皆さまこんにちは~(*◎U∀Up)q♪チワァ♪
今日から12月。
今年も残すところ1ヶ月を切りました
ホント、1年って早いものです
残り1ヶ月、今年1年を振り返りつつ・・・
来る年に向けての準備もしっかりとしていきましょう
ということで、今回は前回の『今伝えたいこと』シリーズの記事、
「なぜ飴なの?これが問題の構造(・ω・)b」
で最後に書いた、
問題を創り出している大本の原因である過去の心の傷、インナーチャイルドを癒し、統合する具体的な方法のお話しです(・ω・)/デス
と・・・その前に、今日は基本の大事なお話を。。
物事、どんなことでもまず最初に基本となるものがあります
野球でいえばキャッチボールやバッティング
サッカーならパスやドリブル
スポーツのみならず、どんなことでも基本や基礎となるものがあり・・・
その基本や基礎をスッ飛ばして高度な技術を覚えようとしても。。
試合などの実践を行っても。。
当然ながら、
思うような結果を得ることは難しいものです
ヽ(´・`)ノ フッ
わたしがブログで書いている、
自我の持つ残念な創造パターンであり、現実に問題を起こすお決まりの残念なパターンである観念を見つけて解消する『エゴの解放』も。。
前回のシリーズで書いたように、今回のテーマでもある
その残念なパターンである観念を持つに至った大本の原因となる過去に受けた心の傷、そしてインナーチャイルドを癒すにしても。。
野球やサッカーと同じように、まず、基本をしっかりと築く必要があります。
それが自己愛
いま現在のありのままの自分をそのまま認めることができるか
自分の持つ、いろんな嫌な部分も全部含めて、その状態で自分自身に
大丈夫嫌な部分はまだまだ沢山あるけど、それでもわたしは今のこのわたしが好き
と言えることができるか
まずはここからが始まりです。
今の自分を認めることができないのに、心に傷を負った過去の自分を認めることはまず、できません
それ以前に、嫌な部分を含めて、今の自分と真っ向から向き合うことができないのに、過去の傷を直視することはとても難しいでしょう。
結局、どんなに素晴らしいヒーリングや自己鍛錬のテクニックを覚えても、現在の自分の嫌な部分、自分自身だと認めたくない部分を切り捨てて、あるいは目を瞑って
これならまぁ、許せるかな
という部分を寄せ集めて作った自分。
そんな取り繕った自分の状態からでは、素晴らしいヒーリングを受けても・・・
本来の効果を享受することは難しく。。
まぁ、この場合だと、それがちゃんとしたヒーリングのモノであるなら結局は
最初に自己愛を築くことから入ることになるので、本来の効果を得るまでに時間がかかることになりますし。。
自己鍛錬的な、例えばこのブログでいえば『エゴの解放』のようなものですが
こういった類のテクニックを覚えた場合。。
なまじ、テクニックを覚えることで、出来る自分を錯覚してしまい・・・
場合によってはせっかくの自己鍛錬のはずのテクニックが自分のパワーだと勘違いしてしまう。。
という危険もあります。
いずれにしても、基本をしっかりと構築しないまま、テクニックや理論を学んでもそれは砂の上に建物を建てるようなもので、非常に不安定で何かの拍子にあっけなく崩壊してしまいます。
ごちゃごちゃ書きましたが、何はともあれまずは
自己愛をしっかりと構築しましょう
ということで、このブログを読んでくださっている皆さま、
『鏡のワーク』もぅされましたでしょうか
朝、顔を洗う時・・・日中、鏡を見たとき・・・
鏡に映る自分の目をしっかり見て
わたしって可愛い
と自分自身に声をかける(声に出さず心の中で言うのも可)というもの
とっても簡単でお手軽だけど、実はとぉ~ってもパワフルな自己愛メソッドです
毎日欠かさずしっかりと取り組むことによって自分自身の中に確たる芯が構築されます。
その芯とは
自分自身への信頼
過去の自分と向き合うにしても・・・
過去の傷を飴のように舐めて溶かし、自分自身に統合するしても・・・
まずは、自分自身への信頼、自信があってこそ出来るもの
どんな自分でも認めることのできる強さ
どんな傷でも向き合い、受け入れることのできる強さ
それらは今の自分自身にしっかりと信頼を持っていてこそできること。
なので、『鏡のワーク』をまだされていない方はこの機会にぜひ、お試しを
