おとぎのお家と青い鳥

本ブログでは、主に人間が本来持つべき愛や優しさ、温もり、友情、勇気などをエンターテイメントの世界を通じて訴えていきます。

青春うたものがたりシリーズ2「幸せという名の不幸」 3

2011-09-23 22:18:42 | 人・愛・夢・歌・宿命・運命・家族・社会

只今公開中の、~青春うたものがたり2~『幸せという名の不幸』は、あなたにとって、母と子の絆とは何なのか?あなたにとって、家族の存在とは何か?その人間(ひと)としての答えを一緒になって考えさせてくれる、“人間の生”というものが作り出す幸と不幸のヒューマニズムに溢れた作品です。また同時に、人の運命って一度狂ってしまうとこんなにもさまざまな束縛や、抑圧による非人間的状態に晒されてしまうのか?と思わなくならざるを得ないような、その人が持つ宿命の陽と陰とを関係を一人の女性の人生を通じて見せてくれる涙と感動の作品でもあります。


1_2企画 / 下家 猪誠 / 猪 寿
第3話/ 女としての人生の最初の不幸
~クリスマスイヴの夜のプロポーズの解消~

♪こんな寂しい夜だから

Lost love 失恋したての こんな寂しい夜だから

少しくらいお酒を飲んで グチってもいいでしょう

こんな日くらい 意地悪な恋の神様だって 許してくれるでしょう

Broken heart 孤独な胸のうち 誰かに分かって欲しくて

仲のいい友達に電話を入れたけど 留守電コール 

今日はクリスマスイヴだもの こんな男と女が恋愛(こい)の魔法にかかって

夢の中を旅する夜に 家なんかにいるわけがないわよね

「あの娘は私と違って、モテるんだもの・・・」

化粧を落とす鏡の中の ah自分に自分で失恋話している

そんな姿が悲しくて ah勝手に涙が溢れてくる

Anyone is good It is good only tonight.

ああ誰か今夜だけでいいから 何も言わずにその温かい腕の中で眠らせて欲しい



   竹内更

◎人物紹介コメント

更さんは、僕がFacebookの友だちの中で唯一“女子大生”に間違えた、とても清楚な美しい方です。でも、その一方では、楽しくて愉快な方です。だから、僕はそんな更さんの両面を持ち合わせた人間性が大好きです。ただ、ひとつ怖いのは、僕が更さんを“女子大生”に間違えたら、それに連動して私も“女子大生”だと言い張っている人物がいます。その人の名は、井町修子といいもと東宝映画に勤務し、さまざまな映画やイベント、展示会などの企画やプロデュースなどに携わって来たという、とても更さんと大の仲良し(僕とも仲良しです。)のちょっと風変わりの、ミステリアスな女性です。(笑う)それにしても、更さんって本当の生の姿って、どのくらいの年齢に見えるのでしょうね。

◎プロフィール

出身校: 帝塚山学院短期大学
居住地: 奈良県奈良市
血液型: O型
出身地: 大阪府大阪市
誕生日: 5月22日

ウェブサイト
http://facebook.com/sara.takeuchi

メールアドレス
sanat522@yahoo.co.jp


「乾杯!」

「乾杯!」

この日はクリスマスイヴだったが、二人がこうしてデートをして食事をするのが、やはり母洋子が脳溢血で倒れて入院してから約三ヶ月ぶりということと、彼女が入院したのをきっかけに、彼にプロポーズの返事を求められても、なんだかんだと理由をつけては彼への返事を半年以上も引き伸ばして来たこともあり、なんとなく周囲の客の華やかさに比べて、当初から二人の会話は盛り上がりに掛けていた。

ただ、まだこの時点ではありさは自分に降りかかる、この直後の最初の女としての人生の不幸に気付いていなかった。

その後、頼んでいた上天麩羅定食が来たが、翔太から何か話し掛けて来るわけでもなく、ただ無言のままで食べて飲んでいるというだけで、相変わらず二人の話が一向に盛り上がることはなかった。

