バーニーズ物語☆エリン舎

バーニーズブリーダーとして、今年の8月で27年。
健康でバランスのとれたバーニーズを世の中に

10月16日(日)

2005年10月16日 22時16分32秒 | 虹の橋

OBが歩くけるようになって、1ヶ月が過ぎた。朝からブルースの元気がない。1口も食べない。熱を測ったが37度台で正常。吐く様子もない。1ヶ月前の健康診断では、血液、尿、超音波とも異常がなかったが、急いで病院に連れて行く。診療開始時間の9時から夕方6時までかかった。「子宮が腫れている以外に異常はありませんでした。ホルモン治療をするかどうかは、2~3日様子を見てからにしましょう。」と言われて、ホッとして帰ってきた。
しかし、帰ってきてからも全く食べない。寝てはいないが、ボーとしている。検査の疲れなのか?とも思ったが、好きなチーズも見向きもせず、目の大きいブルース目が、より大きくなっている気がして、朝が来るのを待ってまた連れて行く。
「熱があるので冷やします。点滴をして熱を下げて様子を見ましょう。」と言われ預けた。病院まで約40分かかる。やっと犬舎に到着すると「痙攣を起こして、危篤状態です。すぐに来てください」と病院から連絡があった。え?誰?と思った。心臓が口から出そうになりながら今来た道を戻った。なぜ危篤状態?昨日はボーとしたブルースの体を抱きしめても熱くなかった。どこに異常があったのか?
病院に到着すると人工呼吸器をつけられて物体になっているブルースがいた。
「機械をはずすと呼吸は停止します。心臓も止まると思います。他にやることはありません。」と言われた。
学校の用事で出かけている青島に電話すると「誰が危篤?呼吸器って?はずすって何を?」意味がわからないらしく何度も説明をした。「苦しそうならはずして~」と言われた。目の前にいるブルースは、ブルースではない。不自然な大きい呼吸は、あの上品なブルースに似合わない。「ブルース、はずすけどいい?」と答えがあるはずもないのに聞いた。
人口呼吸をはずすと辛うじて動いている心臓も止まった。

10月15日(土)

2005年10月15日 22時33分29秒 | 日々のわんこ
のちのち
プレマに行った次の日に奇跡は起きた。それまで助けて立たせてなくては、立てずにいたOBが、自ら立ち、以前のように歩いた。まさかー、目の前の光景を信じることができなかった。もしかしたら体から魂が抜けて、見えているのは、幻かもしれないとも思った。大喜びを単純にできない愚かな目に見えるのは、足も引きずらないOBだった。元気な頃と違うのは、急にバタッと倒れ、寝てしまうことだった。銃で撃たれたように倒れ、深い眠りに入る。1度目は、心臓の異常を疑った。
お腹の上下がはっきりしないように眠るので、何度も近くに行って触ってしまい、起こしてしまった。
1日目には1時間に1回。2日目には10回位で3日目からは、少しずつなくなってきた。5日目にしてOBが歩いている喜びが沸いてきた。昨年の今頃は、BSフジに出演して軽やかな走りを見せていた。
もしかしたら心臓もすっかり良くなっているかもしれないと思って、心電図をとってもらったが、やはりP波は、ないままだった。しかし、OBにとっても自由に歩くことができるのは、嬉しいことだと思う。5日目にやっと羽尾先生にお礼の電話をかけた。

10月14日(金)

