことを学びました。
だからこれからも、
いろんな遊びやお絵かきを通じて、
また何かこれから先の人生の
きっかけがどこかにあるかもしれません。
なので日々の遊びが思わぬ
次の日々のきっかけに
なるかもしれませんから、
これはもう毎日しっかり
遊んでゆかなくちゃあと、その余韻で
あらためて思っているわけなのです。
毎日いろんなことが
どんどん一番自分に重なって来る。
あれもしなくちゃいけない、
これも解決に向けて
動かないといけない。
やることがいっぱいだ。
新聞に絵が掲載されたことで、
一つ目的は達したが、
これもまた次の掲載を目指して、
心を込めて描いていくという
作業をもう始めていかないと
と思っている。
またコロナ化の中で祭りや
村の夏祭りなんかも近づいており、
それの細かいことに関して、
自治会長の許しや何かを
色々求められることが多いので、
それも判断していかないといけない。
そりゃあまあ、いろいろと
用事的なところが重なってきている。
まあ日々そんな風に、いろいろと
身体や心とらわれることも多いのだが、
そんなときにアメリカのオレゴンで
世界陸上が始まったのだ。
これもこちらとしては目を離せないですねえ。
時差の関係だと思うのですが、
日本では主に午前中にその競技が
行われており、忙しさの上に
さらに時間をそちらのテレビ観戦に
取られてしまって、
もうあわただしい毎日になっている。
競歩は楽しかったねえ。
と書くと、走ってる方がいいやん
という声が聞こえてきそうですが、
これも独特の楽しみ方があるのです。
実は競歩の世界大会となると、
その走行速度がなんと
走っていたころの自分のタイムと
そっくりなのです。
キロ4分くらいでレースは進んでいきます。
ペースを上げていこうと
思いっきりスピードを上げて行くと
キロ3分40秒くらいで、
これもまた自分のランとぴったり合います。
なのでまあ、競歩の動きを
テレビで見るというのは、
なんと自分のランニングの動きを
テレビで見ているのと
同じ感じになるのです。
そんな風な目で見ていたら、
自分もレースに参加しているような
気になるから面白いのです。
単純なおっさんですなあ。
20キロ競歩は見事に金、銀で
見ていてとても楽しかったねえ。
また100m走も楽しみです。
この競技は100mを
どんなタイムで走るか
というのも興味ありますが、
こういう大会では予選、準決勝、決勝とあり、
それらをどのようにして
乗り越えていくかということが
とても面白いですね。
サニブラウンが決勝に残ったというのは、
もうびっくりするような出来事でした。
お絵かき、自治会、ウロウロ歩き、
麻雀、ブログなどに加えて世界陸上。
もう世界の忙しさに
襲われつつあるdoironなのです。