そうなるとやはり気になるもので、今日二人が会うことの本当の目的について、ありさが思い切って翔太に尋ねてみることにした。

「今日は、きっと私は翔太がクリスマスイヴだから気遣って誘ってくれたんだろうと思っていたけど、さっきからいつもと違って落ち着きがない翔太の行動を見ていると、もしかして本当はほかにも何か話があるんじゃないの?」

「実は、そうなんだ・・・」

「ありさにいつ話そうかと思って、ずっとそのタイミングを見計らっていたんだけど、なかなか話すチャンスがなくてね・・・」

「だから、君の方から聞いてくれたので、内心ホッとしているとこなんだ・・・」

「やっぱりね・・・で、話ってなに?」

ありさが、そう言って翔太に尋ねた瞬間、一瞬のうちに彼の顔色は熱でもあるかのように赤みがさし表情が険しくなった。

そして、翔太の口から次に出た言葉は、さすがにありさも予想もしていないことだった。

「ありさには悪いんだけど、ずっとこのままの状態で二人が付き合いを続けていても、君のお母さんの病気が感知し君の心の整理が付かない以上は、きっと今後のことを考えると上手く行かなないと思うし、お互いに重荷になるだけだと思うんだ・・・」

「それって、分かりやすく言うとどういうこと?」

「僕が君にプロポーズしたことを、一回白紙にしてもらいたいんだ・・・」

「そして、今後はただの友達として付き合いたいんだ・・・」

ありさは翔太のその言葉を聞いたとたん、何か大きな鈍器物でも殴られたかのように、もの凄い衝撃を受けて頭の中が真っ白くなり、今の彼の言葉が本当は聞き違いであることを願うと同時に、もう一方の自分自身の中には、再び自分が傷つく同じ言葉を聞かなければいけないという怖さがあったが、あえて彼に尋ねてみることにした。

「今の話って、私とのプロポーズを解消して、別れたいということ・・・」

「そいうことだね・・・」

「・・・・・」

再度、ありさは自分の方から尋ねたにもかかわらず、まったく翔太の口から同じ言葉が繰り返されたのを聞いて、さっきにもまして体中がブルブルと震えて胸の鼓動が大きく波打ち、今にも心臓が爆発しそうになるくらいの大きなショックを受けた。

だが、たとえ自分がどんなに傷つきショックを受けたとしても、いくら母親の洋子の病気のせいだとはいえ、これまでの自分の翔太に対する身勝手すぎる行動のことを考えると、この場で彼の言葉に反発して何かを言い返えせるだけの材料は、どう思いを巡らしても何ひとつとして見つからなかった。

それだけに、この場では何の言い訳もせずに、ただ単に彼の話す言葉を聞いているしかなかった。


帰る際、翔太がありさの帰宅する電車の乗り場である、新宿駅の地下鉄丸の内線の改札口まで送ってくれたが、その歩いてる最中に二人が何かを話すことはひと言もなかった。

それは、ありさ自身の中にこれ以上翔太と何かを話しても、彼に何かを話せば話すほど、自分が何か言い訳をしているような感じがして、よけいに惨めになるような気があったからである。

翔太と別れた後の帰宅途中の電車の中では、ほとんどの乗客がクリスマスイブということもあり、酒に酔っ払って大はしゃぎをしているのに反して、ありさ一人が別の空間にでもいるように、翔太にこれっぽっちも予想もしていなかった別れ話をされたあまりの心の動揺から、もう実際には自然に溢れ出して来る涙を堪えるのは限界に達していた。

だが、大勢の乗車客の前でボロボロと涙を流して、大声を出して泣き喚くわけにもいかず、ただひたすら酒に酔った振りをして下を向いて、じっと涙が溢れ出して来るのを堪えていた。

さらに、ありさが自分のことを不幸な女だと哀れんだのは、母親の洋子は脳溢血で入院中だったし、幼稚園の頃から大親友の明日香の携帯に電話しても留守電になっていて、今日の彼女の心の苦しみを、誰一人として聞いてくれる人がいなかったことである。