2005年10月14日 22時32分56秒 | 日々のわんこ

プレマの玄関を開けると急に眠気がさした。仙台まで日帰りで往復することもあるのに2時間の運転に疲れるはずがない。ふとOBを見るとぐぅぐぅと待合室で寝ている。羽尾先生から「イネイトを置いているので眠くなっているのかもしれません。」と優しく言われた。「イネイト?」
 イネイトとは先天的な生命の持っている力で、体の中にあるイネイトが停滞すると病気が起こると考えられている治療法を用いていると言う。何も触らずに治療ができていると言う。脳幹というセンサーに色や匂いと同じような“情報の伝達”や“波動の共鳴”という程度のごく微細な刺激量のものを提供し、脳幹が活性化し、脳幹とつながっている体中の神経システムが正常に働きだし、「イネイト」が100%体を満たし本来の自身の力がみなぎってくると言う。
OBは気持ちよさそうに規則正しく深い息を繰り返している。これまでの経過を羽尾先生の表情に注意しながら話をした。素人の自分は、獣医さんの表情でOBの状態が悪いのか?大丈夫なのか?を判断してしまう。羽尾先生は、優しくうなづきながら真剣に話を聞いてくれたが、けっして悲壮な表情をされなかった。
 200年前にドイツの医師ハーネマンがその生涯をかけて確立させたホメオパシー療法は、同種療法あるいは類似療法と訳されおり、「症状を起こすものは、その症状を取り去るものになる」という「同種の法則」が根本原則になっており、この「同種の法則」に、症状を起こすものを非常に薄めて使用するという治療を行うと言う。
体に悪影響を与えることなく、症状だけを取っていくものとなるという。
安全で体にやさしく常習性を持たないというので、ホメオパシー療法をお願いした。ホメオパシーでは症状を抑圧するのではなく、症状を出し切れるように後押しするため好転反応があるという。それから初めて心身ともに健康になり、心や細胞が抱える不自然なパターンを解放し、体の芯から健康を取り戻すことができるらしい。
 何種類かのホメオパシーレメディーを処方してもらい、帰舎した。
 

10月13日(木)

2005年10月13日 22時32分23秒 | 日々のわんこ

プレマ動物ナチュラル・ケア・クリニックに
http://prema-anc.hp.infoseek.co.jp/予約を入れて、馳さんが午前中に来ると聞いたので、朝7:00に犬舎を出た。
尊敬しているブリーダーさんからの紹介で、OBとブルースの子ワルテルが、馳さんの所にいる。飼い主さんに会わずにお渡ししたのは、2回目だった。
 1回目の時は、知り合いが東京に住んでいる知人がどうしても欲しがっていると言われ、交配をしないと言う約束で渡した。しかしキャンセルされ、その欲しがっていた知人からバーニーズをブリードしている人に渡ってしまった。種犬になり、100頭以上も子供がいると言う。胸が痛む。
 1頭目は、弊社とご縁のあった方が、2頭目は、その子の子供を譲り受けるという。当然、大反対したが、「そこまで言われる筋合いはない。」と激怒され、その後、連絡が取れなくなった。知人から2頭目の子の早い死を知ったが、「代わりの子をただでくれた」と喜んでいるらしい。
 このことがあってから飼い主さんを知ることができない場合は譲らないと伝えたが、馳さんのHPを見て、気が変わった。マージちゃんに対する想い、深い愛情。馳さんの所に行くことができたら幸せだと思い、子犬を渡した。Hase Noteを読んで、まるで昔から知り合いのように感じていたが、実際に会ってみたいと思っていた。
 OBはどことなく楽しそうに車に乗っている。そんな顔を見ていると長い道のりも短く感じた。プレマに着くと馳さんとマージが診察を終えて出てきたところだった。眼鏡をかけている馳さんは、HPや本で見ていたサングラスをかけている時の怖そうな印象と違いまじめな文学青年に見えた。マージを見る目が優しい。気が小さい自分は、緊張しながら話をした。馳さんは、気持ちを見透かすようにワルテルの詳しい状況を教えてくれた。弊社から巣立った子達が幸せに暮らしていることを聞けるのは何よりもありがたい。

10月12日(水)

