EOS Kiss D初代からのデジイチフリークが、30D購入で深みにはまって写真三昧な毎日を送っています。
~どりさまフォットな毎日~



 横山ダムは徳山ダムのすぐ下にあります。現在は徳山ダムの試験湛水で横山ダムは水を抜き湖底の堆積物の除去作業をしているようでした。今回はラスト以外大きいサイズもUPしてありますので興味のある方はクリックしてみてくださいね。





↑これだけPSE6.0にてレタッチしてあります。テキトーにぱっぱとやっちゃってるからいい加減ですが導入記念ってことで^^;



EOS 30D/EF24mmf2.8


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 今日は徳山ダムについて説明します。何かと有名なこのダム、日本一なんですよね。何がかといいますとまずは貯水量。総貯水量は6億6千万㎥で浜名湖2杯分の水量となるそうです。さてこの貯水が本当に必要なのかといいますと、計画段階の昭和46年頃にはどうやらそのように推測されていたようです。しかしその後リサイクルなど環境問題を鑑み、精錬工場での使用水量は当時の半分以下となりました。揖斐川下流水域の名古屋市では取水権の3割以上を返上してしまいました。徳山ダムの4つの目的のうちの一つ新規利水は意味がなくなってしまったのです。

 徳山会館で資料をのんびり見ていた私たちに声がかかりました。「ダムへのシャトルバスに乗らないですか?」とかく反対意見の多いダム建設です。ダム建設の目的とその意義を広く広報するため積極的にダム見学ツアーが行われているようです。1回当たり30分のツアーは無料です。私たち二人は参加させていただくことにしました。



ルームミラーにさりげなく私が写ってますね^^;



二つ目の日本一は堤体積です。ロックフィルダムとしては日本最大なんだそうです。ロックフィルダムの構造はシンプルです。水の流れを堰き止めているのはコアと呼ばれる粘土層なのです。1枚目の写真で左側の山が削り取られているのが確認できると思いますが、コアはここから運んだのです。その粘土層が水流で溶けないようにコアの周りはフィルタと呼ばれる砂利層で固められています。更にその砂利層が流されないようにロックと呼ばれる岩の層が外周を固めます。これがロックフィルダムの構造です。



堤体の高さは161メートルです。堤体高日本一の座は黒部ダムに譲ります。切り立ってないのであまり高さを感じないですが実際恐ろしい高さです;;



見学ツアーの一行はガイドさんの話を食い入るように聞いていました。彼女も真剣です。

 ここからはツアーでは絶対に語られることのない実話です。揖斐川の源流にダムがどうしても必要ということで移転を迫られた旧徳山村の住人たち。その交渉で水資源機構が住民に約束したことは、水没してしまう147号線のかわりにダム湖を囲む全長100kmに及ぶ道路を整備することでした。しかしその後徳山村は昭和62年に藤橋村に廃置分合されてしまいます。そして時代の流れは公共事業の見直しという風潮の影響もあったのか、予定されていた道路建設を中止する議案が可決されてしまいます。裏切られた形となった旧徳山村の住人たち。立ち退きの条件に取り付けた道路建設の約束を反故にされてしまいます。今回ダムに沈まなかった門入(かどにゅう)地区は道路を失い孤立してしまいました。沈まないからその土地に住みたいという住人をも、道路建設中止となったことを理由に強制退去させてしまいます。当時岐阜県と藤橋村、水資源機構の間にどんな密約があったのでしょうか。取材しようにも当時の担当者は皆、自分の立場でコメントするべきものではないとして一切語ろうとしません。藤橋村はその後の平成17年に揖斐郡1町5村が合併し揖斐川町となりました。道路建設中止を承認した藤橋村はもう存在しないのです。この一連の話にどす黒い闇を感じるのは私だけでしょうか?

 民主主義は多数の原理にて成り立ちます。少数派は斬り捨てられる運命にあります。しかし今回の場合、単に少数派として斬り捨ててしまっていいのでしょうか?旧徳山村の住人は住まいも故郷も奪われてしまったのです。なのにその補償まで反故にされ、全てを無かったことの様にされようとしています。こんなことが許されていいのか?当事者でない私ですら憤りを隠せません。民主主義の欠点が今回の件で露呈していますよね。この事実をもっと多くの人が知るべきです。そして考えるべきだと思います。



 立ち退きを余儀なくされた旧徳山村の住人たちは表山、網代、文殊、糸貫、芝原の5箇所の集団移転地を含む県内各地に移転していきました。徳山村での暮らしは平和でのんびりしたものであり、家々には垣根も殆どなく戸締りもあまりされなかったそうです。移転先の近代的な町暮らしはあまりにもギャップがあり過ぎて馴染めず、自殺をする人も少なくなかったそうです。日本は古来よりほぼ単一民族による独立国家でしたので、占領されたことはあっても国を追われたり、故郷を失うという記憶がありません。故郷を奪われ、それまでの暮らしも奪われ自殺するしかなかった人の気持ちを考えると堪らなくなります。

 彼女の両親は共に徳山村出身です。小さい頃はお父さんに連れられてよくここで遊んだのだそうです。在所が二つとも沈んだことになります。ダム湖を眺める彼女の胸に去来するものは何なのでしょう。


EOS 30D/EF24mmf2.8





※ 人物写真の流用転載等一切ご遠慮願います。




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 先日修善寺の虹の郷でダムに沈んだ徳山村から移築された民家の写真をUPしました。その出会いも何かしら縁を感じるものがあり、同行していた彼女と驚いたものです。それからしばらくしてMBSの世界ウルルン滞在記の特番で女優の小西美帆さんがトルコのダムに沈む村に滞在する回を見ました。私の彼女と小西美帆さんは親戚なんですよ。このタイミングでまた徳山村について考えることとなり、これはいよいよ徳山ダムに行くしかないなって思ったのです。彼女も徳山村がダムに沈んでからはまだ一度も足を運んだことがないというのでちょうど良かったのです。



ダムに樹木が沈んでいるのがわかると思います。現在徳山ダムは貯水率60%で、ダムの完成する平成20年3月までは試験湛水(たんすい)が行われています。写真をクリックすると大きなサイズの写真になりますので確認してみてください。中央やや右上に紅白の四角い看板が見えると思います。この目印の位置が満水時の水位なんだそうです。




カーナビには県道147号線がこのダム湖の底に走っているのがはっきりと示されています。このダム湖の底に徳山村8地区466世帯(約1500名)の暮らしが確かにあったのです。今は暗く冷たい湖の底で行き交う人も車もなく、ただ静かに眠っているのです。


EOS 30D/EF24mmf2.8


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 今日は久々のオフで岐阜の山奥に来ています。岐阜と福井の県境付近、冠山からみる揖斐峡谷の眺望です。もっとお見せしたいのですが、ナローバンドにつきこれにして失礼いたします^^;


EOS 30D/EF24mmf2.8


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 さっき仕事が終わりまして、今は温泉つきのホテルでほっこりしています♪明日は岐阜の山奥に撮影に出かける予定です。今日は在庫の中野の風景から。




EOS KissD/Voigtländer ULTRON 40mm F2 SL Aspherical



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