そのために、これも不幸の星の下に生まれた運命なのだろうか・・・ありさは自分ひとりで、この悲しみを乗り越えるしかなかった。


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福島の地を「ひまわり」の花でいっぱいにさせてください


 あの世界一美しいと言われている四季と、もう一度日本中に笑顔の花を咲かせるために・・・・・

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下家 猪誠





青春うたものがたりシリーズ2「幸せという名の不幸」 2

2011-09-23 21:23:57 | 人・愛・夢・歌・宿命・運命・家族・社会

前回より新たにスタートした、~青春うたものがたり2~『幸せという名の不幸』は、あなたにとって、母と子の絆とは何なのか?あなたにとって、家族の存在とは何か?その人間(ひと)としての答えを一緒になって考えさせてくれる、“人間の生”というものが作り出す幸と不幸のヒューマニズムに溢れた作品です。また同時に、人の運命って一度狂ってしまうとこんなにもさまざまな束縛や、抑圧による非人間的状態に晒されてしまうのか?と思わなくならざるを得ないような、その人が持つ宿命の陽と陰とを関係を一人の女性の人生を通じて見せてくれる涙と感動の作品でもあります。


1_2企画 / 下家 猪誠 / 猪 寿
第2話/ 幸せと不幸の選択
~幸運と悲運の運命の別れ道~

こんな寂しい夜だから

Lost love 失恋したての こんな寂しい夜だから

少しくらいお酒を飲んで グチってもいいでしょう

こんな日くらい 意地悪な恋の神様だって 許してくれるでしょう

Broken heart 孤独な胸のうち 誰かに分かって欲しくて

仲のいい友達に電話を入れたけど 留守電コール 

今日はクリスマスイヴだもの こんな男と女が恋愛(こい)の魔法にかかって
夢の中を旅する夜に 家なんかにいるわけがないわよね

「あの娘は私と違って、モテるんだもの・・・」

化粧を落とす鏡の中の ah自分に自分で失恋話している

そんな姿が悲しくて ah勝手に涙が溢れてくる

Anyone is good It is good only tonight.

ああ誰か今夜だけでいいから 何も言わずにその温かい腕の中で眠らせて欲しい


櫻井翔太がありさにプロポーズしたときには、母洋子が脳溢血で倒れて入院する前だったこともあり、ありさ自身もそうだが洋子も二人が結婚することを、自分のことにようにもの凄く喜んでいてくれた。

そして、ありさは何よりも自分が一番信頼している母の洋子が、二人の結婚を自分のことのように喜んで後押しをしてくれたこともあり、もうすぐにでも翔太のプロポーズに承諾して、はっきりと彼と結婚することを自分の心の中では決めていた。

ただ、そうは言っても、いざ結婚するとなると会社勤めをどうするかとか、洋子と連名で借りている弟の大輔の教育ローンの返済をどうするとかなどの、小山家の長女としての色々と片付けなければいけない問題がかなりあったために、その自分のいくつかの身辺問題を片付ける準備期間として、一月だけ翔太にその返事を待ってもらうことにした。

その時点では、翔太もありさが彼のプロポーズを100%受けてくれると思っていたのでなんなく、彼女の要求を快く受け入れてくれた。

ところが人間の運命というのは、皮肉なものである。

ありさが、その自分のいくつかの身辺問題を片付ける準備期間として、無理やり翔太に願いをしてプロポーズの返事を待ってもらった一ヶ月の間に、彼女の人生の運命を狂わせる出来事が次ぎ次ぎに彼女を襲ったのである。

その最初のきっかけとなったのは、大輔が大学をさぼってかつての悪友や彼女と遊び回っていることが発覚したことだった。

そして、ありさと洋子がそのことで大輔を詰問すると、彼は二人に向かって逆切れして、無理やり嫌がる彼を大学に行かせるようにした二人に、すべて今回の責任はあると食って掛って来た。

結局その結果、大輔は大学を中退して家を出て行くことになり、彼のためにありさと洋子が連名で借りた約三百万円の教育ローンの支払いだけが、その代償として残ることになった。

大輔の将来を心配して、彼を一番大学に行かせたがっていた洋子は、彼に裏切られたような形になった上に、彼が彼女やありさに逆らい家を出て行ったことが、かなり彼女を傷つけ心労を与えたのだろう。

