第3話/ 愛の願い
~大空を飛んでみたい・・・~
二人は、ほんの数十センチという近い距離にいながら、ガラスの壁に阻まれて直接言葉が交わせないぶん、日記帳と大学ノートを使って会話をすることにした。
「また会えてよかったね・・・」
「ありがとう」
「どうして僕に、本当のことを教えてくれなかったの?」
「・・・・・」
大輝が書いたその言葉に、突然愛の表情が悲しげになったので、彼はすぐに話題を変えた。
「早く君が元気になって、また二人で“風のある町”に帰りたいね・・・」
「そうね・・・」
「いつまでも、僕は君が帰ってくるのを待っているからね・・・」
大輝が、大学ノートに書いたその文字を見たとたん、また愛の目頭には薄っすらと、涙が浮かんで来た。
「ごめん、変なこと書いちゃって・・・」
「ううん、大丈夫よ・・・」
二人の、日記帳と大学ノートを使った文字での会話は、よほど感情が高ぶっていたのか、決して休むことなく三十分以上も続いた。
だが、そのうち愛の担当看護師の吉田由美子がやって来て、「もういいでしょう。これ以上無理やり話を続けて、もしも愛さんに何かあったらどうするんですか?」と、大輝に向かってそう言うと、半ば強引に二人の会話を打ち切らせた。
その担当看護師の吉田由美子の言葉を聞いて、愛自身は“自分は大丈夫・・・”だと強引に訴えたが、吉田由美子が彼女の言葉を一切受け入れてくれることはなかった。
大輝のすぐ横にいて、二人の会話のやり取りをずっと見守っていた百合子も、さすがにそう思ったのか?吉田由美子の言葉に一切口出しをすることはなかった。
最後に、大輝が愛に今一番何がしたい?と尋ねると、彼女の口からは彼が予想もしていなかった言葉が飛び出した。
「大空を飛んでみたい・・・」
「大空!どうしてまた?」
「どうしても・・・」
「大輝、私の最後の我侭だと思って、その願いを叶えてくれる・・・」
「ね、大輝いいでしょう・・・」
「わ、分かった・・・」
「愛の願いが叶うように、何とか、努力してみるね・・・」
「ありがとう・・・」
愛には、彼女の気持ちを傷つけまいと何とか努力するとは答えたものの、大輝とってまだ自分さえ飛んだことがない大空を飛ばせてあげることなんて、とても自分の力で愛の夢を叶えてあげるのは、どんなに努力しても無理だと思った。
だがそれと同時に、あと半年間しか持たない愛の命のことを考えると、何としてでも彼は彼女の夢を叶えてあげたいとも思った。
その日、大輝は愛からその言葉を最後に聞くと、百合子と一緒に彼女の病室を後にした。
大輝が愛に別れを告げて帰る時、一瞬彼が後ろを振り返ると笑顔は見せているものの、彼女の目頭に薄っすらと涙が浮かび、「ありがとう・・・」という言葉を、ひと言ずつ口を大きく開いて、一生懸命にガラスの壁越しに伝えようとしている姿が見えた。
大輝は、夜行列車で“風のある町”に帰る途中の間も、自分が予想もしていなかった愛の言葉にすごく戸惑ったが、愛が生きていられる時間があと半年の間しかないことを思うと、何としてでも彼女の夢を叶えてやりたかった。
大輝が、愛と再会を果たし“風のある町”に帰って来てから、月日が経つのは早いもので、もう一ヶ月近くになろうとしていた。
ただ、大輝はその間学校へ行っている時も、アルバイトに行っている時も、片時も愛の「大空を飛んでみたい・・・」という夢を、絶対に叶えてあげたいということを忘れることはなかった。
しかし、残念なことに大輝のそう思う強い気持ちとは裏腹に、まったく未だにその名案は見つかっていなかった。
ある日、大輝が偶然に商店街の本屋の前を通りかかった時に、彼の目に一冊の本が目に留まった。
それはスカイダイビングの本だった。
大輝は、「大空を飛んでみたい・・・」という、愛の夢を叶えてやるのは「これだ!」思い、その本を夢中で読み漁った。
ただ、大輝はスカイダイビングで誰かが飛んでいるのを、これまでテレビのバラエティ番組の罰ゲーム一などでしか見たことがなく、彼の意識の中でのスカイダイビングはそのスピードやスリル感を楽しむ、ある種のレジャー楽しむための金持ちのひとつ遊びだというイメージが強かった。
