うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~!アスカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~!
どうなっちゃうのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~!
という訳で『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観てきた。
公開されたばかりで、半ばあきらめ気味で13時に吉祥寺バウスシアターに行ってみたら、なんと余裕で14時の整理券がゲットできた。
世間で言われるほどに人気は無いのかもしれない。
で、観た印象としては「すいぶんと分かりやすく作ったな」といった感じだった。
この作品独特の、「観客を置いてけぼりにして先に進む」といった進行は少なく、ずいぶんと親切に説明をしながら話は進んだと思う。登場人物の心理描写なども、ちょっとくどく感じるほどだった。
もちろん、意味の分からないキーワードはいくつかあったが。
いつもは、帰り際に色々と難解な部分を検証しながら帰るのだが、今回は逆に「何故、ここまで話を分かりやすく作ったのだろうか?」ということを考えながら帰った。
私は、根っからの「オタク体質」である。
興味が湧いて、好きになったものは、とことんまで調べる。
他の誰かと同じくらいの知識量では納得がいかない。
知識を得るためには多少の、いや、かなりの出費をしてもかまわない(まあ、これが「オタク産業に不況なし」と言われる所以だろう)。コレクター癖は(そんなに)ない。
エヴァンゲリオンがテレビで放映されている頃(深夜の再放送だったかな)、その存在を知らなかった私に、後輩がVHSにまとめて録画してくれたものを貸してくれた。
当時の私は、アニメからはすっかり卒業していて、まったくといっていいほど興味はなかった。
しかし、気が付けば首の根っこまでどっぷりとはまっていた。
次から次へとあふれ出る謎の数々。
「人類補完計画とは?」
「サードインパクトとは?」
ハラハラしながらも画面に食い入るように、何度も見返しながらストーリーを追った。
そして最終回で数々の謎が解決!しないままに終了~!
それからは、毎日エヴァのことばかりを考える日々を過ごした。
エヴァ関連書籍を買いまくった。
UCCのエヴァ缶コーヒーはすべて揃えた。
零号機、初号機、弐号機、量産機、第三使徒サキエルのプラモデルを作った(バンダイの1万円エヴァは革新的だったなあ)。
アスカ派だった(しかし、前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』で、完全な綾波派に転向)。
今になって振り返ると、よくもまああんなに時間と金をつぎ込んだものだ。
しかし、それが「趣味」の本質なのだと思う。
意味や、意義なんぞが関係しないところが重要だ。
そして、それから約10年の歳月が流れた。
今回の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』が「分かりやすい」ストーリー進行に仕上がっているのは、この10年の歳月がもたらしたものだと考えた。
私自身の「オタク体質」にはさほどの変化はないが、この10年間で、世間一般で言うところの「オタク」の濃度が薄まったのだと思う。
濃度が薄まり、さらに細かく分散されてきた。
いわゆる、「ジャンルの細分化」だ。
一つのジャンルに群がっていたオタクたちが、細かなジャンルに住み分けをするようになり、ジャンル全体としての勢力が失われていく。
って、書いてて思ったが、今のこの状況こそ、当時の「エヴァ出現前夜」に似ている(もう一発言わせていただければ「Perfume出現前夜」にも似ているだろう)。
従って、熱狂的なオタクは少なくなり、ライトなオタクたちが量産されて数を増やした。
インターネットや、近年では動画サイトの出現も手伝い、かつてのように妄信的に対象を研究する姿勢はなくなり、なるべくなら「お手軽に」楽しみを手に入れたい、と考える層が増えたのだと思う。
話は逸れるが、私が大好きな漫画「ファイブスター物語」は、これの対極を突っ走っていると思う。
「世界で一番設定を読み込むのが難しい漫画」とも言われている。
参考書を片手に読むマンガだ。
20年も前に始まった漫画だが、今現在でも読み返して楽しんでいる。
そんな近年の背景が、今回の「分かりやすさ」に繋がっているのだと思った。
あまりに難解に作りこんだら新たなファンをつかめないし、かつての熱病のように妄信するオタクは少なくなった、と判断したのだろう。
なので、今回はややあっさりとして、空腹感を残したままで終わった印象だ。
だが全体的には充分に楽しめた。
相変わらず使徒の新しいデザインは美しくて魅力的だったし、対決シーンも迫力があった。
対決シーンで突然に「今日の日はさようなら」や「翼をください」が流れ出したりするのも、お手軽だが効果は高かったと思う。
オタク的な萌える見どころとしては
「地上を走って音速を超えて、ソニックブームを起こしてしまう初号機」の描写だろうか。
3機のエヴァが、使徒を追いかけて全力で走るシーンなのだが、あの疾走感と緊張感は凄まじかった。
ああいった描写は、心に病を持つものでなければ思い描かないだろうな、と思うし、エヴァならではの描写だ。
そして、「分かりやすい」演出のためか、登場人物たちは雄弁に語った。
山寺宏一さんの声や、緒方恵美さんの迫真の演技が楽しめた。
ただ一つ残念だったのは、劇場版のために新しく作り出されたキャラクターの「真希波・マリ・イラストリアス」の存在意義がまったく確かめられなかったことか。
しかも勝手にアスカの2号機に乗りやがって…。
何のために登場してきたのか、イマイチ描ききれていないように感じた。
ともあれ、次回作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q Quickening』が非常に楽しみではある。
さて。これからしばらくは、今回の作品で理解できなかった部分の補完計画が始まる。
どうなっちゃうのぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~!