洋子は、大輔が家を出て行ってから三日後の昼過ぎに、突然脳溢血で倒れて意識不明に陥り、救急車で新宿の西口にある帝都病院に運ばれた。

幸い、その日は会社の創立記念日でありさが休みだったために、すぐその場で救急車を呼び、早めに病院での応急処置を受けることが出来たために、なんとか洋子は命は取り留めたものの、完全に自由に動かせるのは右手だけで、左手が使えたり言葉を話したりすることが出来るようになるためには、一年から二年のリハビリが必要だという、かなりの過酷な生活を送らざるを得なくなった。

そして、さらに一番の問題だったのは、完全に下半身が麻痺して車椅子生活を余儀なくされたことだった。

そんな中で、ありさは子供の頃から彼女たちを苦労して育ててきたのを知っているだけに、自分一人だけが幸せになり、自分にとって何よりも優先して大切に思って来た、病気の母親を独りぼっちにして、置き去りにしておくことは出来なかった。

だから、洋子が脳溢血で倒れて入院するようになったのをきっかけに、櫻井翔太のプロポーズを受けて結婚するかどうか、自分で自分の気持ちの整理が出来なくなり、彼にプロポーズの返事を求められても、なんだかんだと理由をつけては彼への返事を半年以上も引き伸ばして来た。

――♪ずっと一緒にいた・・・・・――

そんなとき、ありさの携帯電話の着信音である“三日月”着歌鳴り響き、三ヶ月ぶりに櫻井翔太からのデートの誘いの電話があったのは、ちょうど街中がイルミネーションの装飾や、人波で華やぐクリスマスイヴのことだった。

二人は、新宿駅の東口の改札口で待ち合わせ、同じ駅ビルの中の八階にある食堂街に向かった。

やはり、この日はクリスマスイヴということもあり、どの店も人の行列でいっぱいだった。

ありさは、翔太に何か食べたい物はあるかと聞かれたが、別に特別にこれといって食べたい物があったわけではないので、どの店に入るのかはすべて彼に任せることにした。

彼が選んだのは、ちょっと若い二人には不釣合いの客層が多く、十年ほど前の新宿駅ビルの食堂街の改装をきっかけに、かなり食材の質が小ぶりなった割には料金は以前の倍近く高くなった、老舗の天麩羅屋のつな七だった。

つな七は聞くところによると、新宿三越の裏手に大正十三年に創業した、天麩羅屋では八十年の歴史を持つ老舗らしい。

いつも、デートの度に安い食べ物屋や飲み屋にしか入らない翔太が、なんで今日に限ってつな八を選んだんだろうかと?ふと一瞬、ありさの脳裏を疑問が走ったが、今日がクリスマスイヴということを考えると、その疑問も彼女の頭の中からすぐに消えた。

結局、クリスマスイヴいうこともありかなり店が立て込んでいたために、ようやく店内のテーブル席に案内されたのは、二人が客の行列の中に並んでから三十分ほど経ってからだった。

テーブル席に着くや否や、かなり待たされてイライラしていたのか、いそいそと翔太は店員を大声で手招きして呼ぶと、天麩羅定職の上と生ビールのジョッキーを二人分ずつ頼んだ。

