おとぎのお家と青い鳥

本ブログでは、主に人間が本来持つべき愛や優しさ、温もり、友情、勇気などをエンターテイメントの世界を通じて訴えていきます。

~あなたの運命を変える~「人生のターニングポイント学習法!!」7

2008-09-04 19:46:58 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望
音譜今日から、7日に渡って人間(ひと)としての『生きる力 を学ぶための特別企画としまして、人間が生きていく上でその人自身の将来の運命を決める、人生の“ターニングポイント”(人生の運命の分岐点)について、さまざまな作品を通じて、それを探し出すためのヒントになる決断部分マスターするための学習方法と、その見極め方(決断時)の参考例を掲載します。もし、あなたがこの人生の“ターニングポイント”の見極め方を本当にマスターすることが出来たとしたら、きっとあなたは自分の将来において、他の人たちに比べ数倍の高い確率で「幸運の運命」を手に入れることが可能になり、周囲の人が羨ましがるような「幸せな人生」が送れる大きな可能性を得ることになるでしょう。

恋の矢今回は、普通の今流行の女子高校生として芸能界入りを目指す、「Super SantaClaus シンデレラ」が、どんな女子高校生だったか?おさらいをしてみましょう。そして、それと同時に、「Super SantaClaus シンデレラ」の新しく修正した作品ストーリーを使って、人生の “ターニングポイント”(分岐点)を、探し出し学習をしてみます。すべての人にとって自分の人生の“ターニングポイント”を知るための学習力をマスターすることは、これからの自分がどんな運命を辿るのか?人生の決断時において、大いに役立つことだと思いますので、ここでしっかりとその学習力を身に付けるための技術をマスターしてくださいね。




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道9

「Super Santa Clausシンデレラ」の誕生編

~ ほたる 4 ~


三人は、ララちゃんのふたつ目の願いごとである、再び“ほたる”やめだかたちが村の川や沼に住めるようにすることを神父さんに相談をするために、ララちゃんたちが住んでいる村近くの町の丘の上にある教会に向かいました。

三人が教会に行くと、ザビエル神父が快く出迎えてくれました。

ただ、さすがに当初はザビエル神父も、シンデレラとルドルフおじさんの姿を見た時は、言葉に詰まって一瞬たじろぐほど驚いていました。

「か、風の噂には聞いていましたが、ほ、本当にSuper SantaClausっていたのですね・・・」

「普段は、普通の女子高校生ですけどね・・・」

「こ、こら、シンデレラよけいなことを言うでない・・・」

「いやいや、いいですよ、ルドルフさんそんなにお気を使わなくて・・・」

「噂でしか聞いたことがない方々に、こうして夢じゃなく実際にお目にかかれて、とても光栄に思っていますから・・・」

――いくら、シンデレラが全天界の神王キングゼウスの使者であり、孫娘だと言っても、ルドルフおじさんを心配させるほどおしゃべりが過ぎるのは、やはり十七歳の今どきの女子高校生だからですかね。――

「実は神父さん、今日お邪魔したのは・・・」

ドルフおじさんが、ララちゃんの願いごとの事情を分かりやすく詳しく説明し、きちんと彼女をみんなと一緒に天の国行きの汽車に乗せてあげたいことを伝えると、きちんと日曜日のたびに休むことなく、いつも教会にミサに通っていたララちゃんのことを良く知っていたザビエル神父は、その手伝いをすることを快く引き受けてくれました。

「それに、全天界の神王キングゼウス様の使者みなさんに、こうしてわざわざお越しいただいているのに、神に使える身としそれをお断りするわけにはいけませんからね・・・」

翌日から、さっそくザビエル神父は近隣の町や村を訪ねては集会を開き、ララちゃんの住んでいる村の川や沼で、再びほたるやめだかたちが見られるように協力もらうように、その集会に出席した地域の人たちみんなに呼び掛けてくれました。

その甲斐があり、だんだんとララちゃんの住んでいた村を中心に人たちや、近隣の町や村の人たちの間で、これまでリゾート開発の名の下に必要以上に森林伐採を行っていた企業や、彼女の村に建てられたホテルが商売を優先して身勝手に捨てる生ゴミや洗剤、油などのせいで、川や沼の水質が汚染されて“ほたる”やめだかたちが住めなくなったことに対する大規模な反対運動が起り始めたために、むやみに商売のためだけに身勝手な行動をしていた企業やホテルも、必要以上に森林伐採を行ったり水質汚染の原因になる生ゴミなどを川や沼に捨てたりすることを、自ら自粛しその改善に取り組まざるようにしなければならないことを余儀なくされました。




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ブドゥー人形


上記のブドゥー人形の画像は、(株)Strapya Nextのご協力で掲載させていただいています。

(株)Strapya Next URL
http://item.rakuten.co.jp/keitai/2-hapdll/

※ブドゥー人形発祥の地は、タイ王国の田園地帯、イサーン地方だといわれています。ブドゥー人形は、他の人形に比べて単に毛糸を巻いて作った質素なものですが、ひとつひとつが手作りですべての人形の表情が違うのが特徴だと言われ、昔からタイ王国では“願い事を叶えてくれる人形”だと、可愛がられ親しまれています。また現在、日本を始めとする多くの国々で、幸運や金運、恋愛運などを呼ぶ人形だとして人気を集めています。



ララちゃんが、そのことを自分の目で確かめて、天の国行きの汽車に乗ることを決めたのは、それから三日後のことでした。

ちょうどその時、ララちゃんの願いが叶ったのを祝福でもしてあげるかのように、町の丘の上にある教会では、クリスマスを祝うための祝賀のときと同じように、大きな鐘の音が青空に向かって鳴り響いていました。



※今回の作品の中で、“シンデレラ”と“ルドルフおじさん”が、ララちゃんのふたつ目の願いごとである、再び“ほたる”やめだかたちが、ララちゃんの住んでいる村の川や沼に住めるようにするたに取った行動の“ターニングポイント”は、すべてが「赤い文字」書かれている部分です。このシンデレラたちの行動を見ていますと、いかに彼女たちの行動が的確で、この事件を解決するためのターニングポイントを押さえているかということが、よく分かりますよね。




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~あなたの運命を変える~「人生のターニングポイント学習法!!」6

2008-09-04 19:46:30 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望
音譜今日から、7日に渡って『生きる力 を学ぶための特別企画としまして、人間(ひと)が生きていく上でその人自身の将来の運命を決める、人生の“ターニングポイント”(人生の運命の分岐点)について、さまざまな作品を通じて、それを探し出すためのヒントになる決断部分マスターするための学習方法と、その見極め方(決断時)の参考例を掲載します。もし、あなたがこの人生の“ターニングポイント”の見極め方を本当にマスターすることが出来たとしたら、きっとあなたは自分の将来において、他の人たちに比べ数倍の高い確率で「幸運の運命」を手に入れることが可能になり、周囲の人が羨ましがるような「幸せな人生」が送れる大きな可能性を得ることになるでしょう。


Jpg3 ~青春うたものがたりシリーズ1 ~「風のある町」

第6話 / 愛の命を賭けた訴え
~私にはもう時間がないの・・・~


「風のある町」


風のある町を君と歩いたね 風のある町で君と話したね

(いつでも2人一緒に・・・Woo ooo)