すでにされた方は、強化の意味を込めて今一度取り組まれると好いかもかも
今日は癒し統合を行う前に、基礎のお話しでした。
(・ω・)/チャオ
皆さまこんにちは~(*・д・)ノ*:゜★こんにちヮ☆・゜:*:゜
今日は予定だと『エゴの解放』シリーズの最後のまとめ・・・となるのですが、先週末にある情報を耳にしまして。。
それは・・・というと、今週に控えた冬至についてのことです。
今年の冬至はやっぱりかつてない、重要な日のようでして、
このことについてはまたアメブロのアメ限記事にて詳しく書きますが、
その特別で重要な冬至に向けての準備として、皆さまにはぜひ取り組んでいただきたいな。
思うことがあります。
それを最優先で記事にすることにしました。
そのぜひ、「取り組んでいただきたい」というのが、お題にある「恐れ」についてのこと
スピでも「恐れ」に関しては結構、重要事項として扱われています。
まぁ、ウキウキワクワクで豊かな人生を創造するにあたって、ネックとなるのがこの「恐れ」なわけでして、
自分がより良い方向へ変化しよう
と心に決めても、イザそのきっかけがやってくると、
やっぱり今まで通りでいいやぁ~(T▽T;)
なんてことになって、結局、同じ場所へ踏みとどまってしまうのもひとえには、
未知の変化に対する恐れから。。
ということで、エンジェルセラピーとかの天使系では、
恐れを手放すよう前向きなアファメーションを唱え、
天使に恐れを手放せるよう助けてもらいましょう
という内容のことがよく書籍などで書かれています。
がっ
とにかく、今回は今週の金曜日にある冬至までになんとかある程度、
この「恐れ」を解消していきたいので、そんな悠長なことは致しません
かなりグイグイと自分の中に切り込んでいきます
でわ、急ぎ足ですが早速いってみましょう
まず、ノートを用意します。
そのノートにいま、
自分がこうなったらいいな あるいは こうなりたい
と思うことを書き出して下さい。
何個でも、思いつく限り。。
そして、その中でも自分が特に叶えたい願望には赤マルか
何かでチェックを入れて下さい。
痩せてスタイルが良くなりたい・・・
恋人が欲しい・・・
お金が欲しい・・・
もっと仕事でちゃんと評価してもらいたい・・・
自分に合った仕事に就きたい・・・
家族が健康でいてほしい・・・
などいろいろあると思います。
書きだしたでしょうか
でわ、その書き出したものをよ~く見て下さい。
それがあなたの持つ「恐れ」です。
痩せてスタイルが良くなりたい・・・という願望には、
太っていること、太ることに対する恐れが。。
恋人が欲しい・・・という願望には、
恋人ができず、ずっと独りでいることに対する恐れが。。
お金が欲しい・・・という願望には、
お金がないことへの恐れが。。
もっと仕事でちゃんと評価してほしい・・・という願望には、
正当な評価をされないことへの恐れが。。
というように、それぞれの願望にはその
真逆の現実になることに対する「恐れ」が潜んでいます。
つまり
願望とは恐れを隠す、あるいは恐れを抑え込むためのモノ
といえます。
先ほど赤マルでチェックした願望はそれだけ「強い恐れがある」ということです。
そしてその関係をみると、
恐れと願望は陰(ネガティブ)と陽(ポジティブ)の関係といえます。
ということは・・・です
陰陽の関係であるなら、解消するには『エゴの解放』が一番
なぜ『エゴの解放』が良いのかはコチラの記事に書いていますので詳しくはソチラをお読みください。
ということで、皆さまが書き出したそれぞれの願望に対して
『エゴの解放』をできるところまで行っていってください。
ただ、方法は少し簡略化します。
今までは1層ごとにポジティブな願望である☆と対する
ネガティブな隠れ願望である★をそれぞれ出していきました。
今回は簡略化ということで、先にポジティブな願望の方を探っていきます。
例えば、
「お金が欲しい」という願望でやってみましょう。
スタートである1層目の☆は
☆1 お金が欲しい
となり、第2層目は、
お金があるとどんな良いことがあるなんでお金が欲しいの
ということを考えます。
すると、その答えは・・・お金があると安心して生活ができるから・・・
という答えが浮かんだとします。(←この答えは皆さまそれぞれによって違うと思います)
すると2層目の☆は
☆2 安心して生活したい
となります。