「こうして、二人であって食事をするのも、久しぶりだね・・・」

「そうね・・・」

「ところで、その後お母さんの病気はどう?」

「良くもならないし、悪くもならないってとこかな・・・」

クリスマスイヴのデートにもかかわらず、こんな陽気さのかけらもないもの侘しい話から、ふたりの会話は始まった。

そのうちに、店員が生ビールのジョッキーを運んで来ると、翔太は“やっと来たか”という表情で、店員の方を冷ややかな眼差しで見て、ちょっとムッとした表情を見せた。

そんな、いつもとはかなり違う翔太の苛立った態度を見ていて、急にありさは“きっと何かあるのでは・・・”という、ただ訳もなく不安に駆り立てられた。

実は、そんなありさの心配は的中していたのである。

これから、それが現実の出来事として、彼女に突き付けられるのであった。




 冨賀裕由紀

◎紹介コメント

僕が、冨賀さんと最初にお会いしたのは、僕や僕の友人がお世話になっているある知人を通してですが、ところが冨賀さんとお会いして分かったことは、二人にはもっと根深い共通の知人の人物がいたのです。その方は、朝日新聞の記者でもうお亡くなりになりましたが、本当の新聞記者としての魂と気骨を持った侍のような方でした。僕にとってその方との大きな思い出と言いますと、我が師のことが東京大学などの受験なんかにも出題されるという、あの朝日新聞の代名詞とも称される「天声人語」に掲載されたことです。やはり今でも冨賀さんとお話しすると、いつもついつい口に出てくるのがその方のことですが、冨賀さんの素晴らしさは仕事が縁のマスコミ人には珍しく、決してその方の思い出を忘れずに、今なお心の奥にしまって置いていることです。

◎プロフィール

職業:毎日映画社プロデューサー
出身校: 日本大学芸術学部
居住地: 神奈川県川崎市(複雑な関係)
血液型: O型
出身地: 東京都江戸川区
誕生日: 1956年5月23日
メールアドレス
tomiga@mainichieiga.co.jp



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Mail:
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下家 猪誠





 

 


~青春うたものがたりシリーズ2~幸せという名の不幸 1

2011-09-23 21:23:38 | 人・愛・夢・歌・宿命・運命・家族・社会

本日より新たにスタートする、~青春うたものがたり2~『幸せという名の不幸』は、あなたにとって、母と子の絆とは何なのか?あなたにとって、家族の存在とは何か?その人間(ひと)としての答えを一緒になって考えさせてくれる、“人間の生”というものが作り出す幸と不幸のヒューマニズムに溢れた作品です。また同時に、人の運命って一度狂ってしまうとこんなにもさまざまな束縛や、抑圧による非人間的状態に晒されてしまうのか?と思わなくならざるを得ないような、その人が持つ宿命の陽と陰とを関係を一人の女性の人生を通じて見せてくれる涙と感動の作品でもあります。

1_2企画 / 下家 猪誠 / 猪 寿
第1話/ 突然、母を襲った病魔
~狂い始めた私の人生時計~

こんな寂しい夜だから

Lost love 失恋したての こんな寂しい夜だから

少しくらいお酒を飲んで グチってもいいでしょう

こんな日くらい 意地悪な恋の神様だって 許してくれるでしょう

Broken heart 孤独な胸のうち 誰かに分かって欲しくて

仲のいい友達に電話を入れたけど 留守電コール
 
今日はクリスマスイブだもの こんな男と女が恋愛(こい)の魔法にかかって

夢の中を旅する夜に 家なんかにいるわけがないわよね

「あの娘は私と違って、モテるんだもの・・・」

化粧を落とす鏡の中の ah自分に自分で失恋話している

そんな姿が悲しくて ah勝手に涙が溢れてくる

Anyone is good It is good only tonight.

ああ誰か今夜だけでいいから 何も言わずにその温かい腕の中で眠らせて欲しい


小山ありさは、半年前まで品川区の上大崎にある外資系の一流の菓子メーカーJKに勤めるOLだった。

だが、半年前に母洋子が突然脳溢血で倒れて意識不明になり、下半身不随となって入院したのをきっかけに、洋子の病気の面倒を見るために、せっかく六大大学のひとつであるWを奨学金制度を利用して卒業し、五年間も務めた会社を辞める決心をした。

母の洋子や妹の舞、それに弟の大輔はありさからその話を聞き、彼女の行く末を心配して一応に反対はしたが、彼女の意思はガンとして固く変わることはなかった。
それには、彼女なりの理由があった。

それは、どんな理由でそうなったのかは、未だに一度もその真相について洋子に尋ねたことはないが、ありさが小学二年生のときに父と母は離婚した。

そのために、ずっとありさは子供のときから、洋子が女手ひとつで彼女たち三人の子供を育てるために、昼間は自宅がある和田掘り近くのスーパーのレジ係のパートをし、夜は笹塚にあるスナックでホステスをして働き、その苦労している姿を直に見ているからだった。

おまけに、洋子の帰宅が遅いときなどには、ありさが舞や大輔の食事を作ったり風呂に入れてあげたりするなどして、洋子の代わりに母親代わりになって世話してあげることも多かった。