今では何もかもが遠い日々の 記憶にかすむ出来事だけど

僕の生活(くらし)の中では まるで時計が止まったように

あの青春(ひ)の君が今でも なにひとつ色褪せもせず美しいままで生きている

歳をとったせいだろうか 意味もない自分探しをするのは

もう帰れないからだろうか あのときめきの青春(じだい)の瞬間(なか)には

心地よい陽だまりの中の 眠りから目覚めたら

何の輝きもときめきもない 時の流れに置きざりにされた僕がいた



「アメージンググレイス」


アメージンググレイス・・・

もう泣くのはやめて 愛しき我が子よ

眠りなさい この聖母(はは)み胸で

その涙と 傷の痛みが

心やすらぎ 消えるまで

天子の子守唄 聞きながら


~前回のあらすじ~


――ピンポーン――

大輝の突然の訪問に、さすがに当初は百合子も驚いていたが、彼と愛との真実の関係を一番良く知っている彼女は、最終的には彼の訪問を快く出迎えてくれた。

「ところで亀梨さん、突然連絡もなしに訪ねてくれるなんて、何かあったのですか?」

百合子は、大輝の突然の訪問を不思議がりそう尋ねた。

「実は、今日僕がお邪魔したのは、愛ちゃんの望みを叶えてあげたかったからです・・・」

「愛の望み?」

『そうです。お母さんも一緒に病院に行ったときに聞いていたでしょう。愛ちゃんが僕に対して、「大空を飛んでみたい・・・」と話していたことを・・・』

大輝が考えた、その愛の望みを叶えてあげる方法とは、スカイダイビングで彼女に羽のついた天使のように、大空を自由に飛ばせることだった。

百合子は、最終的には大輝の話の内容を理解はしてくれたものの、愛の母親として彼女の病気のことを考えると、まったく彼の話に賛成することはなかった。

だが大輝は、今ここで自分が引き下がってしまうと愛との約束を守るどころか、彼女が生きている間に彼女の望みを叶えてあげることは、とても無理だという思いが彼の心の中に強くあったために、その思いを涙ながらに百合子に土下座して何とか考え直してくれるように訴えた。

その甲斐があり、しぶしぶではあったが百合子は愛の父親である泰三や、愛の主治医である堂本誠と交渉してくれることを承諾してくれた。


百合子が、泰三に連絡を取り大輝から聞いた話を伝えると、当初は彼女の話している姿を見ていると、かなり泰三が彼女に対して怒りをぶつけている様子が判断できたが、どうやら最後は彼女に説得されてしぶしぶ承諾したようで、愛が入院している慶都病院の一階の受付の前で、彼の仕事が終わる七時に待ち合わせることになった。

そして、百合子は同時に緊急に相談したいことがあるといって、愛の主治医である堂本誠にも同席してもらうことの約束を取り付けてくれた。

大輝と百合子が、タクシーで病院に向かい慶都病院に到着すると、約束の一階の受付の前で泰三が大柄な躰をイラつかせるように揺り動かしながら、彼の運転手の河本輝夫と一緒に待っていた。

「お前たち、遅いじゃないか・・・」

「すみません・・・」

まだ約束の時間の七時まで十五分も前だというのに、相変わらず泰三は横柄な態度で百合子に文句を言っていたが、今回の大輝の計画には相当腹を立てているようで、彼が挨拶をしても彼とは一切口を聞こうとはしなかった。

愛が入院している病室の八階の受付を尋ねると、百合子が連絡を入れていたこともあり、彼女の主治医である堂本誠が待っていてくれて、診察室と隣接した場所にある入院患者や、その家族への病状の説明に使われるカンファレンス室を、今回の相談ごとのために用意してくれていた。

堂本は、百合子の話を聞いたとたん「そんなこと、本気で言っていっているのですか?」と言い、あっさりと百合子の話を断った。

そして、二人の会話をすぐその隣で聞いていた泰三が、「こんな馬鹿げたことで、俺まで呼び出すなんて・・・」と吐き捨てるように言った。

「せ、先生なんとかお願いできませんか?愛ちゃんが僕に最後に託した希望なのです・・・」

「亀梨くん、君のようなド素人が何を言うのかね。第一、家族でもなんでもない君が、先生にそんなことを話すなんて大変失礼ことなのだぞ。」

「まあ、まあ、そう怒らずに落ち着いてください。彼も彼なりに愛ちゃんのことを思って一生懸命やったことでしょうから・・・」

さすがの泰三も、愛の主治医である堂本には頭があがらないみたいで、ブツブツ口ごもって愚痴は零していたものの、大輝に対してそれ以上何かを言うことは、ひと言もなかった。

と同時に――これでもう愛の、「大空を飛んでみたい・・・」という望みは、すべて絶たれてしまった。

「せっかくお見えになったのだから、ついでに愛ちゃんの病室を寄って行ったらどうですか?」

堂本の勧めもあって、もう通常なら面会の時間はとっくに過ぎていたが、堂本の同行のもと三人は、十二階にある愛の病室に立ち寄ることにした。

大輝たちが愛の病室を訪ねると、彼女は病気の治療のための点滴を受けている最中だったが、すぐに大輝の姿に気がつくと満面の笑みを浮かべながら、点滴用のスタンドを片方の空いている左手で押しながら、彼の方に向かって近寄って来た。

そして、大輝に分かるようにひと言ひと言ずつ大きく口を開いて、「今日は、何をしに来たの?」尋ねた。

大輝は、愛のその言葉の意味を理解すると、ショルダーバッグの中から以前に彼女と話したときと同じように大学ノートと取り出し、彼女の問い掛けに対して返事を書いた。

――今日は、君がこの前来たときに僕に話していた「大空を飛んでみたい・・・」という、君の望みを叶えてあげたくて、君のお父さんやお母さんそれに主治医の堂本先生にお願いに来たんだけど、どうやら君の病気(体調)のことを考えると、とても難しいという結論になってしまって。だから、ごめんね。君の望みを叶えてあげられなくなって・・・――

その大輝が書いた言葉を目にした瞬間、愛は泣き狂ったように点滴用の器具を自らすべて取り外して床に投げ捨てると、無菌室の扉を勝手に開けて四人がいる病室の廊下に飛び出して来た。

そして、百合子や主治医の堂本の制することにも耳も貸さずに、自ら四人の足元に跪いて床に顔を押し付け、大粒の涙をボロボロ零しながら大声で訴えた。

「お願い、私にはもう時間がないの・・・」

「それは、本当はパパやママそうだけど、先生だって知っていることでしょう・・・」

「だから、私は自分の命と引き換えにしても、大輝との残こされた時間を少しでも大切にしたいし、自分の望みを叶えたいの・・・」

「ねえ、パパもママも先生も、私のそんな気持ちを分かってくれてもいいでしょう・・・」


さすがに、愛のその行動をみたら、どんなに頑固な泰三であろうと、心を動かされずにはいられなかった。


もちろん、それは百合子も主治医の堂本もその思いは同じだった。



※今回の作品~青春うたものがたりシリーズ1~「風のある町」の中で、私がつけたそれぞれの人生の“ターニングポイント”は、「緑の文字」の部分です。ぜひ、みなさんもこの作品を読んでみて、自分だったらどの部分を自分の人生ターニングポイントにするか?チェックしてみてください。ただし、このものに対しては、誰が選んだものが正解だとか不正解だとかという決まった答えはありませんが、精神心理学の専門家の話によりますと、その選び方ひとつで、みなさんのこれからの人生の運命が、幸せになるのか不幸になるのかの、そのふたつのどちらかかの運命の道に、間違いなく分かれて行くことだけは確かなことのようです。




