だっくす天国+わくわくハンドメイド

ダックスが好き、編み物も好き

8月6日

2022年08月06日 | 日々の暮らし

もう記憶も定かでない幼かった私は、一人で汽車に乗り、広島へ行った。

別居している父に「養育費?」を貰う為だった。

今新幹線で20分もかからない、隣の県に住んでいたが、当時は汽車で4時間、それも一人旅。

本来なら母が行く所を「子供料金は半額じゃから」という、母の一言で、恐れも知らず7歳やそこらの女の子が、広島迄プチ旅行をしたのだ。

駅に到着すると、会った事もない綺麗なお姉さんが待っていて、「お父ちゃんは、夜でないと帰らんけえ、うちへ来んさい」とバスに乗せてくれて、お姉さんの家で父を待った。

 

お姉さんは、お父さんとトモダチなんかな?と思っていた。

お姉さんの家は、1LDKのアパートで、小さい私には立派に見えたけど、今思えばただの長屋だったと思う。

 

結局父は帰って来ず、お姉さんは、私を台所のテーブルの下に布団を敷いてくれたので、寝た。幼い私には、飲まず食わずの4時間の列車の度は疲労困憊するには十分だったのだ。

翌朝、アサヒが眩しくて目が覚めたら、お姉さんは、もう台所でお茶碗を洗っていた。

「まあ、もう起きちゃったんかね、もうすぐ朝ごはんにするから、ちょっと待ってえね」と言いつつ食器を洗っている後ろ姿のエプロンのリボンが真っ白で、大きくて、ああ、あんな頭飾りが欲しいなあと、見つめていた。

 

突然サイレン?が鳴って、お姉さんの動きが止まった。水道は出っぱなしだった。お姉さんは、立ったまま、目を瞑っていた。

8月6日午前8時15分。

訳も分からずあたふたする私。こそっと、お姉さんに回り込み、見上げると、目を固く閉じて、口を真一文字に結び、とても「ねえねえ、どうしたん?」なんて聞ける雰囲気ではなかった。

 

また、こそこそと布団に潜って、狸寝入りをしていた私に、お姉さんが、

「さ、食べようね」と出してくれた朝食は、おかか入りのお握りとお味噌汁だった。

あのお目目を瞑ったのは何だったん?と聞く事も出来ず、翌日父も帰ってきて、無事山口に帰った私だけど、母は、黙って、父から貰った封筒を受け取って、そのまま財布に入れた。

大きくなってから、あれは原爆記念日で、広島県民はあの時間になると、歩いていても、電車に乗っていても、必ずその場で黙とうするんよと聞かされた。

 

私は広島県民ではないけど、あれ以来、8月6日の8時15分になると、あの光景を思い出す。

 

今ではグーグルという便利なものがあるので、誰でも見られるのだけれど、当時は、先生が「口頭で歌うだけで教えてくれた歌」があった。

 

その中に、曲名も作詞者も知らない歌がある。

♪ふるさとのまち焼かれ、みよりのほねうめしやけつちに

今は白い花咲く

ああ許すまじ原爆を

二度と許すまじ原爆を

われらの街に♪

 

当時は、ヨシイクゾウさんじゃないけど「あ、テレビもね~、ラジオもね~」の時代だったから、多分学校で習ったんだろうけど。

この歌の背景も歌詞の意味も分からず、ひたすら大きな口を開けて歌った記憶がある。

 

 


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