おまけに、いくら育英資金(奨学金制度)を利用したとはいえ、あんなに貧しい生活の中で自分を大学にまで行かせてくれた洋子の思いやりに対して、ありさは洋子に母親とであるということと同時に、ひとりの尊敬する人間としても大きな恩恵を感じていた。

でも、誰かに“洋子さんはあなたの母親なのだから、そんなことは当たり前のことでしょう・・・”と言われれば、それは確かにそうだし間違いないことではあるが、ありさにとっては誰がどんなことを言ってどういう風に受け止めようが、そんなことは一切関係なかった。

それは、ありさ自身が子供のときから洋子の姿を、常にほかの誰よりも間近で見て来て、彼女が三人の子供を育てるためにどんなに苦労していたのか、その本当の姿のすべてを一番よく誰よりも知っているからだった。

ただ、ありさが会社を辞めて洋子の病気の面倒を見ることを決めたのは、そのことだけが、実際の理由ではなかった。

それは、やはり人間の運命には、幸運や悲運の巡り会わせがあるのだろうか。

ちょうど、洋子が脳溢血で倒れて入院したときには、大泉首相が運悪く“痛みをともなう改革”(医療補助費の削減と保険料の値上げ)を政治スローガンに掲げて、それを実行している真最中だった。

そのために、そのあおりをまともにくって、かなりこれまでより洋子の入院費の支払いが高くなることになった。

そのせいで、これまではありさの収入だけでなんとかやりくり出来ていた、洋子の入院費と家の方の生活費の負担のやりくりの目処を立てるのがかなり難しくなって来た。

「お母さん大丈夫よ。私が会社のほかにもうひとつアルバイトを探せば済むことだから・・・」

ありさはそう言って、洋子をこれまでどおりに病院に残って治療を続けるように説得したが、彼女はこれ以上ありさに迷惑がかかるのを心配し、ありさの話に耳を貸すこともなく強引に病院を退院して、家に戻って自宅療養することを決めたからだった。

洋子が家に戻って生活をすると決めた以上は、いくらありさから会社を辞める話を聞き、彼女の行く末を心配して一応に反対したとしても、姉妹弟の中で洋子の面倒を見るのは彼女しかいなかった。

と・・・言うのも、妹の舞は高校のときの同級生の城嶋大樹と“できちゃった婚”で二十歳で所帯を持って家を出て行き、かなり弟の大輔はありさに比べて学力が落ちていて、通常なら大学を受験するような学校の成績ではなかったが、洋子に今の学歴優先の社会体質を考えると男の子だということもあり、どうしても大学だけは出しておきたいという強い思いがあったからである。

そのために、ありさは弟の大輔が子供の頃から、何かにつけては飽きっぽい性格であることを知っていて、このときの洋子の話にはあまり乗り気ではなかったが、会社の仕事で疲れている上に、またこの件で彼女とゴチャゴチャと言い争いになって喧嘩になるのも面倒臭かったので、かなり大輔を洋子と二人で強引に口説いて、世間的に三流と呼ばれている五つの大学を受験させた。

そして、その中でようやく二校受かった中の一校の世田谷にあるK大学に、大輔が入学することが決まると、洋子との連盟の名前で政府関連の銀行で教育ローンを組んで金を借り、なんとかかんとか大輔の大学の入学金や学費などを工面して支払った。

だが結局、ありさの悪い予感は当たっていた。

ある日突然、K大学の事務局から連絡があり、大輔が大学に入学して三ヶ月ほど経った七月半ばあたり頃から、まったく大学に行っていないことが分かったのである。

大学からの連絡を受け、ありさが洋子が一緒になって怒り狂って、大輔に対してその真相を問い詰めると、毎朝大学に通っている振りをして家は出て行くものの、その途中で高校時代の悪友たちと合同したり、彼女と会ったりして、新宿の歌舞伎町や渋谷のセンター街などで遊んで時間を潰し、大学の授業が終わる頃を見計らって帰宅していることが分かった。

