皆さまこんにちは~(ノo´・∀・)ノ゛ ⌒☆:*:+・んちゃぁ・+:*゜☆
今日は冷たい雨が降っている横浜。
例年なら乾燥した冬晴れが続いて空気がカラカラに乾いた日が続くのですが。
今年はコンスタントに雨が降っています。
なのでいつもの年よりもお肌の乾燥がそれほど気にならないのがチト嬉しかったりして。。ウフフッ
そ~んなどーでもいい話はさておいて・・・(・・*)ノ ⌒◇ポイッ
今日は「尊敬」と「崇拝」についてす(・ω・)/デス
先日。
個人セッションで話の流れから「尊敬」と「崇拝」の違いをお話しさせていただきました。
まぁ、個人セッションでのお話しなので詳しい内容は割愛しますが。
自分が
この人スゴイ素晴らしい
と尊敬する人ってどんな方でも皆それぞれ、いると思うんです。
ただ・・・
その「尊敬」する気持ちが「崇拝」になってしまっている方も多いのかな
って思います。
特に、今迄の時代は封建型の縦社会だったから。
尊敬される人、つまりその人にとって先生となる人はピラミッドの上の方にいて仰ぎ見るような状態とされて。
必然的に
尊敬=崇拝
という図式になってしまっていたのかなぁ~なんて思います。
社会一般的に指す「尊敬」も映像で例えると上記のような
ピラミッドの上の方にいて仰ぎ見るような状態
を「尊敬」することだとされていたように感じます。
でも、本来の「尊敬」は。
映像で例えるとまず、基本。
ピラミッドではなく。
平たい平地の状態で。
そこに一人一人がそれぞれ立って(自立して)いて。
同じ高さの目線であるということ
ただ。
先生と生徒の違いは
同じ高さの目線で在りながらも。
先生は生徒がこれから辿るであろうその先を行っている。
いわば先人。
だから生徒もその道を辿ればいずれはかつて自分の尊敬する先生が立っていた場所に立つことになるわけで。
先生は・・・というとかつて自分も生徒であって、いま、生徒がいるところにかつて自分もいたわけだから生徒のキモチや立場もわかる。
そして。
ピラミッド型との一番の違いは目線の高さが同じだから。
下とか上という概念はないわけ。
当然、仰ぎ見るというカンジではない
だから
四の五の言わず、わたしの言うことを信じてついて来ればいいのよぉ~
先生の言うことをちゃんと聞いてその通りにすればいいの
と自分の考えや気持ちは置いといて。。
(・x・ノ)ノ⌒ポイッ
尊敬する先生の言うことさえ聞けば万事
という昔ながらに考えられていた「尊敬」とは大分意味合いが違いますね。
でも、この昔ながらの「尊敬」のケースだと。
つまり。
あとあとになって
信じていたのに~
そんな人だと思わなかった~
となっても。
自分は尊敬した人の言うとおりにして騙された被害者である
から
結果、何か起きてもそれは
自分を騙したその人の所為
にできる
わけですね~
この昔ながらの「尊敬」のカタチこそがピラミッド式の縦型社会の在りようで。
(目上って言葉がまさしくそうですね)
そこでの先生に対する「尊敬」は
自分が信じた人に自分の全権を委ねる
という
「依存」を生じさせる「信仰」に他ならない
そしてそこには主従関係も発生する。。と。
いうわけ。
でも、それって「尊敬」というよりも「崇拝」ですよね
(宗教と同じよね~)
この従来のピラミッド型の「尊敬」(という名の「崇拝」)の良い点()は。
とにかく。
自分がこの人と決めた人についてさえ行けば。
あとはその人の言う通りにしていれば
という自分の責任が発生しない事
ある意味。
楽っちゃ~楽ですね。
でも
本来の「尊敬」は基本、
自分自身がきちんと自立して
尊敬する人と同じ目線で相対している
(上下関係や主従関係ではないということ)
ということが前提なので当然、
尊敬している人が間違ったことをして、自分もまたそれに従うことによって被害があったとしても
(どんなに素晴らしい人でも人間なのだから当然、時には間違うこともあるでしょうし、時としてあらぬ方向へと行ってしまう方も中にはいるでしょう)
それは
尊敬した人の責任ではなく
従うことを決めた、選んだ自分自身の責任
となるわけ。
ある意味、他人の所為にできない分、厳しいです。
まぁ、いずれにしても。
本来の「尊敬」は
相手を「尊敬」する自分自身がまずしっかりと自立していることが前提
でのこと
自分が自立できていない状態での「尊敬」は「崇拝」となってしまい。
「尊敬」する人の発することは宗教の「信仰」と同じ状態で受け取ることになります。
だから
尊敬する人が自分の崇拝していることと違っていたとき
ショックを受けたり失望したりする
のです。
因みに。
本当の意味での「尊敬」であれば。
ショックにもならないし。
期待を裏切られた気持ちにもなりません
もし、皆さまが尊敬する方に対して何か違うなぁ~と感じたとき。
その何か違うという違和感がハッキリと間違いだったと認めざるを得なくなったとき。
尊敬するその方に対して自分の期待を裏切られたような。
ガッカリした気分になったり。。
そのことに強くショックを受けたりした場合。
それは
「尊敬」ではなく「崇拝」していた
ということになります。
「尊敬」と「崇拝」はまったくの別物です
「尊敬」は自分自身のモチベーション(波動)を上げますが「崇拝」は「依存」となり自分自身の波動を下げます。
ぜひ一度。
ご自分の尊敬する方への気持ちが本当に「尊敬」なのか
それとも
「尊敬」という名の「崇拝」なのか
確認されてみると良いかと思います。
その時は自立についても一緒に、考えてみてくださいね(・ω・)/
「尊敬」はしても「崇拝」はしないようにね
「崇拝」はダメよ~ダメダメ
先日、個人セッションにお越しいただいたK様から
お誕生日ですね
とお誕生日プレゼントを頂きました
誕生日をお祝いされるって幾つになっても嬉しいものですね
K様ありがとうございます
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