次の3層目も2層目と同じように
安心して生活できるとどんな良いことがあるなんで安心して生活したいの
という問いを元に考えると、その答えは
心穏やかに過ごしたいから・・・
という答えが出たとすると、3層目の☆は
☆3 心穏やかにすごしたい
となります。
このあたりでカナリ核心に近づきました
でわ、第2、第3層の☆を真逆にして、対するネガティブな裏願望を出します。
すると、第2層の裏願望である★は
★2 不安を抱えて生活したい
となり、さらに3層目の★は・・・というと対の☆が「心穏やかに」ということなので、
その真逆を考えると、常に心に波が立っているような、ざわついたような感じ。。
それを表す言葉を考えると、「戦々恐々」という言葉なんてどうでしょう
中々心打つモノがありますヒヒッ
ということで
★3 戦々恐々としていたい
となります。
さて、ここでいったん区切って、「恐れ」という感情について見てましょう。
まず、一番最初、自分が
こうなったらいいな あるいは こうしたい
という願望にはその真逆である「恐れ」が潜んでいる。。
と書きました。
その真逆の「恐れ」とは、『エゴの解放』を使ってみると、
実は表向きのポジティブな願望に対するネガティブな裏願望である。
ということが分かります。
つまり、「恐れ」とは自我が勝手にどかで勘違いしてしまったはた迷惑な裏願望。。
表向きのポジティブ願望=恐れ=自我の持つネガティブな裏願望
ということ
なので、恐れを解消するには『エゴの解放』を使って、恐れの正体を探り、
セドナメソッドで解放するがヨロシ
そんなわけで、ぜひ、冬至まで一つでも多く「恐れ」を解消していって、来るべき日を迎えていただきたいな
と思います。
駆け足で書いてしまいましたが、今回のこの「恐れ」の解消は本当に大切なことなので、
もしやってみてわからなくなったり、
これで大丈夫
というようなことがあればどうぞお気軽にコメ欄に問い合わせてください。
添削、お手伝い、できる限りさせていただきます
皆さまこんにちは~(*・д・)ノ*:゜★こんにちヮ☆・゜:*:゜
いやぁ~毎度のことながら、前回の記事は前置きが長くて結局また、続きものになってしまいました。。(`-д-;)ゞスマンソ・・・
今回はあまり、引っ張らないように、チャッチャと本題へ入りましょう
自分自身の遠い遠い昔、記憶なんてほとんどない、幼少期の頃に持った
自分の感情を癒している最中、ずっと感じていたことがありました。
それは「怒り」についてのこと。。
幼少期の頃のことなんざ、フツー覚えていることなんて稀ですよね
だから、わたしの場合は『エゴの解放』の大基になっている『天地統心法』を使って、
表の、つまり・・・自分が認識できる表層意識から奥に降りて行って、そこのある地点に出てきたキーワードから幼少期の自分にアクセスしました。。
このあたりのやり方は自己流です。
で、『天地統心法』を使って奥に降りていく中で、浮かんでくる感情はどれも「怒り」に関連するものばかり・・・。
まぁ、確かにわたしの性格上、当たり前といえば当たり前なんですが。。
で、その「怒り」というのは・・・といえば、それは
自分を蔑(さげす)む人への怒り
であったり、
人から疎まれた自分自身に対する怒り
であったり・・・なんですが、面白いことに表層意識に近いものほど、
怒りの矛先は「他人」に対してだったものが、奥に進むにつれて、次第に矛先が「自分自身」へと変わり・・・
で、さらに奥に進むと・・・そこにあるのは
悲しみ
でした。。
自分を理解されない悲しみ・・・
自分を受け入れてもらえない悲しみ・・・
大きく分けるとこの2つの悲しみが深く、深く根付いていました。。
そう。
幼少期の時分、一番に理解してほしい人に自分を理解されず・・・
一番に自分のことを愛してくれて、ありのままのあなたでいいんだよ。
と言ってほしかった人からNOを突き付けられて自分を否定された・・・
そんな悲しみ。。
一番に理解してほしい人、受け入れてほしかった人というのは、親(特に父)なんですがね。
きっと、その時に受けた心の傷と、悲しみが根底にあって、後々、なにか事あるたびに
その傷が疼いて、ソレが「怒り」となって表れたのかなと思うのです。
例えば・・・
駅のエスカレーター待ちの列に割り込みされた(#`Д´)ノゴルァァァァァ!!