2005年10月12日 22時08分44秒 | 日々のわんこ

OBは、運動もせず、毎日寝てばかりで過ごした。
冬の寒さでは、心臓に悪いため水泳はできず、椎間板ヘルニアが心配だったが、危険と言われた冬を乗り越えることができた。
 ブルースは、食べはしないが、時々OBの食事を見に来るお陰様で、OBの食欲は、元の量に戻った。
 春になって、椎間板ヘルニアから来る足の引きずりがひどくなり、時々崩れるように座り込んで、自力では、立ち上がることができなくなった。助けて立ち上げると歩くことはできる。
 医療のことはわからないが、飼い主さんのメールを読み、励ますだけの病気の相談を数多く受けてきて、難病といわれるガンや同じ椎間板ヘルニアが治った話をたくさん頂いていた。迷惑を考えず、診察を受けた病院名を聞き、それぞれ問合せをして何軒かの病院に行かせていただいた。今のOBの状態では、椎間板ヘルニアについては、何もできないという答えばかりだった。
 そんな時、4月に5歳と言う若さでリンパ腫になってしまったモネちゃんの通っている病院の話を聞く。モネママから「ヘルニアが治っている症例が出ているよ」と教えていただいたHPを見て、通ってみようと思った。プレマ動物病院は、神奈川にある。静岡から車で少なくみても2時間はかかる。OBの心臓は大丈夫だろうか?と言う不安はあったが、真剣な愛情深いモネママが通っていると思うと心強かった。

10月11日(火)

2005年10月11日 23時18分54秒 | 日々のわんこ
時々
OBは、麻布大学の若尾教授に診てもらった。〝白い巨塔〟の影響を受けて、〝教授〟は、威張り、権力争いをしていると思い込み、診察室で、直立不動の姿勢をとり、OBと待った。背の高い、白い顔の若尾教授が、白衣を着た大勢の学生さんを引き連れて入ってきた。学生がいることの断りを私たちにすると満面の笑みを浮かべ、OBに向かって「ほらほらーこっち向いてー目を合わせようー」と言った。OBはその優しい声に反応して大きく尻尾を振った。OBは誰にでも愛想がいい。何をされても怒ったことがない。でも大きく尻尾を振る人とそうでない人がいる。ドックショーでハンドラーの先生には、やる気の無さを主張して、ショー途中で戻ってきた。苦手な人には、やる気の無さを主張する。
教授は、聴診器をあてただけで「うーん。確かにP波がない。どうしてだろう。なぁOB-」とおっしゃった。
曖昧に「どうしてこうなったのですか?」と聞かれると素人の自分は、答えに戸惑うことが多いが、若尾教授が聞く経過は、〝Yes〟か〝No〟で答えることができるように質問してくれ、緊張せず、ない頭を絞らず、安心して答えることができた。「今から詳しく検査をします。さぁOB-、検査に行こう」と言われた。
OBを教授に任せ、待合室で待つ。50人は座れるだろう待合室の椅子がいっぱいになっていた。動物を飼っているという共通感からか、多くの方が、気軽に話しかけてくれる。四国や東北から診察を受けに来ている人もいる。何軒も病院を回ってきている人もいる。聞いたことのない病名の子もいる。それでも何年も前から知り合いのようにあちらこちらでおしゃべりの輪ができ、病院と言うよりオフ会のような賑わいだった。
1時間経って診察室に呼ばれた。OBは、診察台の上で相変わらず尻尾を大きく振っている。心電図、レントゲン、血液検査の結果を見せてくれ、「P波がなくなった直接の原因は、わかりませんが、心臓肥大になりかかりの可能性が考えられます。人間のように心臓に直接電気ショックを与え、P波が再開する例もありますが、その強さによって死亡する事もありますので、原因がわかるまでしばらくこのままで様子を見ましょう。」と言われる。
「急に死ぬことはありますか?」と怯えて聞いた。
「ないとは言ったらうそになるかもしれませんが、大丈夫でしょう。」
と言われて、明るい気持ちになった。予断は許されない状況であっても医者から〝大丈夫〟と言われると不思議に前向きになる。
運動の禁止、心臓食、カルチニン、タウリンの投与、冬、夏の温度管理など詳しい過ごし方を聞き、帰舎した。
「悲観しないで、楽しく過ごしてくださいねー」という若尾教授の言葉が何回も聞こえた。

10月10日(月)