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~あなたの運命を変える~「人生のターニングポイント学習法!!」5

2008-09-04 19:46:07 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望
音譜今日から、7日に渡って人間(ひと)としての『生きる力 を学ぶための特別企画としまして、人間が生きていく上でその人自身の将来の運命を決める、人生の“ターニングポイント”(人生の運命の分岐点)について、さまざまな作品を通じて、それを探し出すためのヒントになる決断部分マスターするための学習方法と、その見極め方(決断時)の参考例を掲載します。もし、あなたがこの人生の“ターニングポイント”の見極め方を本当にマスターすることが出来たとしたら、きっとあなたは自分の将来において、他の人たちに比べ数倍の高い確率で「幸運の運命」を手に入れることが可能になり、周囲の人が羨ましがるような「幸せな人生」が送れる大きな可能性を得ることになるでしょう。


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「リトルサンタ」
~永遠のきずな~

(8)

♪Silent night holy night

さあ眠りなさい み聖母(はは)の胸で

愛しき我が子よ その悲しみが

その涙が 消えるまで

パパとママの墓石に寄り添いながら、雪に埋もれて死んでいるハルの遺体が発見されたのは、クリスマスが終わった翌日の朝でした。

クリスマスイブに家を飛び出したまま、とうとうクリスマスの当日になっても家に帰って来ない、彼女のことを心配したおばあさんが、町の警察に捜索願を出していたのです。

ハルの遺体が発見されたとき、その凍えきった体とは正反対に彼女の表情は、とても穏やかで笑っているように見えたそうです。

ただ彼女自身は、大きな勘違いをしていました。

彼女が歩き疲れて眠っていたのは、教会ではなく町外れの高台にある、両親が眠る墓地だったのです。

そして、彼女は冷たい雪が降り積もる中で、永遠の眠りに就きながら幻想を見ていたのです。

そう・・・ハルが出会ったパパとママも、そしておばあさんも、すべて天の国に旅立つ彼女のためにティノが用意してくれた、最後のクリスマスプレゼントだったのです。

おばあさんは、自分の体が不自由で車椅子生活だったために、どんなに自分がそれを望んでも、警察関係者や近所の人たちに説得されて、ハルの遺体発見現場には行くことが出来ませんでした。

でも、ハルの棺が警察の車で運ばれて家に戻ってくると、雪水の泥で汚れた彼女の体をきれいに拭いてあげ、彼女が大好きだった苺の模様がいっぱい付いた、誕生会用のドレスに着替えをさせてあげました。

また、彼女が今年のクリスマスプレゼントに欲しがっていたウォルドルフの人形やテディーベアーの縫いぐるみを棺の中に入れてあげたりして、彼女の天の国への旅立ちの身支度を徹夜でしてあげた。

そして、その夜は彼女との最後の時間を、一緒に暮らした五年間の思い出を、ひとつひとつ辿りながら一緒に夜を明かしました。

「ハル・・・」

「お前の本心も分かってあげずに、まだ子供のお前にあんなに辛いことを言って死なせてしまった、おばあさんを許してね・・・」


ただやはり、おばあさんの気持ちの中にはハルが死んだのは、彼女を無理に自分が児童養護施設に預けようとしたからだという強い心残りがあり、その後悔の苦しい気持ちが、一晩中おばあさんを悲しませた。




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(9)

もういちど君が 笑ってくれないだろうか

もう一度君が 歌ってくれないだろうか

その汚れなき瞳と その可愛い唇で

今度生まれ変わっても また君に会いたい

この同じ場所で この同じ姿のまま

どんなに悲しいときも どんなに嬉しいときも

いつでも君は 傍にいて

私に生きる 希望をくれたから

私に生きる 幸せをくれたから

その翌日、ハルの遺体は近所の人たちに手によって町に教会に運ばれました。

そして、新婦のミサや聖歌の合唱、献花などの一連の葬送の儀式が終わると、両親が眠る墓地に一緒に埋葬されました。

ただおばあさんは、その埋葬の際に彼女に伝えようと思っていた”さようなら”の言葉を言うのを途中で止めることにしました。

それは、突然おばあさんの気持ちの中に、彼女と過ごした五年間の思い出を、いつまでも葬りたくないという思いが込み上げて来たからでした。

やがて、季節はまるで春、夏、秋、冬と時間の流れを飛び越えるかのように目まぐるしく巡っていき、いつのまにかまた新しい年のクリスマスイブを迎えていました。

今年もハルとおばあさんが住んでいる町の子供たちにクリスマスプレゼントを届けにやって来たティノが、おばあさんのことが気になって家の中をのぞくと・・・・・

そこにはもう、去年までのクリスマスイブのようにハルの姿はありませんでしたが、彼女の分までクリスマスイブの手料理を汗だくになってつくり、彼女が大好きだったウォルドルフ人形と一緒に、二人分のクリスマスを祝うおばあさんの姿がありました。

それを見て、ティノがひと言つぶやきました。

「おばあさん、ハルちゃんのぶんまで、いつまでもお元気で・・・」


――おわり――


※上記のウォルドルフ人形の画像は、「絵本の店・星の子」のご好意で使用させていただいています。
「絵本の店・星の子」ホームページ

http://homepage2.nifty.com/hoshinoko/


※ウォルドルフ人形は、ルドルフ・シュタイナーさん(クロアチア出身)のユニークな教育思想を背景に生まれた、人形とだと言われています。その後、スェーデンのカーリン・ノイシュツさんが「LEX MED MJUKA DOCKOR/ぬいぐるみ人形とあそぼう」を著述してから、世界各国で広く一般にも知られるようになりました。


※今回の作品~青春うたものがたりシリーズ2~「リトルサンタ」の中で、私がつけたそれぞれの人生の“ターニングポイント”は、「緑の文字」の部分です。ぜひ、みなさんもこの作品を読んでみて、自分だったらどの部分を自分の人生ターニングポイントにするか?チェックしてみてください。ただし、このものに対しては、誰が選んだものが正解だとか不正解だとかという決まった答えはありませんが、精神心理学の専門家の話によりますと、その選び方ひとつで、みなさんのこれからの人生の運命が、幸せになるのか不幸になるのかの、そのふたつのどちらかかの運命の道に、間違いなく分かれて行くことだけは確かなことのようです。




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~あなたの運命を変える~「人生のターニングポイント学習法!!」4

2008-09-04 19:46:05 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望
音譜今日から、7日に渡って人間(ひと)としての『生きる力 を学ぶための特別企画としまして、人間が生きていく上でその人自身の将来の運命を決める、人生の“ターニングポイント”(人生の運命の分岐点)について、さまざまな作品を通じて、それを探し出すためのヒントになる決断部分マスターするための学習方法と、その見極め方(決断時)の参考例を掲載します。もし、あなたがこの人生の“ターニングポイント”の見極め方を本当にマスターすることが出来たとしたら、きっとあなたは自分の将来において、他の人たちに比べ数倍の高い確率で「幸運の運命」を手に入れることが可能になり、周囲の人が羨ましがるような「幸せな人生」が送れる大きな可能性を得ることになるでしょう。