上司や客先の筋の通らない理不尽さで残業を余儀なくされた(ノ`Д´)ノ キィィィ
マンションの上階の子供が夜、夜中に走り回って睡眠を妨害される(メ゜皿゜)フンガー
というのもよくよく探っていけば、ソコには自分が蔑ろにされた「怒り」があり、さらにその奥には・・・というと、結局、
自分を理解されない悲しみ・・・
自分を受け入れてもらえない悲しみ・・・
に行き着いた。。
わけなんです(・ω・)/
で、今回、目出度くも長年抱えていた、根底にあるこの2つの悲しみに気づき、癒していったことで、なんとまぁ
+.(ノ。’▽’)ノ*.オオォォ☆゜・:*☆
今までこんな時なら確実にイラッときていたなぁ~
ということが、まぁ~ったくなぁ~んにも思わなくなったんです
.+:。 オオォヾ(◎´∀`◎)ノォォッ 。:+.
そんなことがありまして、わたしが思うに、「怒り」ってその奥には
何らかの「悲しみ」が潜んでいて。。
その「悲しみ」の大本は・・・というと、
それはどうやら
自分が人との関係を築いていく中で受けた心の傷から来ている
もよう。。
ま、今後、「怒り」を感じたら、
幼少期の自分を振り返るべし
ってところでしょうか(・ω・)/
皆さまこんにちは~(o´・ω・`o)ノ ンチャ!!
先月の半ばくらいにわたし自身の根幹にある、どデカい傷に気づいてから、モノの見方、
捉え方、感じ方が驚くほど変わりまして。。
その中で、わたしが長年、手を焼いてきた『怒り』の感情について、自分なりに理解したことがありまして、今回はそのことを書こうと思います。
わたしは本当に気性が荒い激しい性格でして・・・
日常の些細なことでいつもブチブチとキレたり、イラッとしていました。。
まぁ、一応、子供ではないので、その怒りをそのまま表にドカンと表すことはなく。。
というよりも、小学校時代のある時から感情を持つこと、感じることをフリーズさせてしまい、
そのこともあって、怒りを感じても即座になかったことにしてしまう。。
ということを常としていました。
で、紆余紆余曲折ありまして・・・
このアタリのことは『わたしの履歴書』シリーズ(記事はコチラ)に詳しく書いてありますので、ご興味のある方はソチラをお読みいただければと思います。
で、まぁ、感情というもの、
特にネガティブな感情は自分がその感情を認めて手放さない限りは、いつまでも、
その感情を持った当時の状態のまま、身体のみぞおちの部分に蓄積されている。。
ということを随分と昔に何人かの方から伺い、知るところとなったわけなんですが。。
知ったところで、その話を聞いた当時のわたしは
「感情を認めて手放す」ということがどーいうことなのか
一体、どーやればいいのか
ということがとんとわからなかったもので、まったくお手上げ状態で、
わかっちゃいるけどねぇ~・・・(´・ω・`)
ということで、相変わらず感情をフリーズし続けておりまして。。
で、みぞおちの部分に蓄積された感情、というものにはアル特性がありまして。。
それは・・・
蓄積された感情は、認めて手放されるまでその存在をアピールするように
同じ性質の感情を起こす出来事を引き寄ということ。
つまり・・・みぞおちに蓄積された感情が、「悲しみ」というものであれば、その「悲しみ」は本人が認めて手放すまで、
さらに「悲しみ」を感じるような出来事を引き寄せる。。
わけ。
で、わたしの場合は冒頭にあるように他人と比べてもだいぶ気性が荒いせいか、年がら年中、
些細なことで、イラッと「怒り」を持ちやすいするものだからもぅ、大変
怒りが怒りを呼ぶ
というわけですな・・・ヽ(´・`)ノ フッ
そんなんだから、こと「怒り」に関してはホントーにもぅ散々、手を焼いてきましてん。
ま、セドナメソッドに出会ったことで、感情の取扱い・・・認めて手放す、
ということができるようになったから、感情をフリーズさせる必要もなくなったわけで、
これで、万事
と思いきや
ノ( ̄0 ̄;)\オー!!ノー!!!!