2005年10月10日 23時54分11秒 | 日々のわんこ
時々
それからOBは、毎日、普通に歩いていた。引きずるのは、忘れた頃に1,2度。これでは気が付かないのは当たり前。と自分を正当化する。「歩けなくなるのは、時間の問題です。」と言われた言葉がどこからか聞こえた。歩けなくなったら手伝ってやる。いつでも歩かせてやる。「まだ当分の間、大丈夫だ」と誰かに聞こえるように言った。何冊も椎間板の本を読んで、HPを調べた。右後足をかばうのか、左前手をよく怪我をするようになった。血が滲んでいて白い所が赤く染まっている。ずいぶん前から悪かったんだと思った。気が付こうとしない自分の弱さに腹が立った。

 ヒートの子が前を歩いた。OBは、息を荒く、興奮して追いかける。その息の中に変な音が聞こえた。ヒューという音が1回。喘息かもしれないと思った。急いで病院へ行く。1日かかっての検査。結果に驚愕した。昨年まで正常だった心電図のP波がなくなっていると言う。心房細動と診断された。「心房細動が起きたら突然死が訪れるのが当たり前なのだが、OBの場合は、脈数が正常で、規則正しい間隔で動いているので、明日かもしれないし、1年後かもしれない何とも言えない。心臓肥大になっていないので、心房細動の原因はわからない。」と言われる。
「ショックで心臓が悪くなる時はありますか?」と問うと
「それは大きな原因かもしれません」と言われ、麻布大学の若尾先生を紹介された。『ゼロー。OBを連れて行くなー』と心の中で叫んだ。『良い子だから、他のヤツと遊んでいろ。OBとはゆっくり会うことにしろー』と意味もわからないことをブツブツと繰り返した。
「バーニーズの突然死は、心臓で起こるのではないか?」とアメリカの学会では発表されたそうである。そんなことはどうでも良かった。椎間板に心房細動。どうやって治すのか!その答えが欲しい。

10月9日(日)

2005年10月09日 23時06分07秒 | 日々のわんこ

食事を口にするようになって5日後、OBが右後足を引きずって歩くようになった。「どこかにぶつけたのか?」と思い、獣医に連れて行く。詳しく検査をするために病院に預けて帰舎した。食べる量は、まだ以前の量には戻っていないが、ちょっとだけでも食べることで安心できる。すぐ病院に連れて行くことを神経質と言われることが多々ある。しかし、彼らは、言葉を話す手段が乏しい・・どんなに痛くても我慢してしまう。そんな彼らの変わりに状態を把握するのは、人間の義務ではないか、と偉そうに考えている。どんな状態になっても生きていて欲しいとも思う。それは究極のエゴイストで弱い人間だからだと思う。食事には、免疫を上げるための〝ロッキーマンモス〟〝天彌サラサ〟〝AZ-X〟は欠かせない。まだガンになった子は、1頭もいないが、たまたまなっていないだけだと思っている。予防になるかどうかは、わからないが、できる限りしたいと思っている。
病院から電話があって迎えに行った。レントゲン写真を見ながら「椎間板ヘルニアです。かなりつぶれていて手術はできません。」と言われた。背骨の間が1箇所狭くなっていた。「今まで足を引きずることはなかったのに急にひどくなることってあるのですか?」という質問に「気が付かないこともあります。徐々に悪くなっていきますから」と言われる。『そんなことはないー神経質なほど観察している』と心の中で言ったが、現実は、徐々に悪くなっていることを気が付かなかったダメな飼い主なのだ。

10月8日(土)

2005年10月08日 23時03分26秒 | 日々のわんこ
時々
OBは、ゼロの死から6日目にやっと『本葛』をちょっと舐め、バッチを入れた食事を7日目にたった1口食べた。
 今まではしたことがなかったブルースが、ゼロの代わりをするようにOBの食事の匂いを嗅ぎにくる。遠慮深いブルースは、けっして他の子の食事を食べない。与えられた分をゆっくり楽しみながら食べる。それは若い頃からずっとそうだった。OBはチラッとブルースを見て、「食べるなら食べれば」と横を向いて寝てしまう。ブルースはその様子を見て何も食べず、お気に入りの場所に行ってしまった。