だが、大輔はまた彼は彼で逆切れして、ありさや洋子に向かって今回の責任のすべては、無理に嫌がる彼を大学に行かせるようにし向けた、二人にあると食って掛って来た。

もうそうなると、三者三様に意見が食い違うようになり、家族特有の親子喧嘩にと広がっていった。

そして結局その結果、せっかくありさと洋子が苦労して工面してつくった入学金などは何の意味もなくなり、大輔は大学を辞める代わりに家を出て行き、彼女の家に居候させてもらいながら、自分で職探しをして自活することになった。

おそらく、その重圧や心労からだろう。

洋子が、突然脳溢血で倒れて意識不明に陥り、救急車で新宿の西口にある帝都病院に運ばれたのは、大輔が家を出てから三日後のことだった。

幸い、偶然にもその日は会社の創立記念日でありさが休みだったために、洋子が脳溢血で倒れた際に、彼女がその場にいて救急車を呼んだり、病院での応急処置を受けたりするのが早かったために、なんとか命だけは取り留めることが出来た。

しかし、洋子は脳溢血で倒れたせいで、まともに動かせるのは右手だけになり、左手や言葉は多少動かせたりしゃべれたりはしたが、まったく下半身は麻痺した状態になった。

そして、その日を境に左手を動かしたり、言葉がしゃべれたりなるようにするためのリハビリはもちろんだが、洋子の車椅子生活の人生が始まった。

ただ、いくら自分の一番大切な母親である洋子が、脳溢血で入院し車椅子の生活になったとはいえ、ありさも会社の仕事があったり家事があったりする以上、いつでもそうそう洋子の傍にだけ付いている訳にはいかなかった。

そのために、かなり生活費のやりくりに苦労するようにはなったが、病院の看護師とは別にありさがいない間に洋子の面倒を見てくれる、女性ヘルパーを病院に紹介してもらい一人雇った。

洋子の入院費に加えて、女性ヘルパー雇ったことや大輔の教育ローンの返済などでかなりの費用が嵩み、とてもありさ一人のOLの稼ぎだけでやっていくのが不可能になったために、ありさは洋子と相談して杉並区の大宮1丁目の和田堀り公園近くにある自宅を売却して、方南町の駅から歩いて五分ほどの、神田川沿いにあるアパートに引っ越すことにした。

この時点の二人のやり取り(会話)は、まだ入院したばかりで洋子がよく口が聞けなかったので、ありさが便箋に書いた文章の内容を洋子が読んで、彼女が首を上下に振って答えるというものだった。

この家は、洋子がありさたち三人の子供を育てながら、昼夜働いてやっと手に入れたマイホームだけに、実際には洋子自身はかなりの思い入れがあるはずなのに、ありさが自分の力ではどうしようもなくってこの話を持ち出したときには、おそらく母親としてこれから苦労を掛ける、わが子へ対する思いやりからだろう・・・何ひとつ文句も言わずににニッコリと笑顔を見せてあっさりと承知してくれた。

それだけに、ありさは複雑な心境にさせられた。

そして思わず、洋子の胸に顔をうずめて大泣きをした。

そのありさの泣き声の大きさには、同室で入院しているほかの患者も驚くほどだった。

ただ、さすがに、きっと洋子だけは「自分のせいでこの子にこんなに苦労を掛けてしまって・・・」と、いま自分の胸の中で大泣きしているそんな我が子の姿を見て、きっと不憫に思ったのだろう。

ありさが気付いた時には、唯一使える右手で彼女の躰を、しっかりと抱きしめていた。

洋子の許しを得て自宅を売却できるようになったおかげで、これまでの息苦しい生活環境から解放されたこともあり、かなりありさもつい数日まで抱えていた様々な問題や悩みから開放され、多少なりとも心にも余裕が持てるようになった。