思わぬ落とし穴があったんですゎ
それが、感情のもう一つの特性。。
ネガティブな感情は
自分がその感情を認めて手放さない限りは、いつまでも、
その感情を持った当時の状態のまま、身体のみぞおちの部分に蓄積されている。。
という部分。
これが何を意味するのか
というと・・・
感情には時間の概念というものがない
ということで、つまり、
幼少期のことなど、自分でもまったく記憶にないふっる~い昔の心の傷も、
その時に持った感情もその当時のまま、存在している。。
ということなんです
この、幼少期の傷ついた状態の感情をたぶん、インナーチャイルドと呼ぶんだと思うのですが。
先日、わたしが体験したこと(記事はコチラ)は
そのインナーチャイルドに気づいて、癒したということなんぢゃないかな
と思うのですが、癒している最中感じたことがあります。
それは・・・
スイマンソ
長くなったので、次回へ続きます
怒りや嫉妬、自己嫌悪などのネガティブな感情を感じると、つい、自分の中に押し込んで臭いものにフタをするように無かった事にしてしまう・・・。
そんな人、結構、多いと思います。
かくいう、わたしも以前はそうでした
でも、無かった事にして自分の中に仕舞い込んでも、ネガティブな感情というものは自分がその存在を認めて手放さない限りは決して消えることはないし、むしろ、自分が手放すまで同じ性質の感情が起こるような出来事を引き寄せます
たとえば、駅のホームですれ違いざまにぶつかられて、イラっとしても、そのイラっとした感情を無かった事にしてしまうと、無視されたその【怒り】の感情は、さらにもっとイラっくる状況をこれでもかっ という具合に呼び込み続けます。
でも、コレにはきちんとした理由があるのです。
そのヒントは・・・
以前に書いた『本質に戻る』の記事(コチラ)です。
http://blog.goo.ne.jp/epicurean1974/e/5fb96994d5339e34a0d3bca00d3de5d1
わたし達の本質とはウキウキワクワクで幸せ一杯の心。
だから、
怒りや嫉妬、悲しみや自己嫌悪などの感情は本質とは違うもの。
別の見方をすれば、これらのネガティブな感情を持ったということは本質から外れてしまっている、ということになります。
ネガティブな感情というのはつまり・・・
あ、いまイラってしてるな~。ということは・・・本質から外れちゃっているな~
という、お知らせセンサーみたいな役割を果たしているのです。
このセンサーは、きちんと気づいてスイッチをOFFにしなければ、スイッチがOFFになるまで音がドンドン大きくなる目覚まし時計のようなもの。
センサーに引っかかった感情をきちんと認めて手放すことが、目覚まし時計のスイッチをOFFにすることになります。
だから、認めて手放すまで、コレでもかっ と、状況を気づくまでエスカレートさせて引き寄せるのです。
これが、カラクリ。
でも、これから益々本質に戻ることが求められていく中で、このセンサーはとても役に立つ優れもの
だって、自分が本質から外れているということを正確に教えてくれるわけですから
そんなわけで、ネガティブな感情というのは
いま、あなたは本質から外れてしまっていますよ
ということを教えてくれるセンサーのようなものなので、
その感情を持ったということで自分をジャッジしたり(裁いたり)自己批判したり、その状況を分析する必要なんて全くないし、すること自体がナンセンス。
木から柿が落ちたのを見て
なんで落ちちゃったんだろう~
わたしの何がいけなかったんだろう~
と悩むようなもの。
柿が木から落ちたのは実が熟したか、風などの物理的な力が働いたからであって、その理由をイチイチ分析したり、反省しても・・・ねぇ~
それよりも柿が落ちた、という事実を認めて、あとはほかの実っている柿を収穫すればいいだけのこと。
怒ったり、悲しくなったり、あ~あ、またやっちゃった・・・と自己嫌悪しても別に良いんです。
一杯ムカついて、ケッ っとなっても・・・
悲しくて悲しくて打ちひしがれても・・・
その感情を無かった事にせずに、しっかりと感じて、あとは認めて手放せば良いだけ。
いっぱい体験して、いっぱい感じて味わう・・・
コレこそがわたし達の魂の目的(記事はコチラ)。
http://blog.goo.ne.jp/epicurean1974/e/07904a08ccc8b75dee20e7e05da03e32
感じて味わったら、ジャッジや自己批判をせずに認めて手放して、また本質に戻る。
コレが感情との上手な付き合い方
ネガティブな感情も恐れることなかれ