息子が1歳を迎えた頃、ちょうど今から1年半くらい前からだろうか。
自分の心や頭の中で流れていた意識に大きな変化が訪れた…ように思う。
ざっくり言うと、今まで微塵も意識した事がなかった、自分が暮らしている地域との「人間的な繋がり」を意識するようになった事だ。
「地縁」と言えばいいのだろうか。
我々夫婦だけで暮らしているのであれば意識はしなかっただろうが、一人では自分の身を守れない息子を守らなくてはならないし、自分たち家族の未来と、これから何十年もこの地で暮らす息子の未来を考える必要に迫られたのだ。
戸建ての住宅を購入して、簡単に移住できなくなった事も大きな要因だが、東日本大震災を経験した事が最も大きいのではないかと思う。
未曾有の大災害は再び来ると考えているし、凶悪な犯罪も遠くの街の出来事だとは思っていない。
それらが今すぐにでも私たち家族に降りかかってくるかもしれないと思っている。
その時に頼りにできるのは、近くない場所に住む血縁やインターネッツの仲間たちではなく、隣に住んでるおばちゃんや、向かいの家のお父さんたちなど、いわゆる「ご近所さんたち」なんだと思う。
また、犯罪を未然に防ぐためには、まずは近隣住民との防犯意識の強化、が必要だと感じる(ゴミ拾いだけでも十分に効果はあると思う。やったことないけど)。
そんな考えが芽生えてきて、以前には考えられなかった町内会とかいう集まりにも加入し、会合にはできるだけ参加するようになったし、隣近所の方々とはいつもにこやかに挨拶するよう心がけ、先日は息子の保育園のお楽しみ会に参加してNHKの体操のお兄さんに扮して「ブンバボン」まで踊ってきた。ハゲなのに。
若い頃、というかつい最近まで、そういった「リアルな付き合い」はなるべく避けて生きて来た。
近所の奴らが生きてても死んでてもどうでもよかったので、ともかく時間を食うし面倒だった。
そんな事よりもネットだけの付き合いの方が気楽だし面白いし後腐れもない。
だけど現在は違う。
ケラケラ笑う息子が、これから何十年も安心してこの地で暮らすためには、我々夫婦、近隣の住人たちと力を合わせて地ならしをしなくてはならない。
ちょっと前の話になるが、死ぬほど眠たいのに嫁さんに強引に起こされて夏休みのラジオ体操に参加してびっくりした。
子供の多さと元気な老人の多さにだ。
老人たちは元気にラジオ体操を演じ、子供達はそれを見ながら元気に真似をする。
素晴らしい健全な景色だと感じた。
その一回しか参加しなかったけど。
そんなこんなで、最近は家を出ると「どーもどーも」と近所の人に挨拶をする事が多くなった。
これが「父親になる」ってことなんだろうか??
息子にケツを叩かれて、急激に大人になれと怒られているような気分だ。
今まで考えもしなかったことに気づかせてくれるのが子育ての楽しさなのかな、と感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/54/96f5e7b7846a6bd262d4e6df8579c61c.jpg)
お母さんは横になって寝ていて、お父さんは仕事で構ってくれないので、息子が独自に編み出した遊び。背中にセロテープを乗っけてリビングを走り回る。
自分の心や頭の中で流れていた意識に大きな変化が訪れた…ように思う。
ざっくり言うと、今まで微塵も意識した事がなかった、自分が暮らしている地域との「人間的な繋がり」を意識するようになった事だ。
「地縁」と言えばいいのだろうか。
我々夫婦だけで暮らしているのであれば意識はしなかっただろうが、一人では自分の身を守れない息子を守らなくてはならないし、自分たち家族の未来と、これから何十年もこの地で暮らす息子の未来を考える必要に迫られたのだ。
戸建ての住宅を購入して、簡単に移住できなくなった事も大きな要因だが、東日本大震災を経験した事が最も大きいのではないかと思う。
未曾有の大災害は再び来ると考えているし、凶悪な犯罪も遠くの街の出来事だとは思っていない。
それらが今すぐにでも私たち家族に降りかかってくるかもしれないと思っている。
その時に頼りにできるのは、近くない場所に住む血縁やインターネッツの仲間たちではなく、隣に住んでるおばちゃんや、向かいの家のお父さんたちなど、いわゆる「ご近所さんたち」なんだと思う。
また、犯罪を未然に防ぐためには、まずは近隣住民との防犯意識の強化、が必要だと感じる(ゴミ拾いだけでも十分に効果はあると思う。やったことないけど)。
そんな考えが芽生えてきて、以前には考えられなかった町内会とかいう集まりにも加入し、会合にはできるだけ参加するようになったし、隣近所の方々とはいつもにこやかに挨拶するよう心がけ、先日は息子の保育園のお楽しみ会に参加してNHKの体操のお兄さんに扮して「ブンバボン」まで踊ってきた。ハゲなのに。
若い頃、というかつい最近まで、そういった「リアルな付き合い」はなるべく避けて生きて来た。
近所の奴らが生きてても死んでてもどうでもよかったので、ともかく時間を食うし面倒だった。
そんな事よりもネットだけの付き合いの方が気楽だし面白いし後腐れもない。
だけど現在は違う。
ケラケラ笑う息子が、これから何十年も安心してこの地で暮らすためには、我々夫婦、近隣の住人たちと力を合わせて地ならしをしなくてはならない。
ちょっと前の話になるが、死ぬほど眠たいのに嫁さんに強引に起こされて夏休みのラジオ体操に参加してびっくりした。
子供の多さと元気な老人の多さにだ。
老人たちは元気にラジオ体操を演じ、子供達はそれを見ながら元気に真似をする。
素晴らしい健全な景色だと感じた。
その一回しか参加しなかったけど。
そんなこんなで、最近は家を出ると「どーもどーも」と近所の人に挨拶をする事が多くなった。
これが「父親になる」ってことなんだろうか??
息子にケツを叩かれて、急激に大人になれと怒られているような気分だ。
今まで考えもしなかったことに気づかせてくれるのが子育ての楽しさなのかな、と感じる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/54/96f5e7b7846a6bd262d4e6df8579c61c.jpg)
お母さんは横になって寝ていて、お父さんは仕事で構ってくれないので、息子が独自に編み出した遊び。背中にセロテープを乗っけてリビングを走り回る。
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