という訳で『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』を観てきた。
公開されたばかりで、半ばあきらめ気味で13時に吉祥寺バウスシアターに行ってみたら、なんと余裕で14時の整理券がゲットできた。
世間で言われるほどに人気は無いのかもしれない。
で、観た印象としては「すいぶんと分かりやすく作ったな」といった感じだった。
この作品独特の、「観客を置いてけぼりにして先に進む」といった進行は少なく、ずいぶんと親切に説明をしながら話は進んだと思う。登場人物の心理描写なども、ちょっとくどく感じるほどだった。
もちろん、意味の分からないキーワードはいくつかあったが。
いつもは、帰り際に色々と難解な部分を検証しながら帰るのだが、今回は逆に「何故、ここまで話を分かりやすく作ったのだろうか?」ということを考えながら帰った。
私は、根っからの「オタク体質」である。
興味が湧いて、好きになったものは、とことんまで調べる。
他の誰かと同じくらいの知識量では納得がいかない。
知識を得るためには多少の、いや、かなりの出費をしてもかまわない(まあ、これが「オタク産業に不況なし」と言われる所以だろう)。コレクター癖は(そんなに)ない。
エヴァンゲリオンがテレビで放映されている頃(深夜の再放送だったかな)、その存在を知らなかった私に、後輩がVHSにまとめて録画してくれたものを貸してくれた。
当時の私は、アニメからはすっかり卒業していて、まったくといっていいほど興味はなかった。
しかし、気が付けば首の根っこまでどっぷりとはまっていた。
次から次へとあふれ出る謎の数々。
「人類補完計画とは?」
「サードインパクトとは?」
ハラハラしながらも画面に食い入るように、何度も見返しながらストーリーを追った。
そして最終回で数々の謎が解決!しないままに終了~!
それからは、毎日エヴァのことばかりを考える日々を過ごした。
エヴァ関連書籍を買いまくった。
UCCのエヴァ缶コーヒーはすべて揃えた。
零号機、初号機、弐号機、量産機、第三使徒サキエルのプラモデルを作った(バンダイの1万円エヴァは革新的だったなあ)。
アスカ派だった(しかし、前作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』で、完全な綾波派に転向)。
今になって振り返ると、よくもまああんなに時間と金をつぎ込んだものだ。
しかし、それが「趣味」の本質なのだと思う。
意味や、意義なんぞが関係しないところが重要だ。
そして、それから約10年の歳月が流れた。
今回の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』が「分かりやすい」ストーリー進行に仕上がっているのは、この10年の歳月がもたらしたものだと考えた。
私自身の「オタク体質」にはさほどの変化はないが、この10年間で、世間一般で言うところの「オタク」の濃度が薄まったのだと思う。
濃度が薄まり、さらに細かく分散されてきた。
いわゆる、「ジャンルの細分化」だ。
一つのジャンルに群がっていたオタクたちが、細かなジャンルに住み分けをするようになり、ジャンル全体としての勢力が失われていく。
って、書いてて思ったが、今のこの状況こそ、当時の「エヴァ出現前夜」に似ている(もう一発言わせていただければ「Perfume出現前夜」にも似ているだろう)。
従って、熱狂的なオタクは少なくなり、ライトなオタクたちが量産されて数を増やした。
インターネットや、近年では動画サイトの出現も手伝い、かつてのように妄信的に対象を研究する姿勢はなくなり、なるべくなら「お手軽に」楽しみを手に入れたい、と考える層が増えたのだと思う。
話は逸れるが、私が大好きな漫画「ファイブスター物語」は、これの対極を突っ走っていると思う。
「世界で一番設定を読み込むのが難しい漫画」とも言われている。
参考書を片手に読むマンガだ。
20年も前に始まった漫画だが、今現在でも読み返して楽しんでいる。
そんな近年の背景が、今回の「分かりやすさ」に繋がっているのだと思った。
あまりに難解に作りこんだら新たなファンをつかめないし、かつての熱病のように妄信するオタクは少なくなった、と判断したのだろう。
なので、今回はややあっさりとして、空腹感を残したままで終わった印象だ。
だが全体的には充分に楽しめた。
相変わらず使徒の新しいデザインは美しくて魅力的だったし、対決シーンも迫力があった。