 次の日、スタッフがブルースの分を用意するのを忘れた。OBの前にOBの分を置き、2階の若い子達の食事を置きに行ってしまった。そそかしいスタッフなのでしょっちゅうブルースの分を忘れる。ブルースは自分の分が出てくるまでけっして他の子の食事を食べずに待つ。しかし、この日は、違った。見向きもしていないOBの食事をガツガツと食べた。OBは驚いて、立ち上がり自分の食器に頭を突っ込んだ。
それでもブルースは食べ続けた。上品なブルースが、ガツガツと食べている。負けまいとOBが食べていた。「あっ!ブルースの食事忘れたぁ」とスタッフが叫び、あわてた。準備しておいたので、それを手渡すと、無造作にブルースの前に置いたが、ふたりはOBの分を完食し、ブルースは、いつものお気に入りの場所へ優雅に移動していった。
 その日からOBは、食べるようになった。ブルースは、2度とOBの食事を食べることはなかった。
それから7ヵ月と4日後、ゼロと同じように前触れもなくブルースが天国へ旅立つことになる。

10月7日(金)

2005年10月07日 23時01分03秒 | 日々のわんこ
のち
いつもOBとゼロは、「う~う~」と言い合い、取られまいと牽制しながら食事をしていた。その様子をブルースは楽しむように眺め、ゆっくり、ゆっくりと自分の分を食べる。OBとゼロは、ブルースが女の子のせいか?うーうー言うことはなかったし、食べ終わってもブルースの分を食べに行くことは無かった。自分たちの分で満足していた。どこへ行くのも一緒に行動し、寝る時はぴったりと体を寄せ合って寝ているふたりは、仲が良いのか、悪いのか、食事の時になるといつも考えさせられた。そんなゼロが天国に旅立ってからOBは、全く食事をしなくなった。大好きなチーズさえ出してしまう。絶食5日目の朝、痩せたOBのウエストは、今にも右と左とくっつきそうになっていた。食事を換えずに何とかしたいと思っても『本葛』さえ食べない…バッチレメディーの39本をオーリングして調べ、ゲンチアナとミムラスを飲水に入れる。水の匂いをしばらく懐かしそうに嗅ぎ、飲んだ。その後、透明に煮た『本葛』にバッチレメディーと肉汁を少し入れてたものを舐めた。「食べないとゼロが心配するよ」と声をかけたが、聞こえないふりをして寝た。1日も早く、キラキラした目で笑ってくれと何度も背中に言った。

10月6日(木)

2005年10月06日 03時07分33秒 | 虹の橋
のち
OBとゼロ、ブルースは、年齢も近いせいか、いつもいっしょに過ごしていた。胃捻転かもしれないと気がついて5分。ゼロは、自分で車に飛び乗った。犬舎から電話をしてもらうように頼み、病院へ向かう。「何度かけても獣医が出ない。」と連絡が入る。こちらから連絡をするとつながった。状況を説明し、待機してもらうように頼む。普段は片道40分以上かかる病院に夜中のせいもあって、20分で着いた。早い発見だったし、元気もあるから『必ず助かる』と思った。しかし、獣医はいなかった。ゼロの息が急に苦しそうになり、横に倒れたまま動かなくなる。また電話をかける。出ない…。そのうちお腹の上下がなくなった。嘘だ!心臓に手を当てると鼓動がある。どうして獣医はいないのか?まだ2時前だ。それから5分以上経って、『今、起きた。』という顔で当番の獣医が来た。ゼロを見ても何も言わない。もう心臓も動いていない…。それは、素人の自分が見てもわかる状態だった。しばらくして、「今日は入院がなかったので、誰も病院にいないんですよ。」と言った。病院の中にも入れず、車の中で天国に行ったゼロに言い訳をしても戻って来ない。ショックが大きすぎて、怒る気にもなれず、そのまま帰舎した。次の日、別の獣医が、「胃捻転は、背中にある大動脈を圧迫して、循環しなくなり、急に亡くなってしまうことが多々あります。」と説明された。ゼロの死を受け入れていない自分には、どこかでニュースが流れているように聞こえた。ゼロが死んだ朝からOBは、全く食べなくなった。大好きなチーズを与えても一応匂いを嗅ぐだけで、口に入れない。無理やり口入れると飲込まずペッと出して、走って逃げた。OBは重度のペットロスになった。

