一人なぞ全く苦にはならねども 不在の君は「欲しい」思ふや
(「直球!」笑)
世の中には『(常に)誰か側に居てくれないと淋しくて耐えられない。』という人が居るらしい。
私は <うさぎ> ではなく <猫> なので;その感覚は、よく解らないが…
(↓ つづき)
「時をかける少女(小説)」 結局ネットで買ってしまいました;妹に頼んでもらって。(私が登録してないサイトだったので)
けれど、まだ途中、拾い読み状態;「スミマセンッッ!;(?)」
本が届いた二日後に DVD(アニメじゃなくて原田知世さんの方)も購入。
5/7 に書いた言葉、正確には↓
和子『どうして時間は過ぎて行くの?』
深町『過ぎて行くもんじゃない。時間はやって来るもんなんだ。』
(私は当時『やって来る』という概念に驚いた。心腹に落ちたのですが)
このセリフは小説の中には無かったんですね。(時間の遡行等々の記述が有る)
いきなりの別れに対する切ない想い。そして未来に会えるという希望。
映画では、深町君が会いに来た未来が描かれていますが…。
エンディング前に。あれもいつもの大林監督一流の括り(『フィクション』の提示。映像的にはフレームや白黒映像・パートカラー等で区分される)の内なのでしょうか?
と、ちょっと思ったりもして原作と違ったから。
(あの)映画に原作のラストをそのまま持って来た場合、映画としては弱く?なってしまうからなのか。
一人称で終わらせない的な?カメラ(客観)の目線で終わらせるという。
改めて見返して…
土曜日の午後に戻る(決意)為に鍵を受け取った和子が、一人理科室(先)に向かう廊下を歩く後ろ姿と。
再び現れた深町を解らなかった和子が(過去を置いて)廊下を歩いて行く後ろ姿と重なっている。
だろうラストシーンが(映画は)印象的です。
ややっ!本の話じゃなくて映画の話になってしまった;(いいのか?;)
元々(?)絵・映画系の人間(仕事だった)なので、どうしても;すみません。
5/20の本命「フラゲ」は「ALWAYS 続・三丁目の夕日」DVD 。
この映画は実は三度見た;昨年の 11月と12/5 。今年1月。
先の二回は地元「神保町シアター」で。最初見た時は、帰りパンフを買う時はヤバかった!目が腫れちゃってて;
二度目はなんとかエンディング、歌を聴くだけでなく画面も見る事が出来た。(時折目を閉じてたけど;)
そこで、初めて気が付いた!オーラスのカット。
三人のカットで締めくくる、は容易に想像出来てたのだが。
茶川と淳之介の <あれ> は、アドリブだったのだろうか?それともコンテにあったのか…
「知りたい!」いや、どちらであっても(あの時の私にとっての)価値は変わらない。
あのエンドロールの衝撃(?私にとって;)は、まさにシンクロニシティ。あの頃の私を支えてくれた、他の誰でも(私でも)無く。
だから「思い入れ( → 3/13)」なのです。
やややっ!;「時かけ」と「三丁目」の二つで随分書いてしまった。『長いっ!』?:という?事で無理矢理「締めっ!」
『いや~映画って本当にいいもんですね~(パクリ)』
( …って;「本読めよ!!」)
追伸。「1」「2」の流れで、よもや読み違える、は無いだろうと思って断りは入れませんでしたが……
↑ 上の「欲しい」は「居て欲しい」の意(略)です。
って、今頃(5/28)になって…;
大丈夫でしたよね?(変な勘違いされてませんよね?;汗)