だが、その本を読んでいるうちに、実際のスカイダイビングはパラシュートの操縦技術を競い合う、世界各国で大会が行われているれっきととしたスポーツ競技の一種だということが分かった。
その本によると、スカイダイビングで愛がいう大空の飛ぶことの体験が、ハワイやグァムなどの世界各地の様々な場所で出来るようが、彼女の躰の体調のことを考えると、日本の中でその体験が出来る場所を探すしかなかった。
運よく、その後もスカイダイビングに関する本をあれこれと読み漁っていたら、ちょうど都合がいいことに、愛が入院している慶都病院からさほど距離的に遠くはない、埼玉県の川島町にTOKIOスカイダイビングクラブという、スカイダイビングが体験できる会社が見つかった。
ただ、大空を飛ぶ体験が出来るスカイダイビングのクラブが見つかったことで、愛の望みである“大空を飛んでみたい・・・” という願いは叶えてあげられそうになったが、それを実行に移すためにはふたつの大きな問題があった。
それは、入会費や会費、受講料が大輝と愛の二人分を合わせると、大学生の彼にとっては今すぐにはとても用意は出来ない、大金の五十万円ほどの費用がかかることと、いくら愛の“大空を飛んでみたい・・・”という夢を叶えてあげるためだといっても、おそらく彼女の家族や病院側がそれを許してくれないだろうという、現実の大きな壁があった。
大輝は、まずはその第一の問題である金のことを、「大学を卒業して働くようになったら、必ず返すから・・・」と言って、田舎の両親に電話して必死で頼んだが、父親に「お前は大学生の身分で、なんでそんな恥知らずなことをやっているんだ!」
「それに家は、貧農家でお前を大学に行かせるだけで精一杯なんだぞ・・・」と、逆に大怒りされてあっさりと断られた。
父親の言葉通りに、大輝の実家は父親と母親が二人だけで農作業を行っている小農家で、彼自身も彼を“風のある町”にある大学に行かせるために、両親が農協から多額な借金をして苦労していることを知っているために、それ以上父親の言うことに強引に反論して、無理やり何かを言う気持ちには慣れなかった。
そうなると、頼みの綱はもうひとつしか残っていなかった。
それは、愛が入院している病院に一緒に同行し、彼女が大輝に対して“私の最後の我侭だと思って、その願いを叶えてくれる・・・”と、彼に頼んだことをその場で聞いていた、愛の母親の百合子に相談することだった。
大輝はそう決心すると、すぐに“風のある町”を出発して夜行列車に飛び乗り、愛の実家がある成城に向かった。
その時、愛に残されている余命は、あとわずか四ヶ月あまりだった。
第4話/ 愛の命を賭けた訴え
~私にはもう時間がないの・・・~
人にとって一番の 幸せってなんだろう
人にとって一番の やすらぎってなんだろう
ふとそう思って思い悩んだり苦しんだりしたとき ふっと心の中に浮かんだのは
それは手を伸ばすと・・・ 真実の優しさや温もりにすぐ触れられる
愛する家族や愛する人が いつも傍にいてくれることではないかと・・・
――ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン・・・――
大輝には都合よく、愛の成城にある実家を訪ねると、着いたのがもう時間が午前十時を回っていたせいか、彼女の父親の泰三は会社に出掛けていて、愛の母親である百合子が応対してくれた。
さすがに当初は何の連絡もない、大輝の突然の訪問に百合子は驚いていたが、彼と愛との真実の関係を一番良く知っている彼女は、彼の訪問を快く出迎えてくれた。
京都の寺などでよく見かける、日本庭園風の庭が窓ガラス越しに見える、二、三十畳はあろうかと思う応接間に通されると、例の大輝が愛の家を最初に訪問したときに会った、家政婦の有森恵子がいかにも高級そうなコーヒーカップに入ったコーヒーと、モンブランケーキを持ってきてくれた。
「ところで亀梨さん、今日は突然連絡もなしにいらっしゃるなんて、何かあったのですか?」
百合子は、大輝の不意の訪問を不思議がりそう尋ねた。