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「Cafe物語」
~第2話 / 家族その1~


「私のCafeにおいでよ」

Cafeにおいでよ 私のCafeに

みんなで笑顔で 話そう今夜も

Come on Come on Happy Happy

Until a morning tonight

私のCafeは出会いとやすらぎの 心のユートピア

「お客様 今夜のご注文は?」

友達ココア?おしゃべりミックスピザ?それとも運気上昇オムライス

他にも足跡ケーキBBSナポリタンなど 美味しいメニューが盛りだくさん

Cafeにおいでよ 私のCafeに

私のCafeは年中無休の ウェブログ喫茶

come on come on happy happy

a heart and hearts gather an open space of the happiness

私のCafeは年中無休の 至福のユートピア

私のCafeは年中無休の 24時間営業中

come on come on happy happy

Everybody is your friend  Brilliant smiling face

私のCafeは年中無休の 愛のパラダイス

「お客様、どうぞ明日もお越しをお待ちしています・・・」


僕(滝沢翔太)を、小山陽子とのネットカフェでの擬似恋愛ショック悲しみのどん底から救ってくれたのが、吉野さくらという大阪に住んでいる、一人の女性から届いたミニメールだった。

さくらの話によると、彼女は以前からちょくちょくとネットカフェの“おとぎのお家”に出入りしていて、僕のことを気に掛けていてくれいたらしい。

それは、何故かと言うと、さくらの目にはそれが真実の話かどうかは別にして、小山陽子がネットカフェで遊びなれている風に見えて、僕の手ぬるいさもすると知恵遅れの人のような会話(タイピング)や、センスの悪いファッションに嫌気がさし、いずれしても僕が彼女に振られるのは、彼女の都合による時間の問題だと思っていたからからだという。

そんな訳で、吉野さくらとの出会いは、一通のミニメールから始まった予想もしていなかった出会いだったが、何故か?不思議に気が合いいつの間にか気が付くと、まるで現実の家族でもあるかのように、彼女と会って話をする時には「ただいま・・・」「おかえり・・・」というのが、最初の挨拶の言葉になっていた。

それは何故か?さくらが若い女の子の割には、常に「家族って、すごく大事なものだよね・・・」って、口癖のように言っていたからだった。

もちろん、その間さくら以外の多くの人たち(ネットカフェの客)とも出会ったが、一番さくら話している時がホッとして、本当に現実の家族のもと帰った時のように気が楽になった。

そして、最初にそのやり方を教えてもらって、チャットを初体験したのも彼女だった。

もちろん、それと同時に、さくらとの出会いは常に僕の傷ついた心をやさしく和ませてくれて、小山陽子に失恋したことなんかすぐに忘れさせてくれた。

その時、僕がさくらのために書き、彼女に送った詩が下記の内容だ。


家族

「ただいま」

「おかえり」

こんな単調な言葉に 母の愛を知らずに育った分だけ

誰よりも強く憧れた 苦悩と孤独の日々の少年時代

ある日学校で 母の絵を描いたとき

顔が分からずに 真っ黒く塗りつぶした少年時代

あれから時間は移ろい 君とめぐり逢い

生まれた年も月日も違う 名前も顔も知らない二人が

何時からだっただろうか 一緒に暮らし始めて

自然に“家族”と 呼び合うようになったのは

世界の偉大な人の運命に比べたら 僕らの人生設計なんて

望遠鏡で見ても見えないような ちっぽけなものだけど

家族”という名の 限りない愛の魔法の力で 

世界で一番大きな夢に いつかはチャレンジしてみたいねと

二人で冗談交じりに語った 君が花嫁衣裳を着た日

だけどもうどうでもいいんだよ そんな届かない夢のことなんか

この両手を伸ばせばすぐ届く場所に 僕が少年時代に描いていた家族の夢を

君が桜の花が咲く季節に 新しい生命と一緒に運んで来てくれたから

「パパとママ」という 大きな未来の夢を


ただ、さくらと付き合うようになって半年が経った頃、彼女から意外なことを告白された。

それは、さくらが今集団訴訟問題で今テレビのニュースなどで話題になっている、薬害によるC型肝炎(HCV)の血友病患者であることだった。

「えっ?!C型肝炎血友病患者・・・」


その時は、まだ正直に言うと僕自身C型肝炎についての知識がほとんどなかったために、それがまさか最終的にさくらの命までを奪うような重い症状(肝硬変や肝がん)を引き起こす、進行性のあるがん細胞のように人間の肉体を蝕む有害なウィルス性の病気だとは少しも思っていなかった。


※今回の作品~青春うたものがたりシリーズ4~「Cafe物語」の中で、私がつけたそれぞれの人生の“ターニングポイント”は、「緑の文字」の部分です。ぜひ、みなさんもこの作品を読んでみて、自分だったらどの部分を自分の人生のターニングポイントにするか?チェックしてみてください。ただし、このものに対しては、誰が選んだものが正解だとか不正解だとかという決まった答えはありませんが、精神心理学の専門家の話によりますと、その選び方ひとつで、みなさんのこれからの人生の運命が、幸せになるのか不幸になるのかの、そのふたつのどちらかかの運命の道に、間違いなく分かれて行くことだけは確かなことのようです。




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~あなたの運命を変える~「人生のターニングポイント学習法!!」3

2008-09-04 19:45:37 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望
音譜今日から、7日に渡って『生きる力 を学ぶための特別企画としまして、人間(ひと)が生きていく上でその人自身の将来の運命を決める、人生の“ターニングポイント”(人生の運命の分岐点)について、さまざまな作品を通じて、それを探し出すためのヒントになる決断部分マスターするための学習方法と、その見極め方(決断時)の参考例を掲載します。もし、あなたがこの人生の“ターニングポイント”の見極め方を本当にマスターすることが出来たとしたら、きっとあなたは自分の将来において、他の人たちに比べ数倍の高い確率で「幸運の運命」を手に入れることが可能になり、周囲の人が羨ましがるような「幸せな人生」が送れる大きな可能性を得ることになるでしょう。


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「Cafe物語」
~第1話 / 不思議なコーヒーショップ~


「私のCafeにおいでよ」

Cafeにおいでよ 私のCafeに

みんなで楽しく 遊ぼう今日も

come on come on happy happy

Please forget time 
 
私のCafeは出会いと娯楽の 夢のパラダイス

「お客様 今日のご注文は?」

夢ホット?恋愛紅茶? それとも悩み解消パフェ?

他にもサークルコーラチャットサンドなど 色んなメニュー揃えています・・・

Cafeにおいでよ 私のCafeに

私のCafeは年中無休の 24時間営業中

come on come on happy happy

Everybody is your friend  Brilliant smiling face

私のCafeは年中無休の 愛のパラダイス


「なんで?入店したんだろうか?!」

もう、七、八年も前の話だが、僕(滝沢翔太)が何の気なしに入ったコーヒーショップは、通常のホットやカプチーノなどのメニューがまったく置いていない、不思議なコーヒーショップだった。

そして、その代わりに出されたメニューに載っていたのが、初体験者の僕にとってはまったく意味不明な、BBSとかチャットとかミニメールとかの、不可思議な内容のメニューばかりだった。

それもそのはず、このコーヒーショップ“おとぎのお家”は、コンピュータの中に創られたバーチャル(仮想現実)のネットカフェだったからである。

もう時間が経ちすぎていて、その“おとぎのお家”に入ったきっかけについてはハッキリとは覚えていないが、たまたま吉祥寺の駅の近くを歩いていたら、きれいなお姉さんがティッシュかなんかを配っていて、それと一緒に手渡されたチラシの中にこの店のことが書かれていて、単に面白そうだったから入店したような気がする。


それにしても、BBSって、ャットって、ミニメールって、一体なんなのだろう?