10月5日(水)

2005年10月05日 20時30分30秒 | 日々のわんこ
朝からの雨をわんこたちは、つまらなそうに眺めている。レインコートは2頭分しかないので、誰も着せずに外へ出す。彼らの勢いに負けたのか?どんよりとした重い雲は、雨を降らすのを止めた。先日まで穂を垂れていた隣の稲は、刈り取られ、残骸の茎は、わらになる前にずっしりと濡れていた。
彼らは、足を泥だらけにして、嬉しそうに何度も庭を走り回った。
モイラは、雨が降っても晴れていても、ソファに乗ることができたら幸せの顔をする。あまりにも嬉しそうな顔をするので、誰も注意しなくなり、今ではモイラ専用ソファになっている。
写真は、今日も嬉しそうにソファに乗るモイラ~

今日は、エリン舎新聞を印刷して郵送する予定だったが、またもやコピー機が壊れて、写真が抜けてしまう。今日は、業者の都合が悪いらしく明日、直してくれることになった。「エリン舎HPを自分たちの手で更新することができたら印刷しないで、すぐアップする!」とやるわけないのに見えない何かに文句を言った。

10月4日(木)

2005年10月04日 09時36分49秒 | パピー情報
この日記を書こうと思った動機は、OBが椎間板ヘルニアになって歩行が困難になり、皆様にご心配をおかけしていて、様子を知らせたいと思ったからなのだが、病気の正確な日程が曖昧になっているため、2.3日後から開始したいと考えている。今はこのブログに慣れるため、他の子たちの様子を報告している。

今日は、仔犬の比較。
この写真は、2週間前に撮った物で、今月号のエリン舎新聞4コマ漫画に使った。ブリーダーをしなければ生まれたての子を見ることはないし、生後3週間までは母親が神経質になって子を放さないので、なかなか写真が撮れない。そばに母親がいるのだが、普段いっしょに過ごしている子達なので、安心して任せてくれた。

バーニーズは、愛情を敏感に感じる犬種なので、母親が育児放棄をしたら新しい家族にお渡しするのが、良いと考えている。生後2週間の母親は、この写真を撮った1週間後から育児放棄をしている。この小さな子たちも新しい愛情深い家族に行くのは、もうすぐだ…


10月3日(月)

2005年10月03日 08時36分54秒 | 日々のわんこ
できる限り、毎日バーニーズたちの様子を更新しようと思います。

今日は、サンノスケ~
外のトイレに出かけるのを嫌がって、何度呼んでも嫌がって降りてこない。
そのうち階段の踊場でストを起こし、ふせをしてしまった。
怖い太い声で名前を呼ぶと、「怒られるぅ~」と思って、必死に降りてきた。
サンノスケは、外のトイレの囲いに入れられるのが、キライ
自由に外に放すと巨体を柵の小さな隙間に押し込み、外に出て行って世間を騒がしてしまうので、彼は、トイレスペースにしかいられない。
それなりの広さがある庭があるのに、どうして外に出てしまうのだろう…

10月2日(日)

2005年10月02日 11時45分01秒 | 日々のわんこ
のち今日は、28日に生まれた次女を見てもらった。ここ2,3日、飲水で水遊びするようになる。いつも濡れていると細菌の繁殖が怖いが、善玉菌でできているAZ-Xを入れるようになってからは、安心している。開発した社長は、微生物を50年以上研究し、世の中のためになるすばらしい商品を出したが、営業を全くできず、40年以上も売れなかったと福島弁で語っていた。ある人との出会いで、やっと日の目を浴びたAZ-X(アーゼロン)。今日見てもらった子の出会いも良い出会いであると願わずにいられない。