去る8月24日、松任工場の一般公開があり、多くの人でにぎわっていました。
展示車両のなかにいた3機のEF81、彼らは7月ごろに廃車になっていました。
廃車はさみしいですが、惜別の意を込めて過去の写真を見ながら振り返るとしましょう。
※今更かよ…というのは抜きにして、ね。
EF81 101
1974年5月14日に落成、湖西線の貨物列車などの増備として日立製作所で製造された。
新製時から廃車まで104とは所属を共にしている。
2013年3月に松任に運ばれ、プレートを外された状態で留置、7月に廃車された。
ご存知の通り、8月24日に開催された松任工場一般公開で展示された。
「日本海」牽引、「あすか」「わくわく団らん」や糸魚川工臨、天理臨などを牽く大活躍だった。
ちなみに最終下り日本海の牽引機はこの101号機であった。
配9524レのムドについた101。
101とはあまり相性が良くなく、よく撮れた写真がほとんどないorz
8004レを牽く101。結局この最悪なカットが101の現役最後の写真になってしまった。
EF81 104
1974年5月23日に三菱重工業で落成、湖西線の貨物列車増発を目的に製造、敦賀に配置された。
国鉄時代~JR初期まではローピン、その後トワイライトカラーに変更された。
廃車となった3機の中で唯一のトワカマだった。
「トワイライト」のほかにも「日本海」や工臨、「サロンカーなにわ」も牽いた。
8001レを牽いて現れた104。ホントに「普通のトワカマ」だった。
104とは8001レでしか会ってなかったような気がする。
15時ごろの通過だったため晴れた日は逆光に…(これは立ち位置がアレなためそうではないけど構図がorz)
西金沢で遭遇した際に。今も動いている44や114のほうが遭遇確率が多かったように感じる。
8001レを牽く104。このカットが現役時代最後のカットになってしまった。
EF81 107
1974年8月1日に日立製作所で落成、湖西線の貨物列車増発を目的に製造、敦賀に配置された。
「日本海」牽引や工臨、「あすか」などのJT牽引、天理臨牽引も行った。
あの「オリエントエクスプレス88’」が北陸に来たときに先頭に立った機関車でもあった。
8004レを牽く107。ローピンにはブルトレがよく合う。
夕焼けに染まる空をバックに上って来た107の単機。工臨の返しだったようだ。
8004レを牽く107。冬季のため真っ暗orz
最終便上り日本海8004レを牽く107。結局こんな感じに…。
オロネ24-4の配給、配9552レを牽く107。オロネを京都まで持っていった。
工9571レを牽く107。低速で野々市を通過していく。
工9572レを牽く107。チキは4両だった。
ホキ配給、配9227レを牽いて現れた107。まさか最後の仕業になろうとは…。
松任2番線にたたずむ。
この時はローピンを間近で見れてうれしかった記憶がある。
側線へ入る107。
いろんな角度から(あまり変わってないけど^^;)。隣にはDE10 1035がいる。
107を切り離して入場するのかと思いきや、107がパンタを下げた。
そのまま編成が動き出す。
そして吸い込まれるかのごとく、
工場内へ入っていった。
このシーンが107の現役最後のシーンとなった。
廃車、そして松任へ…
クハ489-501が地元へやって来た頃、104がプレートを外されたとの情報が。
そして続くように101が松任へ入場、そのまま動かなくなってしまった。
前にいるのはDE10 1030。後ろの2機が101と104。
この時、107はまだ現役だった。
JRFの19型コンテナが見えるが、その奥にひっそりとたたずむ。
淋しさしかそこにはなかった。
107の入場後、あの中に107も入った。
拡大図。107もプレートが外されていた。
もはや何とも言えない状況。
かつてここにクハ489-501が止まっていた。
その後場所を移動、見えやすい位置に置かれた。
2機のローピンが並ぶ。
しばらくこの位置にいた。
そのあと、留置群から101がいなくなった。松任展示のために引き込まれたと予測。
予測は当たることになるが、予期せぬサプライズがあった。
そのあと107が104と連結され、DE10 1030が見えなくなっていた。
この後さらに移動があったと思われ、そしてあの日を迎える。
松任工場一般公開、最後の晴れ姿!!
101は展示されてるだろうと予測したが、最初に出迎えてくれたのは107と104!!
まさしく「予期せぬサプライズ」だった。
2機ともプレートをしっかり取り付けていた。
そのまま移動したようで連結されていた。
ファンの方々がしきりにカメラを向け、再会を喜んだ。
そして、クハ489-1などを見ながら工場を散策していると、「彼」が目の前に現れた。
101が、そこにいた。
クレーンの演習が行われる棟の中に彼はいた。
屋外に何か月間もいたとは思えないほど色あせはしていなかったように思う。
プレートもしっかりはめられていた。
下には手書きのナンバーが。プレートが外されていた証拠である。
JRマーク。彼もカメラを向けられてスター。とてもうれしかったであろう。
区名札は抜かれていた。
我ながら何度も101の場所に来てしまった。
あまり出会えていなかった分、記録したいという思いが働いた。
エンド表記。2エンド側には検査表記が。
101だけ離れて置かれていたのには、何か理由があったのだろうか。
107。パンタは下がっているが、パーイチのオーラは漂っていた。
「敦」の区名札。104と107には差し込まれていた。
いつでも再起して走れるように見える。
ローピンとトワカマ、同じ形式だけど違うようにも見える(実際連結器は異なっているのですが)。
ここで特別ゲストを。
クハ489-1も梅小路で展示される日を待っているようだ。相方と離れてしまうが、安住の地は決まっている。
別れの時が近づく。
最後に彼らに伝えたかったメッセージを思いながら写真に収めた。
(MT公開の記事でも書いておりますが、ここで改めて書きます。)
「EF81 101様へ
あまり出会うことはできなかったり、きれいに写真に収めてやれなかったことを後悔しております。でも最後に会えてうれしかったです。
定期下り最終日本海を牽引する時の勇姿、しっかりと見せてもらいました。
40年もの間、夢と人、物を運んだ貴方の勇姿は忘れません。お疲れ様でした。」
「EF81 104様へ
トワイライトでしか出会うことはできませんでした。しかし入場してから『もっと撮影しておけばよかった』という思いがこみ上げました。
豪華な客車を牽いて人々の夢、希望を運んだのは間違いありません。ヘッドマークをつけて北陸を行き来したあなたの勇姿は忘れません。
40年もの間、お疲れ様でした。」
「EF81 107様へ
ほとんどは工臨でしたが、幾度となく出会えた機関車でした。『トワイライト』の代走に入って、敦賀で釜変えをされたのは良い思い出です。
もう少し頑張ってくれるかと思いましたが、この機会に出会えてよかったです。
貴方の勇姿は絶対に忘れません。40年もの間お疲れ様でした。」
3機のパーイチに向けてつたない文章ながらメッセージを書きました。
松任公開も終わり、彼らに待ち受けているのは解体という運命かもしれません。
それともクハ489-501のような奇跡が起こるのかもしれません(101にはぜひ起こってもらいたいのですが、どうなるのやら…)。
最後に、101、104、107の3機に『今までありがとうございました!!』の言葉をお送りします。
そして残った敦賀のトワカマ、ローピンたちの末永い活躍を願います!!