それが、僕の正直に言って、ネットカフェに対する第一印象だった。

そして、そのうちに考えれば考えるほど気になって来て、本来の仕事が手につかないほど、この店のメニューに興味を持ち惹かれて行った。

ただ、周囲のインターネットに詳しい人たちに聞いたら、すぐにそれが何であるかは分かったのだろうが、一応、音楽やCMなどの音源や映像の企画や制作の最先端(?)仕事をしている僕にとっては、自分だけで勝手のそう思っていたのかもしれないが、誰かにBBSやャットって何か知っている?と聞くのも、なんだかちょっと勉強不足で恥ずかい気がして、そっと家に帰ってからインターネットを使ってパソコン用語が載っているページで調べてみた。

すると、BBSとは?「Bulletin Board System」のことだと書いてあり、日本語にすると「電子掲示板」という呼び名だと記述されていた。

うむむむ・・・ますます分からなくって来たぞ???

こうなったら、もうマスターの松岡大輔(OCMサポートセンター)に聞くしかないな・・・・・

その日を境に、松岡に嫌がられるほど、“おとぎのお家”のメニューについて、あれやこれやと聞きまくった。

ただ結局、松岡にメニューの内容について色々と分かっても、実践して色々と体験してみないと“絵に描いた餅”と一緒で、何の進展もないことを示唆されて、今さら十五、六歳の思春期の少年でもないのにドキドキしながら、ネットカフェ“おとぎのお家”に足を踏み入れることにした。

そこで、数人の男女の客と出会ったが、その中でも何故か?僕に優しく色んなことを教えてくれる小山陽子と名乗る女性に出会った。

彼女は、それが本当の話かどうかは別にして、“おとぎのお家”で出会ったときには、父親が会社を経営しているその会社を手伝っていて、いずれはその会社を引き継ぎ社長になるのだと言っていた。

そのとき、当初は相手の顔が見えない上にその相手がどんな人物で、ましてや男か女かも分からない、文字だけでやり取りする出会いなのに、どうしてこんなにやさしく出来るのかなあ?と思っていたが、彼女とBBSで書きっこするようになってからは、まるで年甲斐もなく学生時代に付き合っている彼女(交際相手)と交換日記でもしているかのように心がウキウキするようになり、そういう半信半疑の疑問なんかもうどうでもよくなっていた。

ところが、僕を悲劇が襲い愕然とさせたのは、陽子と交換日記(BBSでの書きっこ)するようになって一月ほどが経ったとき、突然彼女の方から父親が病気で倒れて、会社を引き継ぐことになったので、もう“おとぎのお家”に通うこともないし、これを最後に今後は交換日記を止めたいとのことだった。

その後、陽子の話の通り、もう彼女から二度とメッセージ(日記)が届くことはなかった。

その陽子との出来事が、僕にとっては初めてのネットカフェでの擬似恋愛体験だったので、その余りのショック大きさから、バーチャルの世界どころか現実の仕事にまで影響が出るようになり、もう僕も彼女と同じように“おとぎのお家”に通うことを止めようかと思っていた。


そんな時、僕を悲しみのどん底から救ってくれたのが、吉野さくらという大阪に住んでいるいう女性から届いた、一通の励ましのミニメールだった。



※今回の作品~青春うたものがたりシリーズ4~「Cafe物語」の中で、私がつけたそれぞれの人生の“ターニングポイント”は、「緑の文字」の部分です。ぜひ、みなさんもこの作品を読んでみて、自分だったらどの部分を自分の人生のターニングポイントにするか?チェックしてみてください。ただし、このものに対しては、誰が選んだものが正解だとか不正解だとかという決まった答えはありませんが、精神心理学の専門家の話によりますと、その選び方ひとつで、みなさんのこれからの人生の運命が、幸せになるのか不幸になるのかの、そのふたつのどちらかかの運命の道に、間違いなく分かれて行くことだけは確かなことのようです。



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~あなたの運命を変える~「人生のターニングポイント学習法!!」2

2008-09-04 19:45:09 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望

音譜今日から、7日に渡って『生きる力 を学ぶための特別企画としまして、人間(ひと)が生きていく上でその人自身の将来の運命を決める、人生の“ターニングポイント”(人生の運命の分岐点)について、さまざまな作品を通じて、それを探し出すためのヒントになる決断部分マスターするための学習方法と、その見極め方(決断時)の参考例を掲載します。もし、あなたがこの人生の“ターニングポイント”の見極め方を本当にマスターすることが出来たとしたら、きっとあなたは自分の将来において、他の人たちに比べ数倍の高い確率で「幸運の運命」を手に入れることが可能になり、周囲の人が羨ましがるような「幸せな人生」が送れる大きな可能性を得ることになるでしょう。



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~青春うたものがたりシリーズ2~「幸せという名の不幸」

第1話/ 突然、母を襲った病魔
~狂い始めた私の人生時計~


こんな寂しい夜だから

Lost love 失恋したての こんな寂しい夜だから

少しくらいお酒を飲んで グチってもいいでしょう

こんな日くらい 意地悪な恋の神様だって 許してくれるでしょう

Broken heart 孤独な胸のうち 誰かに分かって欲しくて

仲のいい友達に電話を入れたけど 留守電コール
 
今日はクリスマスイブだもの こんな男と女が恋愛(こい)の魔法にかかって

夢の中を旅する夜に 家なんかにいるわけがないわよね

「あの娘は私と違って、モテるんだもの・・・」

化粧を落とす鏡の中の ah自分に自分で失恋話している

そんな姿が悲しくて ah勝手に涙が溢れてくる

Anyone is good It is good only tonight.