「実は、今日僕がお邪魔したのは、愛ちゃんの望みを叶えてあげたくて、ご相談に来たんです・・・」
「それに、すみませんが連絡をしないで来たのは、おそらく電話でその相談をすると、その時点で断られることが分かっていたからです・・・」
「愛の望み?」
『そうです。お母さんも一緒に病院に行ったときに聞いていたでしょう。愛ちゃんが僕に対して「大空を飛んでみたい・・・」と話していたことを・・・』
「実は、ずっと愛ちゃんに“大空を飛ばしてあげる”と約束したあの日から、彼女の望みをどうやったら叶えてあげられるかを考えていたのです・・・」
「そして、やっとその方法が見つかったのですが、今の僕の身分ではどうすることもできないのです・・・」
「その方法は、お母さんは知らないかも知りませんが、鳥や飛行機のように空を自由に飛ぶことが出来て遊覧飛行や空の散歩を楽しめる、スカイダイビングというものなのですが・・・」
「ですから、こうやってお母さんに相談に来たのです・・・」
「それって、一体どういうことですか?」
百合子は、大輝の話をじっと黙って聞いていたが、彼の言っている事情がまったく呑み込めず、再び彼に問い返した。
「愛ちゃんの“大空を飛んでみたい・・・”という望みを叶えてあげるためには、僕なりに考えたところこの方法が一番いい方法ではないかと思ったのですが、そのためにはふたつの大きな問題があって・・・」
「ふたつの大きな問題って?」
「そのひとつ目ですが、スカイダイビングを行うためには入会費や会費、受講料など必要で、僕と愛ちゃんの二人分の費用を合わせると、僕のような貧乏学生の身分ではとても今すぐには用意できない、五十万円近くもの大金が必要であるということと・・・」
「そして、そのふたつ目ですが、愛ちゃんにそのスカイダイビングをやらせることを、お母さんたち家族や病院側に許しが得られるかということなんです・・・」
「・・・・・」
さすがに、大輝の話を聞き終えて事の真相を理解した百合子も、いくら愛の望みを叶えることだとはいっても、彼の唐突すぎる内容には頭の中が混乱して、どう返事していいのか判断がつかずに言葉に詰まった。
ただ、だんだんと落ち着きを取り戻し心の整理がつくと、自分の率直な思いを明確な口調で大輝に伝えた。
「亀梨さんには悪いけど、お金のことならともかく愛の病気のことを考えると、とてもスカイダイビングなんてやらせられないわ・・・」
大輝は、当初から反対されることは分かっていたとはいえ、百合子の言葉を聞いて愕然となった。
それは、愛の“大空を飛んでみたい・・・”という望みを叶えてあげるためには、もう百合子に協力してもらう以外には、ほかに何の手段もなかったからである。
ただ、今ここで「はい、そうですか・・・」と引き下がってしまうと、愛が大輝に託した望みを彼女が生きている間に叶えてあげることはとても無理だという思いが、彼の心の中では強く働いていたので、彼は涙ながらに百合子に土下座して、何とかその返事を考え直してくれるように頼み込んだ。
さすがに、百合子もそんな大輝の姿を見ていると心を動かされ、しぶしぶ愛の父親である泰三や愛の主治医の堂本誠と交渉してくれることを承知してくれた。
百合子が、泰三に連絡を取り大輝から聞いた話の内容を伝えると、当初は彼女と泰三が電話で話す姿を見ていると、かなり泰三は彼女に対して怒りをぶつけているようだったが、どうやら最後は彼女に説得されてなんとか承諾したようで、愛が入院している病院の一階の受付の前で、会社の仕事が終わる午後七時に待ち合わせることになった。
そして、百合子は同時に緊急に相談したいことがあると言って、愛の主治医である堂本誠とも会う約束を取り付けてくれた。
大輝と百合子が、タクシーで病院に向かい病院に到着すると、約束の一階の受付の前で泰三が大柄な躰を、前後にイラつかせるように揺り動かしながら、彼の運転手の河本輝夫と一緒に待っていた。
「お前たち、遅いじゃないか・・・」
「すみません・・・」
まだ約束の時間の七時まで十五分も前だというのに、相変わらず泰三は横柄な態度で百合子に文句を言っていたが、さらに今回の大輝の計画には相当腹を立てているようで、彼が挨拶をしても一切無視し彼とは口を聞こうともしなかった。