対決シーンで突然に「今日の日はさようなら」や「翼をください」が流れ出したりするのも、お手軽だが効果は高かったと思う。
オタク的な萌える見どころとしては
「地上を走って音速を超えて、ソニックブームを起こしてしまう初号機」の描写だろうか。
3機のエヴァが、使徒を追いかけて全力で走るシーンなのだが、あの疾走感と緊張感は凄まじかった。
ああいった描写は、心に病を持つものでなければ思い描かないだろうな、と思うし、エヴァならではの描写だ。
そして、「分かりやすい」演出のためか、登場人物たちは雄弁に語った。
山寺宏一さんの声や、緒方恵美さんの迫真の演技が楽しめた。
ただ一つ残念だったのは、劇場版のために新しく作り出されたキャラクターの「真希波・マリ・イラストリアス」の存在意義がまったく確かめられなかったことか。
しかも勝手にアスカの2号機に乗りやがって…。
何のために登場してきたのか、イマイチ描ききれていないように感じた。
ともあれ、次回作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q Quickening』が非常に楽しみではある。
さて。これからしばらくは、今回の作品で理解できなかった部分の補完計画が始まる。
しかも内容がまた濃い!濃すぎるよっ!!
自分も放送当時からハマっていたがこれを読む限り自分のそれを遥かに上回っていると思った。
「コレクター癖はそんなにない」と言って置きながら「エヴァ関連書籍を買いまくった。UCCのエヴァ缶コーヒーはすべて揃えた。零号機、初号機、弐号機、量産機、第三使徒サキエルのプラモデルを作った」・・・って十分コレクションしてるじゃないですか!笑
さらに読み進めて驚かされたのは
私が大好きな漫画「ファイブスター物語」
FSSを知っているだと!笑。
ええ、自分も大好きですよ。コミックほぼ全巻持ってますよ。当時横浜関内まで劇場版を見にもいきましたよ笑。好きなMHはVANG-DOLLですよ笑
いやいや~、こりゃ髑髏さんとだったらPerfumeからFSSの話題まで朝まで語り明かせそうだ笑
そうそうFSSを知ってる髑髏さんに是非言いたいのは、「かしゆかってファティマっぽいよね?」爆
あのストレートの髪型といいちょっとロボットぽいところいい以前からファティマっぽいなーって思ってたんですよ笑。
でも髑髏さんなら同じことを思っていたかもしれませんね。
さらにかしゆかに「マスター」とか言わせたいとか思っちゃったりとかしちゃたりとかしちゃったり?w
閑話休題。
そのエヴァですが、髑髏さんの言われるように初見の人にもわかるように非常に内容が分かりやすく作られていましたね。
また全体的にみんなキャラが丸くなった(性格的に)。
参号機の稼動実験前に電話でミサトと話してるアスカなんてTV放送当時とは思えないほど素直になってたからなぁ(まぁそれがあの結末へのフラグになったわけですが・・・)
マリについては自分も同様でせっかく出した新キャラなのにイマイチ生かしきれてないなぁと。登場も突然だったし弐号機に乗るのもいきなりだったし。
次回「Q」ではもうちょっと生かされてくるんでしょうか?
ところで「序」も含めて劇場版を見て一番感動したのはこれでもかといわんばかりに書き込まれた作画!。
CGを活用していてまぁ動くわ動くわ!。兵装ビルの細かい描写だけでもう失神しそうでしたよ笑
あまりにもすごくて見ててニヤニヤしっぱなしだったよ(キモいな)
今後しばらくはこれを越えるようなロボットアニメはできないんじゃないかと思いますね。
次作がいつになるかまだわからんですが、ほんとに今から期待大ですよね。
もう多少時間かかってもいいからこのクオリティは落とさないでほしい!。
またまた長い書き込みになってしまいましたが最後に一言!。
絶対みんな綾波にぽかぽかされたw
一度、どこかで飲み明かしましょうか?w
私が好きなMHは、サイレンかなあ(現時点で)。
ああ、でも黒騎士も捨てがたい。
かしゆか→ファティマ説は、2chのスレでも散々言われていますね。
しかし、作品の認知度が低いのか、盛り上がりませんw
開始からかなりの年月を過ぎているFSSは、すでに現在のネット社会の感覚とはかなりの「ズレ」があると思います(難しすぎる)。
その「ズレ」を、今回のエヴァは修正したんだろうなあ、と思いました。
庵野さんは、吉祥寺でよく見かけますが、これからも鋭く変態的なセンスを発揮してもらいたいです!