ああ誰か今夜だけでいいから 何も言わずにその温かい腕の中で眠らせて欲しい



小山ありさは、半年前まで品川区の上大崎にある外資系の一流の菓子メーカーJKに勤めるOLだった。

だが、半年前に母洋子が突然脳溢血で倒れて意識不明になり、下半身不随となって入院したのをきっかけに、洋子の病気の面倒を見るために、せっかく六大大学のひとつであるWを奨学金制度を利用して卒業し、五年間も務めた会社を辞める決心をした。

母の洋子や妹の舞、それに弟の大輔はありさからその話を聞き、彼女の行く末を心配して一応に反対はしたが、彼女の意思はガンとして固く変わることはなかった。

それには、彼女なりの理由があった。

それは、どんな理由でそうなったのかは、未だに一度もその真相について洋子に尋ねたことはないが、ありさが小学二年生のときに父と母は離婚した。

そのために、ずっとありさは子供のときから、洋子が女手ひとつで彼女たち三人の子供を育てるために、昼間は自宅がある和田掘り近くのスーパーのレジ係のパートをし、夜は笹塚にあるスナックでホステスをして働き、その苦労している姿を直に見ているからだった。

おまけに、洋子の帰宅が遅いときなどには、ありさが舞や大輔の食事を作ったり風呂に入れてあげたりするなどして、洋子の代わりに母親代わりになって世話してあげることも多かった。

おまけに、いくら育英資金(奨学金制度)を利用したとはいえ、あんなに貧しい生活の中で自分を大学にまで行かせてくれた洋子の思いやりに対して、ありさは洋子に母親とであるということと同時に、ひとりの尊敬する人物としても大きな恩恵を感じていた。

でも、誰かに“洋子さんはあなたの母親なのだから、そんなことは当たり前のことでしょう・・・”と言われれば、それは確かにそうだし間違いないことではあるが、ありさにとっては誰がどんなことを言ってどういう風に受け止めようが、そんなことは一切関係なかった。

それは、ありさ自身が子供のときから洋子の姿を、常にほかの誰よりも間近で見て来て、彼女が三人の子供を育てるためにどんなに苦労していたのか、その本当の姿のすべてを一番よく誰よりも知っているからだった。

ただ、ありさが会社を辞めて洋子の病気の面倒を見ることを決めたのは、そのことだけが、実際の理由ではなかった。

それは、やはり人間の運命には、幸運や悲運の巡り会わせがあるのだろうか。

ちょうど、洋子が脳溢血で倒れて入院したときには、大泉首相が運悪く“痛みをともなう改革”(医療補助費の削減と保険料の値上げ)を政治スローガンに掲げて、それを実行している真最中だった。

そのために、そのあおりをまともにくって、かなりこれまでより洋子の入院費の支払いが高くなることになった。

そのせいで、これまではありさの収入だけでなんとかやりくり出来ていた、洋子の入院費と家の方の生活費の負担のやりくりの目処を立てるのがかなり難しくなって来たからだった。

「お母さん大丈夫よ。私が会社のほかにもうひとつアルバイトを探せば済むことだから・・・」

ありさはそう言って、洋子をこれまでどおりに病院に残って治療を続けるように説得したが、彼女はこれ以上ありさに迷惑がかかるのを心配し、ありさの話に耳を貸すこともなく強引に病院を退院して、家に戻って自宅療養することを決めたからだった。

洋子が家に戻って生活をすると決めた以上は、いくらありさから会社を辞める話を聞き、彼女の行く末を心配して一応に反対したとしても、姉妹弟の中で洋子の面倒を見るのは彼女しかいなかった。

と・・・言うのも、妹の舞は高校のときの同級生の城嶋大樹と“できちゃった婚”で二十歳で所帯を持って家を出て行き、幼い頃から末っ子だということもあり、かなり洋子がありさや舞たちに比べて甘やかせて育てたせいか、弟の大輔はありさに比べて大の勉強嫌いで学力が落ち、通常なら大学を受験するような学校の成績ではなかったが、洋子に今の学歴優先の社会の体質を考えると男の子だということもあり、どうしても大学だけは出しておきたいという強い思いがあったからである。

ただ、ありさは弟の大輔が子供の頃から、何かにつけては遊びを優先し飽きっぽい性格であることを知っていたために、このときの洋子の話にはあまり乗り気ではなかったが、会社の仕事で疲れている上に、またこの件で彼女とゴチャゴチャと言い争いになって喧嘩になるのも面倒臭かったので、まったく大学へ行こうという意思がない大輔を洋子と二人で強引に口説いて、世間的に三流と呼ばれている五つの大学を受験させた。

そして、その中でなんとか受験させた五つの大学の中で、二校受かった中の一校の鶴川にあるK大学の政経学部に、大輔が入学することが決まると、洋子との連盟の名前で政府関連の銀行で教育ローンを組んで金を借り、なんとかかんとか彼の大学の入学金や学費などを工面して支払った。

だが結局、ありさの悪い予感は当たっていた。

ある日突然、K大学の事務局から連絡があり、大輔が大学に入学して三ヶ月ほど経った七月半ばあたり頃から、まったく大学に行っていないことが分かったのである。

大学からの連絡を受け、ありさと洋子が一緒になって怒り狂って、大輔に対してその真相を問い詰めると、毎朝大学に通っている振りをして家は出て行くものの、その途中で高校時代の悪友たちと合同したり、同級生だった彼女と会ったりして、新宿の歌舞伎町や渋谷のセンター街などで遊んで時間を潰し、大学の授業が終わる頃を見計らって帰宅していることが分かった。

だが、そんなありさと洋子の怒りに逆切れして大輔は、今回の責任のすべては無理に嫌がる彼を大学に行かせるようにし向けた、二人にあると食って掛って来た。

もうそうなると、三者三様に意見が食い違って責任の擦り合いになり、最終的には親子三人の大喧嘩になった。

そして結局その結果、せっかくありさと洋子が苦労して工面してつくった入学金や学費などは何の意味もなくなり、大輔は大学を辞める代わりに家を出て行き、彼女のアパートに居候させてもらいながら、自分で職探しをして自活することになった。

おそらく、その重圧や心労からだっただろう。

洋子が、突然脳溢血で倒れて意識不明に陥り、救急車で新宿の西口にある帝都医大に運ばれたのは、大輔が家を出てから三日後のことだった。

幸い、偶然にもその日は会社の創立記念日でありさが休みだったために、洋子が脳溢血で倒れた際に、彼女がその場にいて救急車を呼んだり、病院での応急処置を受けたりするのが早かったために、なんとか命だけは取り留めることが出来た。

しかし、洋子は脳溢血で倒れたせいで、まともに動かせるのは右手だけになり、左手や言葉は多少動かせたりしゃべれたりはするものの、まったく下半身は麻痺した状態になった。

そして、その日を境に左手を動かしたり、言葉がしゃべれたりなるようにするためのリハビリはもちろんだが、洋子の車椅子生活の人生が始まった。

ただ、いくら自分の一番大切な母親である洋子が、脳溢血で入院し車椅子の生活になったとはいえ、ありさも会社の仕事があったり家事があったりする以上、いつでもそうそう洋子の傍にだけ付いている訳にはいかなかった。

そのために、かなり生活費のやりくりに苦労するようにはなったが、病院の看護師とは別にありさがいない間に洋子の面倒を見てくれる、女性ヘルパーを病院に紹介してもらい一人雇った。

洋子の入院費に加えて、女性ヘルパー雇ったことや大輔の教育ローンの返済などでかなりの費用が嵩み、とてもありさ一人のOLの稼ぎだけでやっていくのが不可能になったために、ありさは洋子と相談して杉並区の大宮1丁目の和田堀り公園近くにある自宅を売却して、方南町の駅から歩いて五分ほどの、神田川沿いにあるアパートに引っ越すことにした。

この時点の二人のやり取り(会話)は、まだ入院したばかりで洋子がよく口が聞けなかったこともあり、ありさが便箋に書いた文章の文字を洋子が読んで、彼女が首を上下に振って答えるというものだった。

この家は、洋子がありさたち三人の子供を育てながら、昼夜働いてやっと手に入れたマイホームだけに、実際には洋子自身はかなりの思い入れがあるはずなのに、ありさが自分の力ではどうしようもなくってこの話を持ち出したときには、おそらく母親としてこれから苦労を掛ける、我が子へ対する思いやりからだろう・・・何ひとつ文句も言わずににニッコリと笑顔を見せてあっさりと承知してくれた。