愛が入院している七階の受付を尋ねると、百合子が連絡を入れていたこともあり、愛の主治医である堂本誠が待っていてくれて、診察室と隣接した場所にある入院患者や、その家族への病状の説明に使われるカンファレンス室を、今回の相談事の話し合いの場として用意していてくれていた。
堂本は、百合子の話を聞いたとたん、「そんなこと、本気で言っていっているんですか?」「もし、外部の空気に触れることにさえ、肉体的に何の抵抗力も持っていなくて生死にかかわる彼女に、いくら望みを叶えてあげることだからといってそんなことをやらせたら、無理やりみなさんで彼女を死に追いやるようなものですよ・・・」と言い放って、あっさりと百合子の申しれを断った。
そして、その堂本の言葉に同調するかのように、その話を隣で聞いていた泰三が、「こんな馬鹿げたことで、俺まで呼び出すなんて・・・」と、吐き捨てるように言った。
「せ、先生、な、なんとかお願いできませんか?愛ちゃんが僕に最後に託した望みなんです・・・」
「亀梨くん、君のようなド素人が何を言うのかね。だいいち、家族でもなんでもない他人の君が、先生にそんなことを話すなんて大変失礼ことだぞ!」
「まあ、まあ、そう怒らずに落ち着いてください。彼も彼なりに愛ちゃんのことを思って一生懸命やったことでしょうから・・・」
さすがの泰三も、愛の主治医である堂本には頭があがらないみたいで、いつものようにブツブツ小言は零していたものの、大輝に対してそれ以上何か愚痴を言うことはなかった。
これでもう、愛の「大空を飛んでみたい・・・」という望みを叶えてあげることは、すべて絶たれてしまうことになった。
「せっかくお見えになったんだから、愛ちゃんの病室を寄って行ったらどうですか?」
堂本の勧めもあって、もう通常なら面会の時間はとっくに過ぎていたが、堂本が同行するという条件で病院側から許可を得て、三人は愛の病室に立ち寄ることにした。
大輝たちが愛の病室を訪ねると、彼女は病気の治療のための点滴を受けている最中だったが、すぐに大輝の姿に気がつくと満面の笑みを浮かべながらベッドから起き上がり、点滴用のスタンドを片方の空いている左手で押しながら、彼の方に向かって近寄って来た。
そして、大輝に分かるようにひと言ひと言ずつ大きく口を開いて、「今日は、何をしに来たの?」尋ねた。
大輝は、愛のその言葉の意味を理解すると、ショルダーバッグの中から以前に彼女と会話した時と同じように大学ノートと取り出し、彼女の問い掛けに対して返事を書いた。
――今日は、君がこの前来た時に僕に話した「大空を飛んでみたい・・・」という、君の望みを叶えてあげたくて、君のお父さんやお母さんそれに主治医の堂本先生にお願いに来たんだけど、どうやら君の病気(体調)のことを考えると、とても難しいという結論になってしまって。だから、ごめんね。君の望みを叶えてあげられなくなってしまって・・・――
その大輝が大学ノートに書いた文章を読んだとたん、愛は泣き狂ったように点滴用の器具を自らすべて取り外して床に投げ捨てると、無菌室の扉を勝手に開けて四人がいる病室の外に飛び出して来た。
そして、泰三や百合子や主治医の堂本の制する言葉にも耳も貸さずに、自ら四人の足元に跪いて床に顔を押し付け、大粒の涙をボロボロ零しながら大声で訴えた。
「お願い、私にはもう時間がないの・・・」
「それは、本当はパパやママもそうだけど、先生だって知っていることでしょう・・・」
「だから、私は自分の命と引き換えにしても、大輝との残こされた時間を少しでも大切にしたいし、自分の望みを叶えたいの・・・」
「ねえ、パパもママも先生も、私のそんな気持ちを分かってくれてもいいでしょう・・・」
さすがに、愛のその行動を目の当たりにしたら、どんなに頑固な泰三であろうと、心を動かされずにはいられなかった。
もちろん、それは百合子も主治医の堂本も同じ思いだった。
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