朝日が少しだけ顔を
多肉植物に花が咲いていました
母から譲り受けた寿司桶40年も前から使っています
弥生三月音の春 ちらし寿司が食べたくなった。
昔帰省するたびに母は決まってちらし寿司を作って待っていてくれた。
私一人だというのにお釜一杯のご飯を炊いて寿司桶が満たされていた。
いつ帰っても全てに沢山で いつの間にかちらし寿司が好きではなくなっていた。
6人の子供を育て物の無い戦中戦後を生き抜いてきた明治生まれの母
せめてお腹いっぱい食べさせてあげたいという思いが染みついていたのかも知れない。
お陰で私達兄妹は大きく育ちました。
一月のお米は60㎏をゆうに超えそんな母を見て同様に息子達を育てていた気がします。
柔道をしていたのもあって水代わりに牛乳を与え重量級の人間が出来ました。
90近くになった母がある日「よう作らんなってしもうて」と放つまで
上げ膳据え膳の生活に甘え母の老いに気づいてあげられなかった。
今は息子家族が来るときは決まってちらし寿司を作っている私がいます。
母を思い出しながらふとちらし寿司が食べたくなりました
母と同じ具だくさんの少し甘めのお寿司です。
春にはちらし寿司が似合うかと思いながら・・。
お母さんの味に似てきましたよ。
お義母さんを思い出しました。
夫は三兄弟でお米はいつも30キロずつ買ってたと。
とにかく 何でもたくさん買ってて、二人暮しになってもその(癖)残ってました(^_^;)
太巻き寿司作って、いつも傍にいた末っ子の夫は その端っこもらうのが楽しみだったと言ってました。
いつもありがとうございます。
美味しそうなちらし寿司ですね✨
春らしくていいですね。
愛情豊かな、お母様から愛と味を引き継いで、息子さん達の幸せそうな🍀顔が目に浮かびそうです。
ガーベラさん6人兄弟なんですね‼️にぎやかでしたでしょうね。😊
20代の頃、宮城県沖地震がありました。バスも電車もストップして帰宅の足を失い、仙台の会社からやっとの思いで家にたどり着いたら母は呑気にちらし寿司を作っていたのを思い出しました。ガーベラさんのちらし寿司美味しそう!
折に触れ母を思い出すことが多くなりました。
涙もろく気丈な母でしたがだんだん母に性格まで似てきております。
季節の行事を大切にする母で大らかな人でもありました
母との最期は涙を一杯流しましたがこの歳になってもウルウルしております。
はい生存競争が(笑)激しかったです。
上2人は戦前下4人は戦後生まれです。
皆高齢者に近づいて来ております幸いなことに誰一人病気もせず元気で生活しているのは
母のお陰と思っています。
サラリーマンの父のお陰でもあるのですが母は強です。
一度リタイアされての再度のお仕事大変だろうなあと布団の中で思っておりました。
冬の朝など大変だったでしょう?
お母様の介護とお仕事 それに家事もありますから
でも良かったですねユックリ自由な時間を楽しんで下さい。
地震の多い土地柄ですね もうすぐ3.11が巡ってきます。
起きて欲しくはないですがこればかりは自然任せ此方も南海地震が叫ばれていますが備えるに越したことは無いのでしょう。
hoshikoさんは大きな地震に何度も遭われているのですねー。
春先はちらし寿司を欲する季節ですね 私も真似して作りました 若い頃はご馳走なんて感覚は無かったですが、最近は美味しいから自分で作る、、笑い
その後膝の具合は如何でしょうか
ブログの更新 間がありましたので(私言えませんが)
かなり重症なのではと思っておりました。
お寿司で復帰 良かったです。
そう言えば義母もはんぼ?はんぼう?と言っておりました。
それぞれにお寿司には思い入れがありますねー。
このところ、わが身に起きていることではないけれど、いつの間にか気が付くと身も心をも固くして縮こまっているような状態ですから、こんなお寿司を前にしたら大きく息を吸い込めそうです。
子供のころの七年間島に住んではいましたが、海辺の村ではなかったので、隣町の魚売りのおじさんが自転車に積んだ魚箱で鯵やイワシ、オコゼ、メバル等、その日の獲物を鐘を鳴らしながら売りに来ていました。
エビはめったに手に入りませんでしたからこんな豪華なのはなかなか…でしたが、祖母が鯵やイワシを酢でしめてちょっと地味目のチラシを作ってくれました。
ですから今も握りでも鯵、イワシが一番好きです。
本当に美味しそう。
明るい弥生の日ですね。
わけもなく「おめでとう」って言いたくなります。
具材が手に入り易かったからでしょうか母は特別な日はちらし寿司だったような気がします。
嫁が好きでつい私もホイホイと作っております。
甘酢で味付けしたおからに小魚を酢じめした物で巻いたお寿司(名前が出て来ません)まる寿司でした。
私 お刺身は食べられませんが鰺が好きですあと鰊の煮付け此方では食べられませんが身欠き鰊がたまーに。
太陽の明るさが沈んだ気持ちを和ませてくれています
ソロソロ此方海辺の町は賑やかになりますのでフットワークを軽くせねばと歩き出しました。
東北の春は4月すぎてからですかねー。
そんな思いがありますもう少しの辛抱ですね。有難うございました。