ただ、そのことについては洋子には何も言わなかったが、ありさ自身は複雑な心境だった。

それだけに、、洋子が何の文句のひとつも言わないで、ニッコリと笑顔を見せてあっさりと承知してくれた顔を瞬間、ありさは自分の精神的な感情が抑えきれなくなり、洋子と同じ病室にはほかの患者が入院していることも忘れて、まるで子供のときの母と子に戻ったかのように、思わず洋子の胸に顔をうずめて大泣きをした。

そのありさの泣き声の大きさには、同室の入院患者はもちろんだが、隣の部屋の入院患者も驚くほどだった。

ただ、さすがに、きっと洋子だけはほかの入院患者がどう思おうと、「自分のせいでこの子にこんなに苦労を掛けてしまって・・・」と、いま自分の胸の中で大泣きしているそんな我が子の姿を見て、きっと不憫に思ったのだろう。

ありさが気付いた時には、洋子は唯一使える右手で彼女の躰を、しっかりと抱きしめていた。

洋子の許しを得て自宅を売却できるようになったおかげで、これまでの息苦しい生活環境から解放されたこともあり、かなりありさもつい数日まで抱えていた様々な問題や悩みから開放され、多少なりとも心にも余裕が持てるようになった。

だが、ありさにはもうひとつ結論を出さなければいけない、大きな問題が残っていた。


それは、大学時代から同じ演劇部に所属し交際をしている、ひとつ年上の櫻井翔太にプロポーズされたことに対して、どうするかの答えを出すことだった。


※上記の作品~青春うたものがたりシリーズ2~「幸せという名の不幸」の中で、私がつけたそれぞれの人生の“ターニングポイント”は、「緑の文字」の部分です。ぜひ、みなさんもこの作品を読んでみて、自分だったらどの部分を人生の“ターニングポイント”にするか?やってみてください。ただし、誰が選んだものが正解だという決まった答えはありませんが、その選び方ひとつでみなさんのこれからの人生の運命が、幸せになるのか不幸になるのかの、そのふたつの運命の道に間違いなく分かれて行くことだけは確かのようです。



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~あなたの運命を変える~「人生のターニングポイント学習法!!」1

2008-09-04 19:44:38 | 人・愛・夢・運命・教育・家族・社会・希望
音譜今日から、7日に渡って『生きる力 を学ぶための特別企画としまして、人間(ひと)が生きていく上でその人自身の将来の運命を決める、人生の“ターニングポイント”(人生の運命の分岐点)について、さまざまな作品を通じて、それを探し出すためのヒントになる決断部分マスターするための学習方法と、その見極め方(決断時)の参考例を掲載します。もし、あなたがこの人生の“ターニングポイント”の見極め方を本当にマスターすることが出来たとしたら、きっとあなたは自分の将来において、他の人たちに比べ数倍の高い確率で「幸運の運命」を手に入れることが可能になり、周囲の人が羨ましがるような「幸せな人生」が送れる大きな可能性を得ることになるでしょう。


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母が笑った僕が笑った 」

母が笑った。

僕が笑った。

そして、二人が笑った。

笑うたびに、入れ歯をはずした母の口の周りが、梅干のように皺だらけになる。

子供のように無邪気に笑う、母の笑顔に久しぶりに出会った。

母の無邪気に笑う顔を見ているうちに、人生の大半を歩き終えたこの人にとって、僕とこうして昔のように親子に戻って、語リ合っているこのひとときが、どんな高価な宝石よりも一番の宝物かもしれない・・・と思った。

つい先まで、そんな母の気持ちに気付かずに「今度来るときは、どんな土産がいい?」と尋ね「もう、何もいらないから、お前ともっと会えるといいね・・・」と返事を返されて、そこにはハッとして母に向かって言った言葉に、心の中で後悔している僕がいた。

そんな母の気持ちに触れた瞬間、僕は、このまま時間が止まってくれればいいとさえ思った。

それは、年老いて灰色に濁った母の瞳の奥に光る泪に、電話で伝える何百回何千回の慰めや励ましの言葉よりも、一日でいい否わずかな時間でもいい、人生という名の列車から、独りぼっちで下車した母が、家族に戻るこのわずかなひとときを、最高の親孝行と感じていることを教えられたからである。



母のふるさと僕のふるさと」

僕のふるさと。母のふるさと。

村の子供でたったひとりだけ、三輪車を買ってもらえずに、母を恨んで泣いた場所。

唐草模様の風呂敷を、鞄代わりに背負って、裸足で学校へ通った場所。

父が、農作業中に吐血して肺結核で入院したのをきっかけに、我が家から昨日まであった笑い声が、シャボン玉の泡のようにすべて消えてなくなった。

そして今度は、父の闘病生活が長引くにつれ、入院費や借金の肩代わりになって、我が家から家財道具や灯りが消えて、まるで我が家は人が住んでいない空き家のようになった。

母は働いた。

朝から晩まで働いた。

女手ひとつで、家族を守るために働いた。

母の一日は、四人の子供と祖父母の二人を含めた家族の世話から始まり、父の看病、農作業、担ぎようの山菜採り、薪拾いと、息つく間もないほどの、重労働の毎日だった。

そんな母の、家族のために苦労している純朴な気持ちに逆らい、貧乏が嫌で嫌でたまらなくて、まだ中学校の卒業式も終えないうちに家を飛び出した僕。

あれから三十余年。

僕にも家族ができ、母の気持ちが少し判るような年齢になった。

だから・・・きっと素直に言えるのかもしれない。

「長い間、家族の生活を守るために働きどうしで、本当にご苦労様でした・・・」
そして、「母ちゃん、僕を産んでくれてありがとうと・・・」と。

母が泣いた。

僕が泣いた。

お盆休みが終り、明日上京する夜のことだった。

「あと何回、私が生きている間に、セイちゃんの顔が見られるのだろうね?」という母の涙ながらの問いかけに、「一年なんか、アッという間じゃない・・・・」と、最初は笑い飛ばして陽気に振舞っていた僕だった。

だが、母の顔や手にある死にボクロの多さが目に入るや否や、もしかしてもう会えないのでは?と、変な予感が頭をよぎった。

その瞬間、そこにはそんな痛ましい母の姿に、もらい泣きしている母の子供の僕がいた。


僕と息子が実家を発つ朝。

やはり、母のことが気になっていたのだろう。

タクシーの後部座席のガラス越しに、何気なく後ろを振り返ったときだった。

「足が痛いから、もう外まではもう見送りには行かないからね・・・」と言っていた母が、病気の父に代わって家族の生活の面倒を見るために、あまり苦労しすぎて直角に曲がった腰を無理やりまっすぐに伸ばし、ポッンと独り人生の中に置き去りにされてように杖をついて立っていた。