だが、ありさにはもうひとつ結論を出さなければいけない、大きな問題が残っていた。


それは、大学時代から同じ演劇部に所属し交際をしている、ひとつ年上の櫻井翔太にプロポーズされたことに対して、どうするかの答えを出すことだった。






   いわい れい

◎紹介コメント

当初は正直に言うと、本日より新たにスタートする、~青春うたものがたり2~『幸せという名の不幸』第1回目のゲストについ
て、誰を迎えるべきか?について悩んでいました。ところが、“いわいれいさん”のプロフィールを拝見したら、なんと我が師と僕の人生の出発点と言っても過言ではない新宿にお住まいと同時に、僕が敬愛している「マザー・テレサ」を尊敬する人に掲げているのをではないですか。その2つの文字を目にしたとたん、「あっ!もうこの人しかないな・・・・・」と思いました。れいさんとは、ほとんど正直に言ってお話ししたことはないですが、こんな美人で大勢の方に好かれている方が、六本木や銀座ではなく新宿に住んでいるというのもひとつのエピソードとして面白いですね。


◎プロフィール

いわい れい (Shaoling Jian)
居住地: 東京都新宿区(市ヶ谷駅の近くに居住)
言語: 中国語、日本語
誕生日: 1978年4月3日
ウェイブサイト
http://ameblo.jp/iwai-ray/ いわい れいの目指せ美人道
メールアドレス
iwai-ray@beauty.name



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下家 猪誠









~浪花の夢~笑売人1

2011-09-18 22:11:30 | 人・愛・夢・歌・宿命・運命・家族・社会

日より、石坂まさを著による特別企画として、石坂まさをと深い親交があった、吉本興業の会長故林裕章さん、その義父であり現在の吉本興業の礎をつくった、林正之助さんの二人の思い出を綴った手記作品『~浪花の夢~笑売人』を、3回にわたって連載します。


浪花の夢~ 笑売人

著 / 石坂まさを
企画 / 下家 猪誠

♪銭が仇の世の中だろと 俺は浪花の夢を売る・・・・・

一月三日は、林裕章さんの命日である。

平成十六年八月頃、私の病気を見舞いに来てくれて、その半年後に裕章さんの方が先に、あの世に行ってしまったのだ。

裕章さんは麻雀友達であるし、スナックなどに一緒に行くと「津軽平野」と言う歌を歌ってくれた。

周囲の人たちに言わせると、私をいつもいとおしそうな目で見て、弟のように可愛がってくれた。

とはいっても、私は昭和十六年生まれで、裕章さんは昭和十七年生まれ。

ひとつ私よりも年下だった。

その裕章さんが私に紹介してくれたのが、彼の義理の父、林正之助さんであった。

林正之助は、明治三十二年生まれ。吉本興業とのかかわりは十八歳のとき、姉せいが、夫の吉本吉兵衛と始めた寄席の経営の手伝いから始まる。

義兄の死後、庄之助が姉の力となり、吉本興業を守り立てたが、正式に代表になったのは、昭和二十三年のことだった。

その後、平成三年、九十二歳でこの世を去るまで、吉本興業を支えつづけた人である。

今のお笑いタレントの多くが、吉本興業に所属しているが、昔はもの凄かった。

花菱アチャコや横山エンタツら国民的芸人を抱え、笑いといえば吉本興業と言われるほどに、国中に笑いを売ったプロダクションである。

笑いのほかにも、意外なところでは広沢虎蔵や美空ひばりが所属していたこともあり、名実ともに芸能プロダクションの雄だった。

正之助さんは私が大阪に行くと、会長室に靴屋を呼び、靴を三十足あまり並べて、「石坂先生、女はトイレまでは一緒に行かないが、靴はトイレまでお供をしてくれる。どうぞ一足お土産に持っていらっしゃい」と、靴をプレゼントしてくれた。

それから、ある日は、腹がすいたから寿司屋に行こうと、法善寺横町の並びにあるすし屋に誘ってくれた。すると、しばらくして藤山寛美さんが、『会長、お元気ですか?』と顔を出した。

もちろんそこには、舞台で見るアホ面はなかった。

ちなみに、寛美さんが会長の誕生日にプレゼントしたものに、畳半畳の「笑いを売る 藤山寛美」と書いた書がある。

それを見て私が書いたのが、―♪畳半畳に笑いを売れば笑売繁盛のはじまりや・・・・・―という歌である。

中村美津子さんが歌ってくれた。


▲この手記を書くモチーフになっているのが、故林正之助会長をテーマにした関西テレビで放映された「笑売人」というドラマです。

「時代を駆け抜けた風たちより」



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下家 猪誠