北杜夫著「どくとるマンボウ青春期」に以下のような一節があります。
(引用開始)
彼は『ドイツ単語四千語』という単語集をとうに暗記してしまって、今度は『一万語』というのをやりだした。知っている単語は赤鉛筆で塗りつぶし、おそらく受験には不必要であろう残ったむずかしい単語をせっせと暗記していた。
私もそれを見ていると不安になって、同じく『一万語』を買ってきて、彼と共通でやりだした。二人が会うと、お互に教科書なんぞに出てこない単語を知っているかと問いあうのだった。
あるとき彼がふと真剣に言った。
「パピアってなんだっけ?」
私にもそれがわからなかった。
「よく聞いた言葉のようだが・・・」
二人は考え込み、ずいぶんと時間が経ち、ついに彼が叫んだ。
「馬鹿、パピアは紙じゃないか!」
私たちはあきれ返った視線を見交わした。役立たずの滅多に出てこない単語を覚えるのに夢中になりすぎ、一年の教科書の冒頭に出てくるような単語を忘れてしまっているのだ。
「これは大変なことだぞ、お前さん」
「一万語はやめて、四千語をもう一度やるか」
(引用終了)
ドイツ語単語の暗記に熱中していた北杜夫氏も、独独辞典を使っていればこんな悲喜劇を避けられたかもしれません。これは極端な例にしても、英和であれ独和であれいつまでも全面的に「和」を介在させたままの外国語学習では、よほどの努力がなければ伸び悩むことが多いです。難しい単語に取り組んでいるうちにやさしい単語を忘れてしまった経験は多くの外国語学習者に共通するものでしょう。しかし、英英辞典のように外国語だけで書かれた辞書を使って日常的に多読を実践していればまずやさしい単語を忘れるようなことはなく、効率よく外国語力を伸ばせます。
(引用開始)
彼は『ドイツ単語四千語』という単語集をとうに暗記してしまって、今度は『一万語』というのをやりだした。知っている単語は赤鉛筆で塗りつぶし、おそらく受験には不必要であろう残ったむずかしい単語をせっせと暗記していた。
私もそれを見ていると不安になって、同じく『一万語』を買ってきて、彼と共通でやりだした。二人が会うと、お互に教科書なんぞに出てこない単語を知っているかと問いあうのだった。
あるとき彼がふと真剣に言った。
「パピアってなんだっけ?」
私にもそれがわからなかった。
「よく聞いた言葉のようだが・・・」
二人は考え込み、ずいぶんと時間が経ち、ついに彼が叫んだ。
「馬鹿、パピアは紙じゃないか!」
私たちはあきれ返った視線を見交わした。役立たずの滅多に出てこない単語を覚えるのに夢中になりすぎ、一年の教科書の冒頭に出てくるような単語を忘れてしまっているのだ。
「これは大変なことだぞ、お前さん」
「一万語はやめて、四千語をもう一度やるか」
(引用終了)
ドイツ語単語の暗記に熱中していた北杜夫氏も、独独辞典を使っていればこんな悲喜劇を避けられたかもしれません。これは極端な例にしても、英和であれ独和であれいつまでも全面的に「和」を介在させたままの外国語学習では、よほどの努力がなければ伸び悩むことが多いです。難しい単語に取り組んでいるうちにやさしい単語を忘れてしまった経験は多くの外国語学習者に共通するものでしょう。しかし、英英辞典のように外国語だけで書かれた辞書を使って日常的に多読を実践していればまずやさしい単語を忘れるようなことはなく、効率よく外国語力を伸ばせます。
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