一歩も動かず、立っていた。

いつまでも、いつまでも立っていた。

僕は、その姿を見た瞬間とっさに窓を開け、「母ちゃん、母ちゃん」と涙ながらに、なんども大声で叫んだ。

僕は泣いた。

年甲斐もなく泣いた。

今、自分が息子や運転手と一緒に、タクシーに乗っていることも忘れて、当たりかまわず泣いた。


やがて、母の年老いた姿が朝の眩しい太陽の日差しの中に、吸い込まれるようにして小さくなって、視界から消えていった。



「息子」

ピンポーン。

「あっ!息子だ。」

息子が帰ってきた。

最初に顔を合わせた瞬間には、どんな顔をして、どんな言葉を掛けてやろうか。

頭の中では、色んな想像を思い巡らし、息子を迎える準備をしていたつもりだった。

それがいざ現実になると、つい慌てしまってそう上手くいかないものである。

それもそうかもしれない。


それは、三年ぶりの再開だからだった。

僕が突然リストラされて職を失い、家族が一緒に暮らせなくなってから、もうはや三年の歳月が経っていた。

その間色々なことがあった。父が死んだ。

妻が病気(乳がん)になった。

家族が家族でなくなった。

僕は僕の非力さを恨んだ。

学歴なさを恨んだ。

社会を恨んだ。

それでも恨みたりずに、四十歳が近い年齢だというのに馬鹿げたことだが、貧しい家に生まれたことまで恨んだ。

僕は泣いた。

暗闇の中で泣いた。

独りぼっちで泣いた。

それは、僕の周囲から昨日まであった、家族の温もりがすべて消えたからである。

―ガチャ・・・―

ドアを開けると、息子が立っていた。

十五歳になった息子が立っていた。

三年前には、百五十センチそこそこだった息子が、百七十センチ超える大男になって立っていた。

親子なのに、年月と時間の空白が、やはりお互いの心のどこかに壁を作るのだろうか?

最初は、三十センチもない距離の間にいるのに、二人とも声を掛けられずに、ただ黙って見つめ合っていた。

一分。二分。三分・・・


「ただいま」息子が、笑顔で言ったそのひと言が、これまでの年月と時間を飛び越えて、僕をかつてと同じように父親に戻してくれた。

僕は泣いた。

自分より大きくなった息子を、強く抱きしめて泣いた。

ふと顔を上げたら、息子の目にも涙が光っていた。

―カキーン―

「かんぱ~い」

息子が笑ってる。

僕が笑ってる。

冷凍物の寿司と飲み物(ビールとジュース)で祝う、二千円足らずの歓迎会だった。

だけど、今の未だに仕事が決まっていない僕にとっては、これが精一杯の息子のしてやれる、ご馳走であり歓迎会だった。

「ごめんね・・・」と、心の中で詫びる。

それでも、息子が喜んでくれている。

それでも息子が訪ねて来てくれた。

久しぶりに、僕に家族の温もりを届けてくれた、息子に感謝。親父と呼ぶようになり、一回り大きくなった息子に感激・・・

久しぶりに息子と弾む会話の最中に、「ここに、お母さんとお姉ちゃんがいたら、もっとよかったね・・・」息子の口から何気なく出た言葉が、僕に父親としての責任を、いや人間としての責任を再認識させた。

その瞬間、この“家族”という温もりを手に入れられるのなら、もう過去のプライドなんてどうでもいいと思った。



息子が帰る。

まだ薄暗い、人気がない裏道を帰る。

リュックを背負って、一人で帰る。

母と姉が待つ、家族のもとへ帰る。

父が欠けた、家族のもとへ帰る。

僕は黙って、その後姿を見てる。

声も掛けずに、ただ黙って見てる。

あっ、息子が振り向いた。

笑った。

手を振った。

僕も思わず、息子の釣られるように笑った。

手を振った。

そして、手を振りながら、ふとこの子たちと本当の家族に戻れるのは、いつの日だろうと心に思った・・・・・



「こころ美人」

こころ美人は、容姿も人柄も美しくなるというが、それは間違いかもしれないと思った。

その美語を、覆すような出来事に遭遇したからである。

彼女は、東大阪市に住んでいた。

実家は、代々雑貨問屋を営む、中流家庭だった。

婿養子の父親が、根っからの遊び人だったために、彼女が中学一年生のときに、実家は借金の肩代わりに人手に渡った。

彼女は、三人姉妹弟の長女だったこともあり、母親と一緒に家計を助けるために働いた。

コンビニの店員、食堂の皿洗い、喫茶店のウェイトレス。

金になれば、なんでもいいから働いた。

金になれば、どこでもいいから働いた。

人間(ひと)としてのプライドや、女性としての身なりもすべて捨てて、朝から夜まで働いた。

彼女は、苦労に負けなかった。

苦労をばねにして、働きながら高校大学と進学し卒業した。

そして、その頃にはだいぶん借金も片付き、いちおう家の生活も落ち着きを取り戻していた。

ところが、彼女が社会に出て二年目に、タバコ好きの母親がビュルガー病(バージャー病)という、まったく聞いたことがない病名の難病にかかり、足を切断することになった。

そして、母親は足を切断すると同時に、一人では動けない身体になった。

彼女は、悩んだ。

誰よりも、母親が苦労して来ているのを知っているだけに、心の底から悩んだ。

姉妹弟の中でも人一倍、母親思いだっただけに、夜も眠れないほど悩んだ。

その結果、けっきょく彼女は会社を辞めて、母親の看病をすることを決心した。

その日から、彼女と母親の泣き笑いの、二人三脚の人生が始まった。

それから後ろを振り向くと、あっという間に二十五年という歳月が過ぎ、ある日突然母親が亡くなった。

その瞬間、これまで彼女の肩に伸し掛かっていたすべての重荷が取れ、いつも決められた時間や場所でしか動けなかった、心の箍がポロリと外れた。

そのお陰で、彼女は母親が死ぬのと引き換えに、久しぶりに思う存分に心の開放感を手に入れた。

彼女にとっては、死んだ母親には悪いが、それが何よりも贅沢なことだった。

母親の初七日が終わると、これまでに失っていた自分の自由の時間を取り戻そうと、彼女は飛び回るようにしてあっちこっちを遊び歩いた。

だが、その喜びも長くは続かなかった。

しょせん、彼女が手に入れたのは過ぎた時間は取り戻せない、一過性の心の開放感だったからである。

ふと周りを見渡すと、多くの友人や知人もそうだが、妹弟たちまでが結婚して温かい家庭を持ち、彼女一人だけがその輪の中から外されていた。

その見過ごしていた現実に、自分が直に触れた瞬間、急に彼女はこれまでに感じたことがない孤独感に襲われるようになり、まったく自分の家族の生活観のない惨め暮らぶりを悔み、大きなショックに打ちのめされた。

そして、彼女は泣いた。

心から泣いた。

独りぼっちが寂しくて、大声で泣いた。

家族という温もりのない中に、独り取り残されたことが悔しくて、気が狂ったように泣いた。

その時、彼女はふと思った。

「私の人生って、いったい何だったのだろう・・・」


彼女は、今でも自分の人生の選択が、果たして正解だったのか?不正解だったのか?その答えが出せずに悩んでいる。


※上記の作品の中で、私がつけたそれぞれの人生の“ターニングポイント”は、「緑の文字」の部分です。みなさんも、この作品を読んで自分だったらどの部分を人生の“ターニングポイント”にするか?やってみてください。
ただ、誰が選んだものが正解だという決まった答えはありませんが、その選び方ひとつで、みなさんのこれからの人生の運命が幸せになるのか不幸になるのかに、間違いなく分かれていくことだけは確かなようです。



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