縁起笑店

縁起の道も招き猫から
陶芸家猫社長のつれづれコラム
横浜の縁起村から伊豆の満腹村に移住

妖婆死棺の呪い揚志館

2007-08-18 | Weblog
毎日熱戦を繰り広げている夏の高校野球、猫社長はまったくみていない。毎日のニュースで勝敗を知る程度
だけどその中で、勝ち進んでいる高校の名前に興味が湧いた。大分代表揚志館高校。
ソビエト映画に 妖婆死棺の呪いという結構古いけどすごく面白い映画がある。 
古い教会に棺桶にいれられた美しい娘の死体が安置されている。神学校の主人公が娘の父親に頼まれて
三日三晩祈祷をすることになった。だが教会に水木しげるも真っ青なくらいおぞましい妖怪達が
次から次へと表れて主人公に襲いかかるという世にも恐ろしい話なんだけど、最初にみたときはもう
怖くて震えてしまった。見たい人がいるかもしれないから結末は内緒。
甲子園での揚志棺高校の活躍が猫社長にこの傑作映画 妖婆死棺の呪い を連想させた。
妖婆死棺の呪いを短くするとようしかん、今って何でも縮める風潮があるから、さしずめこの映画も
ねえねえヨウシカンもうみた?てなことになる。この二つに関連性はまったくないけど。
今年の高校野球は絶対揚志館を応援するぞ。妖怪パワーで優勝も夢ではないかも。
がんばれ 妖婆死棺の呪い揚志館高校。名は体を表すっていうでしょ。フレーフレー。

山形市の逆襲

2007-08-17 | Weblog
多治見と熊谷に最高気温記録をやぶられてしまった山形市、74年守ってきただけあって、山形の人は
どうもくやしさがあるらしい。どうでもいいことのように思うのだけどやはり何でも1番は嬉しいのだ。
山形市民が王座奪還をめざすとしたら、こんな感じでいくのはどうか。
朝から30度を超えた。風もない、上空に雲もない。午後2時、気温が一番高くなるといわれている時間
になった。市民はいっせいにストーブ、ガスに点火する。車のエンジンをかけ、エアコンをいれる。
みるみる気温は上昇、やった、40.9度に到達だ。いいやまだまだ、たき火だたき火だ薪もってこい。
この際だから記録を更新しよう。市民がたいまつを持って町中を駆け抜ける。41度、新記録だ。
その直後人々はばたばたと倒れた。
縁起村でも明日からちょっとは涼しくなると気象予報士はいっているけどほんと?頼みますよ。

今日の記念日は

2007-08-16 | Weblog
8月16日は全国的に女子大生の日、大正2年東北帝国大学(東北大学)の試験に3人の女性が合格した。
こんなこと誰でも知っている、うそ。今では女子大生は大腸菌のごとくうようよいるけど、当時は
梨の木に真っ赤なりんごが3つなっているくらい目立っていたのだろう。
そしてもうひとつ、この日40.9度の最高温度の記録が出た。気温の記録更新は陸上男子100メートルの
記録を0.01秒更新するより簡単になしとげてしまった。気温の記録更新は100メートルと違い個人の
力では無理だ。みんながエネルギーを一生懸命使って温度上昇に貢献しなければこの記録は作れない。
まさにチームワークのたまもの、さあ猛暑最高記録更新記念の美酒を味わおう。明日もがんばれ。
ビールがうまいぞ。
世界陸上の選手達、大阪の暑さにまいってないか心配だ。

野生の証明

2007-08-15 | Weblog
子鹿ちゃんと久しぶりに玉川高島屋でランチ、デパート内はお盆休みなのにどこにも行けない
猫社長みたいな人々がうじゃうじゃいるので外に出た。外は灼熱地獄、こんな時はちょっとでも
表にでたくないという深層心理を読み、あえて敢行。予想は的中、たぶんいつもなら混雑しているだろう
レストランがどこも空いている。てなことで猫社長と子鹿ちゃんはゆっくり食事を楽しめたって訳だ。
片足をもぎ取られたまま2キロも走行していたバイクのおじさん。今自分が日本で超有名人に
なっていることを聞いてどう感じているだろうか。人間の底力ってあなどれない、文明が発達して
無くしてしまったと思っていた野生の能力が実は体の中にはいまだに眠っているのだ。
こういう能力は無意識だから発揮できだんだろう。
昔の人は言いました。火事場の馬鹿力。心頭を滅却すれば火もまた涼し、
これに懲りず怪我を治してまたツーリングを開始してほしいと猫社長は願う。

納豆売りの少女

2007-08-14 | Weblog
猫社長のおばあちゃんは猫ばばあだ。明治生まれ、今はもういない、猫ばばあは猫じじいとの間に8人の
子供をもうけた。猫じじいは酒好きで当然家は貧乏だった。それでも納豆売りの少女がいつも最後に
猫ばばあの家へ納豆を売りにくれば全部買ってあげていたそうだ。あっぱれ猫ばばあ、
昔は人を思いやる情けがたっぷりあったのだ。
納豆売りの少女も家が貧しかったので家計の足しに働いていたのだろう。だが彼女はその後
近くの花街に売られて行ってしまったそうだ。悲しいかな戦前にはこういう話はよくあった。
猫ばばあの子供たちは極貧だったにもかかわらずどこかへ売り飛ばされることもなく
大きくなって皆独立して行った。その中の一人が猫社長の婆猫だ。
さてここからは猫社長の想像だけど、納豆売りの少女は終戦後東京へ行き、花街で蓄えたお金で
青山に土地を買って小さな定食屋を始めた。料理の味と愛嬌で店は繁盛し彼女は小さな
アパートを建て賃貸経営にも乗り出した。まじめにこつこつ仕事をこなしながら、お金が貯まると
土地を買いまたアパートを建てた。そんな時、日本にバブルがやってきた。彼女は青山のアパートを全部
売った。彼女のてもとには何百億というお金が入った。元納豆売りのおばさんは今度は麻布十番に住宅権
店舗を買って飲み屋を始めた。でもこんどは好きなときに店を開け、毎日十番温泉に浸かり、
孫に時々お小遣いをあげるおばあさんになった。浪花屋がまだ有名になる前はその日売れ残った
鯛焼きを全部買ったそうだ。これでいいのだ。